第1話 メルキアの出会い

 嫌な夢を見た。


 二週間前の忌々しい光景に、ため息をつきながらアイリスは目を覚ます。


「お嬢様、お体は大丈夫ですか?」


 枕元で、眼鏡越しの表情で侍女のセリアが心配そうな顔をしながら気遣ってくれた。


「いえ、少しだけ嫌な夢を見ただけよ。気づかい感謝するわ」


 幼い頃から自分付きの侍女であるセリアは、実の姉妹のような関係を築けている。


 彼女の優しさに、アイリスは少しだけ気持ちが楽になった。


「ありがとうございます。それよりお嬢様、もうじきメルキアへと到着いたします」


 手にしたモバイル機器と、モニターには、目的地である惑星メルキアまでの到着時間が記載されていた。


「後三十分ね、ずいぶん寝たものだわ」


 アイリスは、実家から惑星メルキア行きの旅客用宇宙船に登場し、二日間の旅へと出ていた。


 最初は解放感から好き放題に遊んでいたが、遊び過ぎて疲れて一日近く寝てしまったらしい。


「本当によろしいのでしょうか?」


「何が?」


「今回の旅です。お嬢様から目的は聞かされていましたが……」


 セリアはどちらかというと、自分の至らないところを指導してくれる侍女であるが、今回ばかりはその彼女が心配するほどある意味危険な旅であった。


「セリア、あなたも大公殿下にお会いするのが怖いのかしら?」


 イタズラっぽく話すアイリスに、セリアは口元に指を添えて沈黙するように促す。


「そういう問題ではありません! 確かにあの方は恐ろしいお方ではありますが」


「そうね、正直言うと私も怖いわ。あの方はたった三か月でロルバンディア大公国を滅ぼしてしまったのだから」


 ロルバンディア大公国はミスリル王国とは非常に関係性が深い友好国であった。


 いくつもの主要航路、いくつもの加工技術を有していた技術大国であったが、今から四年前に征服され、前大公とその一族のほとんどは処断されている。

 

 その為、現大公は他国から容赦がないことと、天才的な軍事的手腕から非常に恐れられていた。


「何も、お嬢様が直接お会いしなくてもよろしいのでは?」


「セリア、それは実家にいた時から説明したはずよ。通信越しでは意味がないわ。直接お会いし、話さないと」


 現在のロルバンディア大公は間違いなく名将であり、一筋縄ではいかない人物である。


「それに、大公殿下がどんな人物か、興味があるわ」


 悪魔だの魔王だのと、現大公に恐れと侮蔑を呟く者達は大勢いたが、共通しているのは決して無能と呼ぶ者は一人としていないことだ。


「幸いにも、お父様に敬意を持っているのだから、そこまで悪い人間ではないはずよ」


 婚約破棄され、それを癒すためという名目で父に泣きついたアイリスは、紹介状を書いてもらったことでロルバンディアへとやってきた。


 その返礼では、アイリスの父エフタル公への敬意が述べられており、アイリスの安全を保障することを約束していた。


「それに家族以外で有能なお方に会ってみたかったのよ」


 その一言に、セリアは複雑な気持ちになる。


 アイリスはアレックスを筆頭に、王宮にてろくでもない人物ばかりと接してきた。


 婚約破棄されたことに対する傷心旅行というのは、決して嘘などではない。


 婚約が決まってから、アイリスは誰よりも努力し、王妃になるための教育を受けてきたのだから。


「分かりました。ですが、いざという時は……」


「その時は全力で逃げるわ。あなたも力を貸してね」


 アイリスはセリアの両手を掴んでそういうと、セリアも諦めるのと同時に、主君でもあるアイリスのために臣下としての責務を果たすことを決意した。


****


 惑星メルキア、ロルバンディア大公国の首都星であり最大の経済都市惑星でもある。


 周辺諸国から様々な鉱物資源や物資を集積する拠点であると同時に、多くの金融業を営む者達が多く存在する。


「メルキアの情報は聞いていたはずとはいえ、やはり実際に目にするとスゴイわね」


 メルキアの宇宙港は、ミスリル王国やロルバンディアの宗主国たるマウリア帝国の者達は無論のこと、帝国の支配下にない他国の人々が平気で往来している。


 ミスリル王国ではまず考えられない光景にアイリスは驚愕していた。


「ですが、歴史の重みではトールキンの方が上ですわ」


 セリアの言葉にアイリスも同意する。


 伝統面と風格は、ミスリル王国の首都星トールキンが上だ。


 しかしこの活気、いや、熱量と言ってもいい人と人が交差していくこの風景は間違いなく、ロルバンディア大公国に勢いがあることの裏付けでもある。


「観光ですかお嬢さん?」


 制服姿の金髪の青年に声をかけられ、アイリスは戸惑い、セリアは主君に対して不敬な態度を取る者に警戒の目を向けた。


「え、ええ、辺境から来たものですから。それにしても、メルキアは凄いわ」


「四年前に大公が変わってから、この国は大きく変化しましてね。ブリックス、ベネディア、マクベス、おまけに連合からまで人が来るようになりました。おかげで、我々入国審査官の仕事は増える一方でしてね」


 ブリックス、ベネディア、マクベスは帝国の諸王国の中でも、トップ3に入る大国である。


 連合、正式には星間連合は帝国とは何度も戦争を繰り広げ、銀河系の半分を支配する勢力であるが、彼らは戦争だけではなく交易も盛んに行う。


 ミスリル王国でもブリックスやベネディアとの交流はあるが、流石に連合との取引はほとんど存在しない。


「ロルバンディアには、それだけの魅力があるということかしら?」


「小役人に過ぎない私には詳しいことは分かりません。ですが、入国される方は皆不安になられても、出国される時は皆名残惜しそうにされる方が多いようです。お嬢さんも、この国のことを気に入っていただければ幸いです」


 丁寧にお辞儀をされ、アイリスは戸惑うが、セリアはアイリスの手を引いて「ごめんあそばせ」とその場を後にした。


「決していい国ではありませんね。お嬢様、まずはご予約されたホテルへと向かいましょう」


「そう怒らないで頂戴。でも、いい事を聞いたわ。入国する時は不安であった者でも、出国する時は名残惜む。それほどにこの国はいい国だということね」


「入国管理に携わる者が、あんな破廉恥ではお話になりませんよ」


 鼻息荒く人並みをかぎ分けながらセリアはアイリスと共に、タクシー乗り場へと向かう。


 だが、怒りに任せての隙だらけの行動は、盗人にとっては最高の一瞬でもあった。


 普段ならば気づいていたであろう、宇宙港には似つかわしくない薄汚い恰好の男が、セリアが手にした荷物を奪うことなど。


「もらった!」


 男はセリアが手にしていたハンドバッグをひったくると、全力で人混みへと逃れていく。


「セリア!」


 アイリスは荷物よりもセリアを気遣うが、セリアはアイリスの手を振りほどく。


「お気遣いなく。すぐに戻ります!」


 そう言うと泥棒を追いかけようとしたセリアではあるが、走りだそうとした瞬間に、人混みが突如として分かれていく。


 すると、先ほど話しかけてきた金髪の青年が、泥棒の首根っこを押さえてやってきた。


「大変申し訳ございません。この泥棒の対処はこちらで行いますので、どうか、メルキアの滞在をお楽しみください」


 洗練された仕草で、青年は取り返したハンドバッグをアイリスに渡すと、そのまま持ち場へと戻っていった。


「お嬢様……」


「どうやら、大変な国に来てしまったようね」


 ひと騒動起きるところが無事解決し、本来ならば喜ぶべきなのだろうが、どこか二人はもやりとしながらタクシー乗り場と向かったのであった。


****


「間違いありません、旧体制下でこの男は少将でした」


 青年は椅子に座りながら報告を聞き、目の前にいる泥棒、いや、元少将を眺めていた。


 旧体制下では軍務省の官僚であり、それなりの出世をしていたようだが、四年前の敗戦の結果、現体制について行けずに辞職し、今では食い扶持を失い、泥棒で生計を立てるほどに落ちぶれてしまったようである。


 ちなみに、元少将のこの泥棒は椅子に縛り付けられ、顔面を数発殴られていた。


「仮にも少将の地位にあったものが泥棒か、落ちぶれたものだな」


「き、貴様らが我が国を侵略したからではないか!」


 青年に怒鳴りつける元少将殿ではあるが、青年は冷ややかな態度のままであった。


「貴様らの侵略のおかげで、この国は大きく変わってしまった。平然と他国の者がやってくるおぞましい国に」


 旧体制下において、ロルバンディアは排外的な国で有名であった。しかし、四年前の敗戦で新体制となって以来、それまでの排外主義から一転して開かれた国家となり、そのことに不満を持つ者も少なくはなかった。


「だからこそ、貴様らは負けた。今、この国は四年前以上に豊かな国となっている。犯罪率も低下しているほどだ。まあ、貴様のような愚か者がいる為に、ゼロにはできないがな」


「そうやって民を懐柔出来たとしても、貴様ら侵略者にはいずれ鉄槌が下る! 貴様らは侵略者にして簒奪者だ!」


 青年は元少将を椅子ごと蹴とばし、壁へと叩きつけると、さらに数回顔面を殴りつけた。


「そんなことが出来るならば、我らは四年前に鉄槌が下っている。あの時、国が一度滅びそうになった時に何もできなかった者が、今更何ができる? それに、貴様は薄汚い泥棒になるまで落ちぶれているが、そこからどうやって鉄槌を下す?」


「うぐぐ……」


 歯が折れているのか、顎が砕けているのか、上手くしゃべれないままに元少将は青年を睨みつけるが、青年はそれ以上に冷酷な目で彼を文字通り見下していた。


「それぐらいにしておきましょう。ここは処刑場ではありませんので」


 部下が青年を引き留めると、青年は不愉快な顔をしながら椅子へと座る。


 そして部下は元少将殿の身を引き起こすと、五発ほど平手打ちをし、わざと顔を近づけて、睨みつけた。


「助かったと思うなよ、貴様には反体制の容疑もかかっているのだからな。せいぜい、己の所業を悔やんでおけ」

 

 念を押すと、元少将の股間から汚水が垂れ流されていく。


「やり過ぎだ。お前が一番ひどいことをやっているぞ」


「いやいや、殿下が一番乱暴ではありませんか。入国管理官のフリまでして、少しは自覚を持たれた方がよろしいですよ」


「自覚があるからこそ、わざわざ怪しい者に対処している。まあいい、とりあえずこの愚か者をしっかりと取り調べておけ」


「かしこまりました、大公殿下」


 彼の名はマクベス・ディル・アウルス、現在のロルバンディア大公国の大公にして、四年前にロルバンディアを征服した侵略者であった。

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