第13話 ラブロマンス 前編

 主君であるアイリスの様子がおかしい。


 ディマプールから再びメルキアに戻って以来、アイリスはらしくもなくボーっとしていることが多いことにセリアは不思議に思っていた。


 セリアは元々、貧しい騎士の家庭に生まれた。


 生活は苦しかった為に父は騎士から軍人となり、その縁からセリアはエフタル公爵家の侍女となったのだが、雇われてからずっとアイリスの世話を続けてきた。


 知識欲旺盛で、学ぶことが好きなアイリスは常に様々な書物を読んだり、情報を集めることが好きで、必然的にセリアもアイリスの会話や望みを叶えるために、独学で勉強を行っていたほどである。


 おかげで賃金も上がり、家計の助けとなったことで弟たちもエフタル家が運営する学校に進学することができるようになり、セリアはエフタル家に絶対的な忠誠を誓っていた。


 ロルバンディア行きが決まった時、セリアは進んでアイリスのお供をすることを志願した。


 利発で誠実で、何よりも貴族としての義務を果たそうとする高貴さを持つアイリスにも、セリアは忠を尽くしていた。


 その彼女が、らしくもなくボーっとしていることにセリアは疑問を抱いていたのであった。


「お嬢様」


「え? セリア、どうしたのかしら?」


 上の空の状態から、呼ばれて初めて現実に戻ってきたかのように、アイリスはそう言った。


「お嬢様、体調がすぐれないのでしょうか?」


「いいえ、大丈夫よ」


 笑顔で答えるアイリスではあるが、セリアの目にはそれが妙にぎこちなく見える。


「お嬢様、私はお嬢様に仕えて十年が経ちました」


「そうね、あなたには感謝しているわ」


 十年も侍女として自分に仕えてくれたことに対し、アイリスは素直にそう言ったが、それでもセリアの顔は曇っていた。


「ですが、私はお嬢様からは信頼されてはいなかったようです」


「ちょ、ちょっとどういうことかしら?」

 

 脈絡ない唐突な発言に、アイリスは驚いてしまう。


「私の目は節穴ではございません! ディマプールから戻ってきて以来、お嬢様はずっと心ここに非ずではないですか!」


 気づけばセリアは涙を流していた。


 急な婚約破棄と、その報復としてロルバンディアの力を借り、ブリックスからの支援まで受けるという急転直下の中で、セリアはアイリスの事を本気で心配していたのである。


「ブリックスのレティシア王妃に叱責された時、私は侍女としての未熟さを痛感いたしました。それでもお嬢様にお仕えし、お支えしたいと決意を新たに致しました。ですが、お嬢様の不安を打ち明けてはもらえないのであれば、私はこれ以上、侍女を続けることはできません」


 顔を伏せながら、自分の不甲斐なさと心を打ち明けてくれないことを訴えるセリアに、アイリスは彼女の手を取る。


「ごめんなさい、あなたを信用していないなどというような話ではないの」


「では、どういったことなのでしょうか?」


 涙目の侍女に向けて、アイリスは頬を染めてしまう。


「セリア、アウルス大公殿下のこと、あなたはどう思う?」


 突拍子もない発言に、セリアは言葉が出なかった。


「大公殿下は明君だわ、このロルバンディアを瞬く間に征服して、今では繁栄と安寧を臣民に与えている。たった四年でね」


 二人はアウルスの気遣いで、メルキア一のホテルの最上階に宿泊していた。


 最上階は地上百階の位置にあるが、そこから見下ろす摩天楼の光景はトールキンとは相反する形でわかりやすく繁栄を映し出していた。


「日中は行き来する人々でいっぱい。夜になっても光り輝くビルの中で懸命に仕事を行なっている人ばかり。そして何より、この国の人々は笑顔の人達が殆どよ」


 ミスリル王国は懐古的な為に、高層建築などがあまり利用されていない。かといって、地下施設なども軍や官公庁を除けば利用することもない。


 高層建築物は風情と景観を破壊すると言うことで厳しく法律で制限されているためだ。


 だが、メルキアの風景を眺めていると、それはあまりにも後ろ向きで発展性の欠片もない理由に思えてくる。


「誰もが望む平穏と繁栄を与えられる君主が名君であるならば、アウルス殿下は間違いなく名君よ。そんなお方に私は惹かれているの」


 窓から広がるメルキアの光景を前に、アイリスはそう言い切った。


「婚約破棄されて、まだ一ヶ月も経たないのに私はあの方に心惹かれているのよ。破廉恥ではないかしら?」


 大体勘づいてはいたが、やはりそうかとセリアは思った。


 アウルスに会った後にホテルでもアイリスは彼を常々讃えていたのだから。


 よくよく振り返るとアイリスの様子がおかしかったのは、アウルスに恋をしているからだろう。


 アイリスの気鬱さも、どこか虚なのも、アウルスへの恋と思えば全てが納得できる。


「大公殿下は素敵な方よ。有能な提督達と大臣に支えられ、同時に彼らから絶大な忠誠を受けている。それでいながら、決して奢ることなく謙虚でありつつ、時には決断を下せる。素敵なお方だわ」


 讃えつつも、惚気てしまうアイリスに対して、セリアは自分の思っているような陰鬱な気持ちを抱えてはいないことに安堵した。


 同時に、自分はいったい何を悩んでいたのかと脱力してしまう。


 そして胸にふつふつと怒りが沸いてくるのを感じた。


「お嬢様、よろしいでしょうか?」


「どうしたのかしら?」


 セリアは咳払いをすると、恋する乙女となったアイリスと向き合う。


「お嬢様は国王陛下の浮気により婚約破棄されたのですよね」


「そうよ」


「そして、御自身と家門を傷つけた国王陛下への報復として、大公殿下のお力をお借りしたく、ロルバンディアに赴いわけですよね?」


「その通りだけど、それが何か?」


 何を今更と言いたいのが主君アイリスの顔に出ていたが、セリアはそれを口に出すのを我慢していた。


「その状態で、お嬢様を咎めるものは私も含めて一人もございません。むしろ、大公殿下はお嬢様をお救いしようとされているのですよね?」


「それは、大公殿下もメリットがあるから」


「お嬢様、客観的事実を言わせていただきます」


 再びセリアは気持ちを落ち着かせて、咳払いをする。


「大公殿下は国王の浮気による婚約破棄によって、傷ついたお嬢様をお助けする為にお力添えしてくれるのです。無論、そこには現実的な利益等が含まれていると思いますが、この図式はある種のラブロマンスですわ」


 冷静に指摘するセリアを前に、アイリスは急に両頬が熱くなっていくのを感じる。


「そ、そんな、バカなことがあるわけがないじゃない」


「殿下はブリックスの国王陛下と王妃様にまで協力を申し出ているのですよ。覇者と呼ばれた方がお嬢様の為に」


 お嬢様の為というポイントをあえて強調した。


「だからそれは、アウルス殿下がミスリル王国を手に入れる為であって……」


「ついでにお嬢様も手に入れようとしてますわね。いや、お嬢様を手に入れるついでにミスリルを手に入れようとしているのか」


 少々悪ふざけが入っているセリアに、アイリスは真っ赤な顔になって首を振る。


「殿下はそんなお方ではないわ!」


「そうでしょうか? では逆に殿下がそのような形でお嬢様との婚約を望まれた場合はどうされるのです?」


 アウルスが自分との政略結婚を望んでいるなど、想像もつかなかったが、セリアの指摘にアイリスはその可能性は極めて高いと実感する。


 ミスリル王の浮気で婚約破棄をされた公爵令嬢の自分が、ロルバンディア大公であるアウルスと婚約を結べばこれ以上にもない、正当性を得ることができるはずだ。


「正直、大公殿下はお嬢様の扱いが雑なところがありますが、誠実さがあります。あの国王とは大違いですわ」


 セリアはアレックスのことを嫌っていた。


 全てがアイリスに劣る上に、清楚誠実とは縁遠い暗君としての素質ばかりを持ち合わせているからだ。


「誰がどう聞いても、哀れなお嬢様をお救いしようとする大公殿下を尊敬し、お嬢様に憧れる女性が多数でてくるのは間違いないと思います」


 今回の婚約破棄に関して、アイリスに一切非はない。


 国王たるものが浮気をして一方的に婚約破棄したことに呆れはすれど、良識ある人物ならば彼女を非難する者などいないはずだ。


 そんな状況の中で、アイリスがロルバンディアにて大公であるアウルスと出会い、恋をしたという話があれば、アイリスとアウルスのラブロマンスを羨む者が多数派のはずである。


「本当かしら?」


「私がお嬢様に世迷言を言ったことがあるでしょうか?」


 あれだけの度胸と知恵があるにも関わらず、アイリスは色仕掛けを使わない。


 使えないという方が正確なのかもしれないが、仮に使ったところであの覇者は歯牙にもかけないだろう。


 対面してセリアも分かったが、そんな甘っちょろい人物ではないはずだ。


 そんなことを考えていると、アイリスは部屋をぐるぐると回りながらぶつぶつと何かを口にしている。


 挙動不審な動きではあるが、セリアは心配するそぶりすら見せなかった。


「セリア、至急殿下に連絡をお願い。早急に確認したいことができたわ」


 セリアは「喜んで」と答えると、颯爽と大公府へと連絡を始めた。


 アイリスは胸が高まると共に、苦しみを感じていた。


 その理由はわからない。わからないからこそ、改めてアウルスの本音を確認したかった。

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