第2話 覇者との対峙 後編

 エフタル・ソル・アイリスは久々に緊張していた。


 若き名将、若き覇者と呼ばれるロルバンディア大公、マクベス・ディル・アウルスに会うのだから当然と言える。


 だが、彼女も父とはいえ、公爵にして元帥である父を持ち、元が付くが国王陛下の婚約者として王妃教育を受けてきた。


 高位者に会うのは今回が初めてなどではないと心を呟きながら、アイリスはアウルスの執務室へと招かれる。


「失礼いたします」


 従者に招かれ、通された執務室は簡素であるが無駄がなく、綺麗に清掃された生活感があった。


 高級感よりも頑強で質実剛健な机の上で、金髪の青年がこちらを眺めていた。


 思った以上に若く、爽やかな笑顔をしていた。


「来訪歓迎いたしますよ、エフタル公爵令嬢」


 笑顔でそう言うと、青年はアイリスをソファーへと誘導し、茶を用意させた。


「ロルバンディア産の茶を用意しました。どうぞ」


 洗練された手つきで、アウルスは自らティーポットから茶を注いでいた。


「連合風のもてなしですか?」


「ほう、ご存じかな?」


「本や情報で得たものですが、実際に行っている方を見るのは初めてです」


 意外そうな顔をするアウルスだが、それ以上にアイリスはこの若き覇者が連合の文化にも精通していることに驚いた。


 連合では主人自ら客人をもてなし、直接茶やコーヒーなどを注いだり、あるいは茶葉や豆の焙煎なども行うという。


 使用人を介さず、あえて自ら行うことで客人に対して真心を伝える為ということから、連合に近い国々ではその文化が流行っているらしい。


 そんなことを思いながら注がれた茶を、さっそくアイリスは飲んでみた。


 ミスリル産の茶よりも上等なのは言うまでもないが、想像以上に美味であることに驚いてしまう。

 

 口にした瞬間柑橘類に近い風味と共に、渋さの中に甘みが混ざりあい、渋みが旨味として感じられるギリギリのラインでとどまっている。


 故に、後口がサッパリとしており、喉を潤すにはちょうどいい。


「お口に合いましたか?」


「ええ、とっても。ロルバンディアの茶はこれほどまでに美味であるとは思いませんでした」


 これほどまでに美味な茶を入れてくれるということは、自分の事を歓迎してくれるのかもしれないとアイリスは多少の期待を込めた。


「ところで、エフタル公はお元気ですか?」


「父をご存じなのですか?」


「ええ、あなたの御父上には連合との戦いで大変お世話になった。用兵の神髄というものを体験させていただいたのでね」


 帝国と連合はたびたび戦いを繰り返してきた。


 開戦理由は様々ではあるが、連合の加盟国と、帝国を中心とした枢軸国との抗争が大半だ。


「あれは、私が准将になったばかりのころ、連合軍がマクベスへと攻めてきた際に、エフタル公がミスリル軍を率いて救援に駆け付けてくれた頃だった。私は枢軸軍の一員として、エフタル公の幕僚を務めていた」


「父とそんな接点が」


 父であるエフタル公のことを知っているということで、アイリスはこうしてロルバンディアへと招かれ、大公であるアウルスとの面談を果たせた。


 意外な接点であると同時に、アイリスは父に改めて感謝する。


「父は元気です。ただ、最近は老齢の為か体のキレが悪くなったと愚痴をこぼしておられますわ」


「元帥らしい。あの戦いの時も一番の最年長にもかかわらず、元帥殿は戦意に溢れ、部下たちを鼓舞されていた。体はともかく、心が元気であればそれに越したことは無い。またお会いしたいものだ」


 どこか懐かし気に話すアウルスの表情には、陰のようなものが一切見えない。


 貴族や王族たちが持ちえる、本音と建て前を隠すことを繰り返していく中で歪な表情となる陰険さが見えなかった。


「ところで、ロルバンディアに来られたのはどのような理由で?」


 訪問理由を尋ねられ、アイリスは思わずティーカップを持つ手が止まった。

 

 アウルスの表情は穏やかではあるが、獲物を見定める狩人、いや、そんな生ぬるい表現では済まないぐらいの眼力が向けられている。


 獲物は獲物でも星や星域をも超える、大公国を征服した覇者であることを、アイリスは分からされてしまい、無駄な駆け引きをすることの愚を悟った。


「殿下は、私が婚約破棄されたことはご存じですか?」


 アレックスやフローラたちには啖呵を切ったとはいえ、全く傷つかないほどアイリスは女であることを捨ててはいない。


 恋をすることや、愛する人との出会いは婚約した際に捨て去ったが、憧れなかったわけではないのだ。


 それだけに心には細く、それでいて長く鋭い棘が刺さっていた。


「ええ、存じております。災難でしたな。それにしても、あなたのように英明で優れた才女であり、エフタル公という軍の宿老との繋がりを捨てるとは、ミスリル王も随分と大胆な決断をされたものだ」


「そうですわね」


「ましてや、先代の国王との約定であり、エフタル公を外戚とすることで国をまとめ上げ、王権を盤石なものに出来るはずなのに。アレックス王は果たして、どのような政治を考えておられるのでしょう?」


「私には陛下のお気持ちは分かりません。分かっていたならば、このようなことにはならなかったでしょうから」


「古いことわざですが、このようなものがある。地を這う蛇に、天翔けるドラゴンの気持ちは分からないと。あなたのような令嬢をドラゴンに例えるのは無礼ではありますがね」


 さりげなくではあるが、アウルスはアレックスを盛大にこき下ろしていた。


 他国に住む者ですら、アイリスとの婚約にどれほどのメリットがあるかを理解しているかをわざわざ話している。


 その上で、蛇とドラゴンの逸話という、枢軸国内であれば誰もが知っている話を持ち出すことで、アレックスがいかに愚かであるかを揶揄しているのだ。


「で、あなたの後釜に座ったのが伯爵令嬢の、誰でしたか?」


「フローラ嬢です。父君はヴァンデル伯ですわ」


「たしか、外務大臣を務めておられたような?」


「ええ、よくご存じですね」


「ああ思い出した。たしか、連合との折衝がえらく苦手な方だ。他にも、ベネディアやブリックス、マクベスでも不評を買っていると」


 思わずアイリスは紅茶を飲む手が止まる。


 ヴァンデル伯はアウルスが言うように、外務大臣としての資質に欠けている。


 小国に対してはミスリル王国の名で威圧することはできるが、ミスリル王国以上の序列と国力があるマクベス、ベネディア、そして一番の大国であるブリックスに対しては、借りてきた猫のようにおとなしくなってしまう。


 それ以上に、枢軸国の序列など気にしない連合に至っては、全く相手にされておらず、徐々に拡大していたはずの連合との貿易は、一気に縮小され、実質的に取引が停止されているほどだ。


「子は必ずしも親に似るわけではないが、同時に絶対にわけではないものですな。これは婚約ではなく、災厄を招く儀式のようなもの。幸せになりたいのか、不幸になりたいのかまるで分かりませんな」


 熱い茶を飲んだにもかかわらず、アイリスは背中に冷や汗が流れていた。


 この若き覇者はミスリル王国の内部や外交事情にすら精通している。


「人は、自分よりも高位の存在であれば嫉妬をするが、自分よりも劣った存在であれば逆上する。あなたがそうなる気持ちは、私もよく分かるつもりですよ」


「何のことでしょう?」


「アイリス嬢、あなたは賢い方だ。そして、エフタル公譲りの勇気と気概を持ち合わせている。そんなあなたが、単なる傷心旅行でこのメルキアまで来るはずがない」


 的確な情報収集と分析、そして優雅に茶を飲んでいる姿はロルバンディアの大公としての気品と器量を体現させているように見えた。


 やはり、アウルスはアレックスなどとは比べ物にならないほどに優れていた。


 そこまで見抜かれているならば、正直に話した方がいいだろう。


「やはり、大公殿下には隠し事などはできませんね」


 茶を飲み干し、アイリスは丁寧にティーカップを置く。


 一息を突きながら、真っすぐにアウルスを見据えるが、この若き大公はアイリスを一切軽んじることなく、同じく自分を見据えていた。


「私がここに来た目的は一つ、大公殿下にご助力を頂きたいのです。我々の反乱を」


 アイリスはついに、真の目的を明かしたのであった。


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