第3話 大義を求めて 前編

 あの日、アレックスから直々に婚約破棄を言い渡された時、アイリスは自分を裏切った婚約者である彼と、それを寝取ったフローラに報復することを決意していた。


 自分の意思で選んだ婚約ではないが、反対したこともなく、公爵令嬢としての責務を果たすためにアイリスは進んでそれを受け入れ、王妃教育を受けつつ、アレックスを補佐していた。


「やはり、それが目的でしたか」


 アウルスは無表情のままにそう言った。


 どれほど温厚な淑女であったとしても、親を介した婚約を浮気によって破棄されたとすれば、悪魔になるのも無理はない。


 ましてやそれが、国王と元帥であれば猶更の話だ。


「この婚約は、先王陛下と父、そして半年前に亡くなられた前宰相であるファルスト公の仲介の元に成立しました。この婚約破棄は、エフタル家だけではなく、先王陛下と宰相閣下の面子をも潰しているのです」


 アイリスはやや怒気を込めてそう言った。


 近隣諸国が争い国力増強を図っている中で、ミスリル王国は豊かな鉱物資源があることからその争いへの対処に出遅れていた。


 それに対し、まずは外よりも内部の結束を優先させたのが前宰相であったファルスト公爵である。


 ファルスト公は温厚だが銃をつきつけられても怯まぬ性格であり、各国の争いの仲介を進んで行ってきた外交と交渉の達人でもあった。


「ファルスト公にも私はお会いしたことがあるが、弱腰な外交官が多い中で、あれほど胆力に優れた人物は見たことがない」


「私にとっては良き叔父のようなお方でした。父とファルスト公は親友でしたから」


「ミスリル王国が一番盤石であったのは、ファルスト公とエフタル公が文武の両輪となられていた時ですな。あの頃のミスリル王国に手出しした者は、皆敗者となった。つくづく、亡くなられたのが惜しまれる」


 アウルスは深くため息をつくと、アイリスは思わず目頭が熱くなる。


 ファルスト公は誰に対してもへりくだることもなく、尊大にもならず、敬意を持って接する貴族の鑑のような人物であった。


 アイリス自身も誰よりも国を愛し、尽力してきたファルスト公のことを父と同じく尊敬していた。


「で、ファルスト公が亡くなった結果、全てを蔑ろにしてしまったというわけですが。これは、エフタル公もお怒りでしょうな」


 アイリスは静かに頷く。


 実際、事情を確認した父は今まで見たこともないほどに激怒していた。


「あなたのご兄弟も、優れた軍人と聞いています。ましてや、エフタル公はミスリル軍から崇拝されている方だ。支持者も多数いるでしょうに」


 エフタル家は代々軍人の家系であり、アイリスの三人いる兄たちも優れた軍人であり、人望を有している。


「当然ですが、エフタル家と縁戚になっている有力貴族たちや、軍部すらも敵に回すことになる。アレックス王は実に、愚かな決断を下していますな」


 アウルスの言ってることは決して大ごとではない。


 軍の総帥であり、大貴族である人物の令嬢との婚約を解消し、それよりも遥かに家格や実績で劣る令嬢と婚約した。


 前者に向かって泥を塗るどころか、頭から糞尿をぶちまけるほどに無礼なことをやっているのだ。


「それで、とうとうエフタル公も耐えかねてしまったと?」


「はい、兄たちも大激怒しております」


「あなたとしては、その後ろ盾として私の力を借りたいということか?」


 訝しみながら、アウルスはアイリスを眺める。


 意外に食いついてこない所に、アイリスは内心驚いているが、悩んだ末に決断したことを思い出す。


「その通りです。これほどの恥をかかされた上に、あのような暗君にこれ以上仕えることはできません」


「本来ならば内乱や離反が起きてもおかしくはないが、まあ、そんなことも理解できないようではミスリル王国の未来も暗い」


「まさにその通りです。どうせ滅びてしまうならば、我々としては名君の元で善政を敷いてもらいたいのです」


「名君か」


 アウルスは悩む仕草を見せるが、アイリスはアウルスを間違いなく名君であると思っている。


 マクベスの第四王子でありながら、ロルバンディアをたった四年で復興させ、繁栄にまで導いた手腕は名君と言えるだろう。


「ちなみに、この話は私以外の国に持っていったのかね?」


 アウルスの質問にアイリスは首を振った。


「いいえ、大公殿下だけです」


「それは、私が一番与しやすく、利用しやすいということかな?」


 アウルスはやや鋭利さを纏った口調でそう言った。


「とんでもない、殿下はこのロルバンディアを統治されています。ロルバンディアの民は無論のこと、官僚や旧ロルバンディア軍の者たちをも決して粛清しておりませぬ」


 ロルバンディアを征服したことから、アウルスは一部の者達に征服王子、血塗れの大公などと揶揄されている。

 

 だが、実際はきちんと降伏勧告を行い、旧体制下での人材をしっかりと取り込んでいた。


「殿下は敵対した者であっても、筋を通した者、国家への忠誠を果たした者も受け入れ、優れた人材であれば厚遇までされている」


「人材は決して豊富ではない。優秀な人材を集めるのが、君主としての責務だと私は思っている。故あって敵対することになったとはいえ、罪のない者達を殺傷するほどの外道になったつもりはない」

 

 落ち着きながら、アウルスは二杯目の茶を啜る。


「だが、そこまで言いながら私に内乱への助力を求めるとはあまり関心しませんな」


 先ほどまでの愛嬌が嘘であったかのように、アウルスは冷静沈着にアイリスを見つめていた。


「確かに、アレックス王は無道なことをやっている。あなたにも、そしてあなたの父君であるエフタル公に対しても。あの国王はミスリル王国を二つに割り、内乱を起こされても仕方がないことをやっている。だが、それに私が手助けするメリットがどこにあるというのかな?」


「それは殿下に新たなミスリル王国の王として……」


「私に簒奪者になれと?」


 不機嫌さを一切隠さない発言に、アイリスは反論ができなかった。


 まるで、自分を射貫くような目を向けられ、動けずにいたのだ。


「私がロルバンディアを制圧したのは、旧政権の度重なる不法行為に対しての制裁だ。旧政権は、マクベス王国に対して違法な交通料を徴収してきた」


 広大な宇宙空間と言えども、どこにでも行けるわけではない。


 ブラックホールやエネルギー流、隕石群や流星群、異常重力地帯など、危険な場所も多数多く存在する。


 また、目的地と目的地を点と線で結ぶ場合、輸送コストや納期などを含めれば、必然的に航路上の要衝や拠点は決まってしまう。


 そこに通行税や交通料を徴収すれば莫大な利益を生み出すことも可能である。


 特にこれといった産業を有していないが、航路上の中継地などを抱えている国にとって、数少ない収益源であり、周辺航路の安全確保のために常識の範囲内で設定している国がほとんどである。


「旧政権では、我が国の交易商人に対して法外な交通料を徴収し、挙句の果てには無用の徴発や拿捕まで行ってきた。何度もやめるように警告しても、戦争になることすら警告したにもかかわらず、彼らはやめなかった」


 その結果の果てに、旧大公家はマクベス王国からの侵攻を受け、滅ぼされてしまった。


「不法な行為を続け、度重なる警告を無視すれば、戦争へと発展する。交渉で解決できないのであれば、戦争になるのは致し方ない」


「旧政権は報いを受けたということですね」


「その通り。そして、私は戦争を恐れぬが、戦争を好んだことは一度もない。特に、大義名分すらない戦いに参戦するほど、愚かと思われては不快ですな」


「それは愚かな王に対しての……」


「それはあなたにとっての大義名分だ。反乱を起こしたとて、咎める者などおりますまい。勝っても負けても、あなた方の名は残る。だが、私はあの愚かな王から無礼な目に遭ったことも、粗相すらされたことはない」


 そこまで言われてアイリスは初めて気づかされた。


 アウルスは決して戦いを好むわけではないこと、そして、大義名分すらない戦いを行うつもりはないことを。


 全ては、アイリスとエフタル家の問題であり、そこにアウルスらロルバンディア大公国が参戦する理由にはなり得ぬのである。


「私は大義名分の無い戦いはしない。私の命令一つで、我が忠臣たちは命を惜しまずに働き、そして戦う。だからこそ、その命を下せる私が激情に任せては彼らの忠節に報いることすらできない」


 ぐうの音も出ない真っ当な正論を突きつけられ、アイリスは何も言い返すことができずにいた。


 同時に、これほど真っ当なことを堂々を言い切るアウルスにむしろ好感を覚えたほどだ。


 仮にも大公国を征服した器は覇者と呼ぶにふさわしく、同時に名君としての資質が溢れている。

 

「殿下、一つよろしいでしょうか?」


「悪いが、あなたと話をしたいのは山々ではあるが、そんなきな臭い話はこれ以上付き合えない……」


「お待ちください!」


 自分の覚悟は甘かった。その甘さを反省したアイリスは改めてこの覇者の心を動かすための方法を必死で模索する。


 この覇者には情は無論のこと、利で動かすことも不可能だ。


 かつて父が言った「利で動かず、情に流されないものこそが真の名君」という言葉を思い出し、アイリスはアウルスが求めるものを提案しようとする。


 彼が求める大義名分がないわけではない。


 それは途轍もなくか細い代物ではあるが、自分は決して遊びでここに来たわけではない。


 自分もまた、交渉という戦いに来たのだから。

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