夜のシュメール ~夜の国の王子は夜鶯を熱愛する~

KAJUN

第一章 夜の国 The Night Kingdom

1 プロローグ ~ 王城陥落

(王国が滅びる――!?)


 ペールネールは激しく息を切らしながら、アル・ポラリス城の石段を駆けあがった。


 彼女の背中には、翼が生えている。人間ではない。ペールネールは夜鶯よるうぐいすという小鳥の精霊で、小鳥の姿、人間の姿、天使の姿の三態に変身できる。今は《天使態てんしたい》……背中から翼が生えた、十六歳の少女の姿だった。


 色白の肌。夜を思わせる、黒い瞳と黒い髪。つやのあるストレートの前髪は、眉の下でぷっつりとカットして、左右は頬のあたりまで伸ばし、あとは背中まで伸ばしている。


 時々、あんず色の翼を羽ばたかせ、走る体勢を支える。


 あんず色というのは、すこし赤味の入った、落ち着きのあるピンクで、その色は彼女のおだやかでやさしい性格に、とてもよく似合っていた。


 細い体にぴったりとした、白く凛々りりしい騎士服。右手には、銀色の細剣レイピアを握っている。


 ――指の爪も、あんず色だ。



 階段を駆けあがり、フロアに飛び出た途端、ペールネールは偶然にも、心の底からいたかった人と出くわした。


 そこにいたのは、この《夜の国》ノクターナル王国の王子・シュメールだった。


 黒くつややかな短髪は、前髪がすこし長め。星をきらめかせる、黒い瞳。背はあまり高くないけれど、痩せていてスマートだ。手には、黄金の魔法剣を握っている。年は十六歳。


 シュメールは公務のための化粧をしていて……いつもと違うその顔に、ペールネールはドキドキした。


 透きとおるような白い肌が、ファンデーションで、いっそうに白い。睫毛はいっそう長く、唇には、黒紅が塗られている。こめかみと額に、蝶のような、花が咲きひらくような、細かい幾何学模様が描かれている。


(きれい……)


 ペールネールは、ぼおっと、思わず見惚れてしまった。


 けれど次の瞬間、びっくりするような怒鳴り声が飛んできた。


「騎士ペールネール! 命令違反だぞ!」


 シュメールはなんともいえない、泣きそうな、悔しそうな顔を、ペールネールに向けた。本気で怒っている。


 ペールネールは、あわてて叫んだ。


「いえ、女王代理の許可をいただきました。わたしはシュメール様の騎士です。シュメール様とともにいます!」


 怒られるかと思ったペールネールは、わずか一瞬、目を閉ざした。けれど王子は駆け寄りながら、「おいで!」と短く叫んだ。


 安心したペールネールは、ぱっと目をひらき、シュメールのほうに一歩、近づこうとした。


 その途端である――


 彼女はシュメールの腕に強く抱きしめられて、気づいた時には、唇を奪われていた。


「んん」


 あっけに取られ、ぼんやりしてしまったペールネールの手を、シュメールは握りしめたまま、城のなかで一番高い塔の、らせん階段を登っていった。


(え? 今の、なんだったんだろう……)


 ペールネールは、キスを知らない。


 胸がドキドキして、止まらなくなった。ただ、わかったことは、(一緒にいていいんだ)ということ……


 ……そう思ったら、嬉しさが体じゅうを駆けめぐった。



 塔の天辺へ出たとき、そこから、夜の森が見渡せた。


「ひどい!」


 ペールネールは叫んだ。


 鼻がもげそうな、嫌な匂い! 煙と灰が同時に襲ってきて、目に涙がにじむ。あちこちにいくさの炎が移り、森火事になっている。


 禍々まがまがしい黒煙が、まるで龍のように天に立ちのぼってゆく。いたるところで火の粉が弾け、吹雪のように舞いあがり、樹齢千年を超える大樹が音を立てて燃え折れる……燃え崩れる。


 鳥たちも獣たちも、叫びながら逃げ惑っている。故郷の森全体が、もだえ苦しんでいる! ――ふたりの胸は、張り裂けそうだった。


 すぐ眼下、城の内庭に目を移せば、そこは敵の化け物たちで埋め尽くされていた。 吹きあがってくる灰まじりの風が、シュメールの前髪をあおり、白いひたいをあらわにした。


「見て、ペールネール! 炎で、上昇気流が生まれてる」


「はい!」


 シュメールは両方の手のひらで、ペールネールの頬を包み込んだ。


「君の翼が、頼みだ」


 言われて、ペールネールの胸に、誇り高い気持ちがきあがってきた。


(わたしは、鳥たちの誇り……騎士ペールネール)


 きな臭い風を胸に吸い込みながら、ペールネールはゆっくりとおごそかに、翼をひろげた。二度、三度と、あんず色の翼が星を打ち、風を計った。


「フォルメ・リング」


 と、シュメールが短い呪文を唱えた。すると、右手に握っていた黄金の魔法剣が、小さな指輪に変形し、人差し指にぴたりとはまった。


 手早くシュメールは、ふたりの体を細縄でつなぎとめた。ペールネールの腰に抱きついて、飛んで行くつもりなのだ。


 手を動かしながら、 幾分、心が落ち着いたのか……シュメールの表情はいつものやさしい王子の顔に戻っていた。突然の不条理な戦争に巻き込まれ、王子の心が乱れに乱れているのが、ペールネールにはわかった。

 

 準備ができると、シュメールは塔の端に寄り、夜空にむかって両手を差し伸べた。心を鎮めるように、ゆっくりと息を吸いこむ。感情をこめて、詠唱えいしょうをはじめる。――それは大気をなだめるための、祝福の魔法だった。



 夜の風よ やさしき夜の大気よ


 われらを運べ

 われらの体は風のように軽く、愛のように舞いあがる


 われらは望む

 安らぎ支配せし大地に降り立たんことを


 風よ、わが祝福を受けよ

 天に橋を架けよ


 われらを運べ

 安寧あんねいの地へと


 神聖祝福ミカライト――




 シュメールの両方の手のひらから、次々と光の粉がこぼれ落ちてゆく。その魔法の光を、ペールネールは驚きながら見つめていた。


「行ける?」


 シュメールがふり返り、尋ねた。


 ペールネールは塔のふちから、行く手を見つめた。近くでまた、古代樹が炎の壁となり、火の粉を高く噴きあげた。


 ペールネールは火が怖い。一瞬、膝がふるえた。


「……もう一度だけ」


「え?」


「もう一度だけ……勇気をください。さっきみたいに、口に」


 シュメールはそっと近づいて、自分の唇で、やさしくペールネールの唇をふさいだ。


 火の粉が飛び散る。燃えあがる炎の柱が、目の端を焼く。恐ろしい地響きがする。はるか下の方でグオオオッと、たくさんの魔獣たちがひしめき合い、唸り声をあげている。魔獣たちは何度も何度も大地を踏み鳴らし、勝利の雄たけびをあげている。


 それはシュメールたちにとっては、敗北を宣告する声だ。


 ペールネールは、ふるえるこぶしを握りしめた。


(……それでも、わたしたちは負けない! 高くべる――Si haut!)


 凛々りりしい顔を、星へと向けた。


「いきます!」


「頼む!」


 ふたりはきつく寄り添いながら、塔壁のくぼみに身を乗り出した。


「『三』で、飛んでください」


「わかった!」


アンドゥトロワ……」


 ふたりは息を合わせて壁を蹴り、闇の虚空こくうへ飛び出した。


 たちまち重力が、ふたりを奈落の底へ引きずり下ろそうとする。あらがうペールネールの翼が、音を立てて羽ばたく。


 シュメールの言ったとおりだった――森火事が上昇気流を生み出している。ペールネールは気流を読み、風をつかまえようとした。けれど、思わぬ乱気流が襲いかかり、姿勢を乱した。いつもと違う重さが、体にのしかかる。


 乱気流のバレエ、闇空のパ・ド・ドゥ――


 今にも墜落しそうな、よりどころもない空中にいて、シュメールは瞳を閉ざし、あくまで冷静に、大気を祝福する呪文をやめなかった。


 ふいに、ペールネールの両翼が、ぐいと、風をつかまえた。


(風が大人おとなしくなった! いける!)


 ふたりの体がぐんぐんと星空に舞いあがってゆく。



 ――Si haut! Si haut


(わたしたちは高い……わたしたちは高い……)


 ペールネールは、呪文のように唱えつづけた。



 黒煙をい、噴きあがる火の粉をくぐり抜け、熱い上昇気流に包まれて、今しも滅びようとしている美しきアル・ポラリス城から、ふたりの体はあっという間に遠ざかっていった――!





✱.˚‧º‧┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈‧º·˚.✱


※ Si haut! …… フランス語のオノマトペで、夜鶯の鳴き声。


 「とても高い!」……「わたしはとても高いところにいる」という意味。





 お読みくださいまして、ありがとうございます!


 KAJUN劇場のはじまりはじまり~~!



 ――次回からは、少し時を巻き戻して、戦がはじまる前の、平和な夜の国を描きたいと思います。



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【挿絵コーナー】


シュメールとペールネール(告知)

https://kakuyomu.jp/users/dkjn/news/16818093074201335432


シュメール、黄金の剣

https://kakuyomu.jp/users/dkjn/news/16818093074439440609

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