2 平和なる夜の国

 ノクターナル王国――別名、《夜の国》。


 空には月もある、星もある。けれど、この国にはけして太陽が昇らない。――ここは永遠の、夜の国なのだ。


 太陽の光はないが、別段寒くはなく、むしろ気候はあたたかで人が住みやすい。大地や大気そのものが熱を持っている。




  ☪ ⋆ ⋆




 アル・ポラリス城、陥落かんらくの、半年前――



 城内の大広間では、王族と人々が集まって、ある儀式をはじめようとしていた。


 たくさんの灯火ともしびが輝く、広間の一番奥、宝石で飾られたきらびやかな玉座に、女王ラーマが座っている。


 シュメール王子の母である。まだ三十代後半で、とても若々しい。背が高く、すらりとしている。おだやかで、落ち着きがある。


 黒髪を高く結いあげて、金色の女王の冠をはめている。広く聡明なひたい、勢いのある眉、黒い瞳。そのまなざしは鋭く、いつも物事を楽しむような光を宿している。深紅色で、はっきりと描いた唇。


 大きくひらいたドレスの胸元の、白い肌がまぶしい。ドレスはつやのある銀色の生地で、さまざまな花や植物が大胆に刺繍され、きらきらしたビーズが散りばめられている。手には、王笏おうしゃくを握っている。


 ――威厳あふれる、夜の女王の姿だった。



 玉座の背後には、全長十メートルはあろうかという、つやのある黒曜石で彫られた、夜の女神・ミキエルディシスの神像が立っていた。


 この黒い女神は、王国の守り神である。両方の手のひらを人々のほうに向けているのは、手のひらから発する熱で人々をあたため、必ず護るという意味がある。巨大な神像は女王の威厳をさらに増し、見る者を圧倒した。



 ラーマ女王は、近くに立っていたシュメールにうなずきかけると、人々に合図した。


「それでは、はじめましょう。今日は何組?」


「一組です」


 呼ばれて入ってきたのは、小人族の若い夫婦だ。


 小人族は、背丈が人間の半分ほどで、一見、ずんぐり太った子供のように見える。ふたりとも、おそろいの赤い帽子をかぶっている。妻のほうは胸に、生まれたばかりの赤ん坊を抱いている。


 シュメールは白い祭祀さいしのマントをなびかせて、夫婦に歩み寄った。夫のほうは床に膝をつき、妻のほうは膝を軽く曲げて、王家に敬意を表す。


 シュメールは、むつきのなかをのぞき込んだ。


(うわぁー、いつ見ても小人の赤ちゃんはかわいいなぁ!)


 小人の赤ん坊は、とてもちいさい。片方の手のひらに、ちょこんと乗ってしまうくらいだ。ふたつの小粒な瞳が、今まさに水のなかからすくい出したかのように、うるおいめいている。


 まん丸のほっぺが赤く染まって、ぷっくりした唇が、あわあわと、なにか喋っている。繊細でやわらかい髪の毛が、ひたいに少しだけ生えて、つやつやと光っている。時々、なにか欲しそうに、指や手足を泳がせる。


(わっ、もう足の裏に毛が生えてる)


 うぶ毛があしうらを、金色の雲のように覆っている。小人族は大人になると、そこにびっしり毛が生えるのだ。


 シュメールは感激しながら、奥さんのほうに微笑ほほえみかけた。


「男の子? 女の子?」


 と、やさしく声をかける。


「男の子です」


 と、奥さんは微笑みを返し、答えた。


 シュメールは両方の手のひらを重ねて、赤子を受け取った。赤子は息を吸い、息を吐き、小さな胸をせわしなくふくらませている。乳の、あまやかな匂いがする。ぬくもりが、じんわりと伝わってくる。


(これが、命の重さなんだ――)


 羽根のように軽くもあり……と同時に、思わず背がかがまるほど、ずっしりと重い。それは実際に生きている命の、かけがえのない重さだった。


 大切に、丁寧に、シュメールは赤子を返し、夫と妻を寄り添わせた。赤ん坊の頭にそっと、浮かせるくらいに手のひらを置いて、祝福の呪文を詠唱する。




 月の満ち欠けが、この子の体に血を巡らせ、

 きよらかに整えますように


 ふりそそぐ星の歌声が、この子の心を、

 やさしくはぐくみますように


 あたたかな夜の大気に包まれて、この子が無事、

 すこやかに育ちますように


 祝福を君に……


 誕生祝福ガブライト――




 詠唱とともに、シュメールの手のひらから、魔法の光の粉がきらきらと降り落ちる。


 すると赤ちゃんのちいさな頭が、ぽわんとした光につつまれた。目が糸のように細まって、とても心地よさそうだ。頭のうしろに一瞬だけ、後光ハローのように丸い七色の虹があらわれて、溶けるように消えていった。



 儀式が終わると、小人の夫妻は感極まって、「ありがとうございます」と、目に涙を溜めながら広間を出て行った。


 この後、夫婦には隣室で、おいしい焼き立てのケーキとぶどう酒がふるまわれる。




✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱


 赤ちゃんの祝福が、シュメールの仕事――


 夜の国の、平和なひと時。





【今日の挿絵】


シュメール・祝福のようす

https://kakuyomu.jp/users/dkjn/news/16818093074491433604

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