第5話 亡国への道 後編
「今日のワインの味は格別だ!」
ほぼ毎日、ワインを飲むたびにミスリル王国国王、ミスリル・ディル・アレックスは上機嫌にそう言っていた。
「もう一杯注ぎましょうか?」
満面の笑顔で優しく微笑む新たな婚約者のフローラに、アレックスは上機嫌になった。
「是非注いでくれ。君には真実の愛を教えてもらった」
笑いながら注がれたワインを口にすると、口いっぱいに広がる甘露の味に、アレックスはさらに機嫌が良くなる。
「それにしても、アイリスは生意気だったな。何かにつけて、私に逆らってばかりでとんだじゃじゃ馬だった」
「アイリス様は男勝りでしたから。学園でも、出しゃばって殿方にアレコレと命令しておりましたもの。とんだおてんばだと私たちは常々口にしておりましたわ」
アイリスはフローラにとって上級生ではあったが、何かにつけて自分の意に沿わないことがあれば、やり直しを命じたり、罰を下すなど傲慢に振る舞っていた。
女子生徒たちはそれを遠目から「はしたない」として絶対に真似をしないようにと心に誓ったものである。
「だろうな。女子の癖に学問ができるからと、アイリスは常に調子に乗っていた。僕がほんの少しだけ休憩していたにも関わらず、サボっていると決めつけては嫌みを言ってきたよ」
「可哀想なアレックス様、私ならばそんなことは絶対になさいませんわ。陛下は国王としての重責がありますもの。その重責からの苦悩を癒すのが、妃としての務めですわ」
潤んだ瞳で見上げるようにアレックスを見つめるフローラに、思わずアレックスは我を忘れて彼女を抱きしめる。
「やはり、君こそが王妃にふさわしい」
「お礼を言うのは私です。私は殿下とお会いすることで真実の愛に目覚めたのですから」
「それは私も同じだ。君という星々の瞬きにも勝る令嬢と出会えたことで、私もまた真実の愛に目覚めることが出来た。感謝しているよ」
「陛下!」
王と伯爵令嬢という身分でありながら、周囲の目を憚ることなくはしたない態度は、彼らの主君でなければ全員が諫めたであろう。
だが、残念なことにアレックスは彼らの主君であり、国王なのだ。
そしてフローラは時期王妃となることが決まっている。
彼らに逆らった所で無意味であり、むしろそれは自分たちを処刑台への立たせるに等しい行為だ。
すでに、彼らを諫めた者は閑職に飛ばされ、職を解かれ、身分低いメイドや従者などは処刑されている。
今日のパーティーなど、表面上は綺麗に進行しているが、実際は無理やり出席させられている貴族がほとんどであった。
******
「宰相閣下には感謝してもしきれませぬ」
仰々しく外務大臣を務めるヴァンデル伯爵は、宰相ディッセル候に平伏していた。
「ヴァンデル伯、頭を上げよ」
鉄面皮のような態度のままに、ディッセル候はヴァンデル伯にそう言った。
二人は今、パーティーを抜け出し、密かに個室にへと移動していた。
「それよりも、今後のことだが」
「婚約は順調でございます。二か月後には正式に式を行うつもりです」
思わずディッセル候は頭を抱えたくなったが、ヴァンデル伯は嬉しそうなままであった。
「ヴァンデル伯、そんなに国王陛下の義父となることが嬉しいか?」
嫌みを交えながらそう言うが、ヴァンデル伯はその意図に気づかぬままに浮かれていた。
「このような名誉ある立場を与えていただいたのです。それを喜ばぬ者などおりますまい」
服芸の一つもできないのかという嘆きと共に、その程度の器量しかないからこそ、自分がエフタル公の娘から鞍替えさせたことを思い出す。
「浮かれるのはいいが、この後のことを貴殿はどう考える?」
「式の後の話ですか?」
「違う、エフタル公の出方だ」
少々手荒い真似をして、エフタル公の娘と国王アレックスの婚約を無にすることはできたが、エフタル公が何もしないと考えるほとディッセル候は無能ではなかった。
「エフタル公は引退して領地に戻ってしまったではありませぬか。それに、嫡男のレスタルも父の面倒を見るということで、軍を辞めてしまいました。今更何ができるというのです?」
分かり切ったことを聞かなくてもいいのにと言わんばかりに、ヴァンデル伯はワインを口にした。
それを見ながら、ディッセル候はやや諦観しながら同じくワインを口にする。
「元々、エフタル公は近年引退していたようなもの。レスタルも切れ者とはいえ、所詮は父親と岳父であったファルスト公がいなければ何もできませぬ。警戒するだけ、無用だとは思いますが」
「警戒し過ぎて無用なことなどない。それに、仮にもエフタル公は元帥にして、軍の最高総司令官を務めていた」
通常、一国の軍隊の最高総司令官は国王や大公といった君主のことを指す。
だが、ファルスト公時代に、エフタル公は最高総司令官に就任し、病弱だった先代国王の代わりに宇宙艦隊と参謀本部、そして軍務省の三つを統括していた。
盟友であったファルスト公の推薦があったとはいえ、名実ともに軍のトップとなったのはミスリル王国の歴史上エフタル公しか存在しない。
「この婚約破棄で、間違いなく軍は割れる。そうなれば、内乱が起きるであろうな」
内乱という言葉にヴァンデル伯がむせ始めた。
「ご冗談が過ぎますぞ閣下」
「冗談で済めばいいがな。まあ、その為の対処も行ってはいる」
「焦らせないでくだされ。それにしても、ファルスト公も余計なことをしてくれたものですな」
苦々しいと言わんばかりの態度のヴァンデル伯だが、顔にこそ出さなくてもディッセル候もその点は同感である。
「古き良き我らミスリル王国の貴族の伝統を蔑ろにされたのですからな。この豊かなミスリル王国が、何故あくせくとアヴァールやベネディア、マクベスなどと同じことをしなければならないというのか」
「ファルスト公は異端児であられたからな。好き好んで外遊などをしていた。余計なことをしてくれたものよ」
「おかげで、枢軸軍に参加する羽目になり、下げる必要のない頭を下げることになりましたからな」
ファルスト公はそれまで参加しなかった枢軸軍に参加し、周辺諸国への関係値を上げていたが、一方で国内の貴族たちからの支持は低いままであった。
「先王陛下の寵愛あっての権勢よ。我らはこの国の事だけを考えておればいい。わざわざ、戦いに巻き込まれる必要など何処にもない。他国の機嫌を取るぐらいならば、我らミスリルの貴族たちに支援の一つでもすればよかったのだ」
宰相となったディッセル候がやったことは、ファルスト公によって削減されていた貴族たちへの支援を元に戻したことだ。
ファルスト公は削減した支援の代わりに軍事費を増強し、軍拡を行ったのであるが、ディッセル候はその軍拡をやめさせた。
「ファルスト公も、奇特な方でした。軍に金をかけたところで増えるわけでもあるまいに、無用な金をかけるとは。軍の連中も愚かですな。無益な戦いに命をかけ、犬死した者も大勢いただろうに」
「軍人の思考などいちいち考えることなど無駄だ」
すっぱりと切り捨てるディッセル候に、ヴァンデル伯も同意する。
枢軸軍に参加し、多くの戦死者を出したのは事実であり、ミスリル王国を直接潤すことは無かった。
だが、それまで参加すらせず、外敵相手に手助けもしないミスリル王国が、身銭どころか身命を賭して戦いぬいた結果、枢軸国からの信頼を得ることが出来た。
こうして、ミスリル王国は諸外国との信頼と共に、貿易額を増やすことにも成功したのであるが、大半の貴族たちはこの成果がどのようにもたらされたのかを理解していない。
「ヴァンデル伯、私はファルスト公とエフタル公によって曲げられたミスリル王国を取り戻すつもりでいる」
ミスリル王国のあるべき姿、それは、ファルスト公が行った政策の逆を意味する。
他国との繋がりを無くし、ひたすら自国のことだけを考え、軍事費を削る。
ただそれだけと言ってしまえることではあるが、これはディッセル候やヴァンデル伯ら、一般的なミスリル王国の貴族たちの共通理念でもある。
他国がどうなろうと知ったことではなく、自国が繁栄していればそれでいい。
そして、軍事費に金をかけるぐらいならば、自分たちの懐を潤してほしいという、我が身さえ富貴ならばそれでいいと我欲に満ちた思考が根底にある。
彼らが求めるあるべき姿のミスリル王国は、確実に斜陽から亡国への道を歩み始めていたのであった。
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