平家物語異聞・幕間 好感度可視化メガネ編

葉野ろん

徳大寺厳島詣

 徳大寺実定とくだいじさねさだは頑として動かないので、家人たちはおろおろ狼狽えるばかりだった。

 実定の祖父・藤原実能ふじわらのさねよしが徳大寺を建立してより以来このかた、かの家系は徳大寺家を称し、政務に和歌にと生存戦略ブランディングを展開して活躍してきた。実定の妹・多子まさるこは近衛天皇のもとに入内して皇后となり、近衛天皇が崩御せられてのちには、二条天皇の強い願いによって再び入内している。

 しかし徳大寺家は、時代の波に揉まれても来た。一時は後ろ盾になってくれた藤原頼長ふじわらのよりながは、崇徳院すとくいんとともに兵乱を起こして敗れ、一流の貴族でありながら矢に貫かれて死去している。二条天皇も身罷られ、多子は出家した。

 今は平家が権勢を振るい、官職の中枢は一門に独占されている。つい先日も、多くの貴族や僧が平家によって処断された。一歩踏み違えれば転落を余儀なくされる政界に、実定は人の心がわからなくなってきた。いま彼は自室に引きこもってPCに向かい、足に根を張っている。


「ええい、こんな世に生まれたのが悪縁の尽きだわ!外には出とうない!」

「そうは云われましても徳大寺様、われわれ家人は路頭に迷ってしまいます。どうかお考えを……」

「表に出たところでどうせ碌な官職などないわ、ここで和歌板に張り付いてたほうがよっぽどましじゃ。それかもう西行さいぎょうみたく出家するか……」

「あーっ、どうかそればかりはそればかりは」

 このやり取りがもう何度あったかわからない。そこで家人のひとり藤蔵人大夫重兼とうくらんどのたいふしげかぬがついに来た。


「いつまで物忌ひきこもってんですか、一家の長としての自覚もってくださいよ」

「しかしな重兼、俊恵法師しゅんえほうしのやつに歌論レスバで負けるわけにはいかぬ」

「仕事をしろって言ってんですよ、家ごと潰れる気ですか」

「わしはいっそそれでも構わぬ。聞いたか、成親なりちかのやつ流罪先で殺されよったわ。下手に動けばわしらも首が飛ぶかもわからん」

そう、平家の専制下では貴族や高僧さえもその身が危うかった。清盛が上皇ですら打ち籠めようとしたのを、息子の重盛が叱り宥めてなんとか止めたという。しかしこれで引き下がっては家人としての対面がない。重兼はなおも諦めない。


「それをなんとかするのが仕事でしょうが、それこそ和歌のひとつも詠んで。猛き武士の心をも慰むるは歌なり、なんて言うくらいなんだから」

「むう、しかしその心がわからんのでは仕様がないではないか」

 結局のところ、実定にはわからなかった。先の帝の皇后であった妹を再び入内させた二条天皇の御心も、謀反を起こした頼長の心も、成親も清盛も重盛もだれの心もわからなくなってしまった。


「そこでこちらをどうぞ。私が安芸の厳島に籠って神仏から授けられた眼鏡、これをかければ人の心がわかります。具体的には好感度が数値化されます」

 渡された眼鏡を耳にかけてみる。重兼:62%。重兼の言った通り、自分に向けての好感度が百分率で示されているようだ。実定も一流の歌人である、これだけの情報があれば、思うところはいくらでもある。好感度が可視化される機構システムについては、引きこもり中の時間潰しの遊戯ネトゲにいくらも覚えがあった。

「ふうむ、まあ試すだけ試してみるか」

実定は重い腰を上げ、出かける支度を始める。数値が更新された。重兼:74%。



「最近は何かと物騒でしてな、心の安まる暇もない」

実定にとって物騒の塊のような人物が語る。清盛:27%。

「おこもりになる気持ちもよくわかるわい。和歌は疎いですが、なに、弟の忠度ただのりがなかなかの上手でしてな、よければまたご教授をと言っておりました。おや、そういえばそちらの眼鏡は」

清盛の一言ごとに一度二度、呼吸のように好感度が上下する。選ぶべき話題を探るにはちょうどよかった。今のところ、政治の話が出ると好感度が下がる傾向にある。

「眼鏡ですか、これは重兼から貰いまして。なんでも厳島の明神に授かったとか」

実定が厳島の一語を出したとき、清盛の好感度が大きく跳ねた。35%。それもそのはず、厳島は清盛の信仰厚く、彼自らの手によって整備・再開発がされている。途切れさせず話を続ける。

「厳島はたいそうよいそうですな、鳥居の美しいこと、舞台の神々しいこと」

41%。まだ押せる。

「都の喧騒は堪えますしな、行楽に、近々私も参詣しようと思っております」

54%。私の勝ちだ。今はこれでひと段落、ここから最後の詰めを進める。手の進め方は明らかだった。


 実定たちは盛大に遊んで過ごした。ここ厳島では、平家一門に近しい人々がさまざまに営業を行っている。清盛の揃えた内侍みこたちと七日七晩、管弦かんげん今様いまよう催馬楽さいばらに、最先端の遊興エンターテイメントをひととおり遊び倒した。糸目をつけずに神酒シャンパンを開けた。ここで遊べば遊んだだけ、その評判は清盛の耳に入ることになる。上客としてすっかり名が知れ渡るまで、できる限りのことはした。

 内侍へのアプローチには心血を注いだ。天つ風、雲の通い路吹き閉じよ……と歌いかけてみる、63%。ひとめみし人はたれとも白雲の……と追い立てる、74%。この眼鏡ひとつで、文字通りの恋の駆け引きギャルゲーを楽しんで、好感度を上げてしまえばこちらのもの。帰り際にもう一押し、咲く花に移るてふ名はつつめども……と言ってみて、宮島桟橋まで見送りに来た手を少し引いてやる。するとやはり、若い内侍たちの十余人は、宮島口駅まで、広島駅まで、新幹線まで、と名残惜しげについてきた。

 新幹線を降りて八条口を出てしまえば、清盛の邸宅はすぐそこである。ここまで来て主人に挨拶しないわけにいかない、と内侍たちが連れ立っていくのを見送り、実定はほくそ笑んだ。邸宅でのやりとりを想像する。


 京にも霊験あらたかな寺社は多くあるものを、徳大寺さまはわざわざ厳島までいらして盛大に遊んでいかれました。

 和歌や管弦の家系なだけあって、たいそう優雅な方でございました。

 貴族としての官職がないのを、たいへん悩んでおいででしたのよ。

 そうかそうか、それならこちらも考えてやらんとなあ。大納言、いや左近衛大将でどうだろうか。よしよし、徳大寺家とは長い付き合いになるぞ。


 なにを一人で話してんですか、と重兼に肩を叩かれる。61%。

「重兼、おまえのおかげだよ。おまえのおかげで徳大寺家はまだもちそうだ」

「なにを言ってんですか、今のところまだ大赤字ですよ」

「なに、これからは安泰よ。清盛どのの栄華が続く限りは、我が家も大丈夫だ」

 重兼の好感度が少しずつ、しかし止まることなく上がっているのを実定は見逃さない。ありがとうなあ、と声をかけ続けるが、重兼は難しい顔のままだ。ふと気付いて、眼鏡を外して重兼に付け直す。

「改めて、ありがとうよ。これからは忙しくなるぞ」

 重兼は途端に目を逸らし、お願いしますよ、などと適当に相槌を打つ。しかしその口の端が上がっているのを、一流の歌人である実定が見逃すはずもなかった。



 それからほどなくして清盛は病に倒れ、平家一門はみるみるうちに追い落とされ、実定たちは目まぐるしく変わる政界で何度も駆け引きギャルゲーをせねばならなくなることは、まだ彼らは知る由もない。百人一首に採られる実定の歌は、この目まぐるしい時代を生きたひとりの貴族の実感であろうか。


 ほととぎす鳴きつる方をながむればただ有明の月ぞ残れる

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