国王さま、婚約破棄の代償は戦争で落とし前つけていただきますわ
ヤン・ヒューリック
プロローグ
「エフタル・ソル・アイリス、本日をもって貴様との婚約は破棄する!」
アイリスは婚約者からの発言に耳を疑い、呆然としていた。
「なんだアイリス? まだ現実が受け入れられんのか?」
現実を受け入れられないのではない、信じられないのだ。
確かに自分と目の前にいるこの男、アレックスとは確かに婚約を結んでいた。
だがそれはお互いに望んだ婚約などではない、完全なる政略結婚のためである。
アイリスはこのミスリル王国の公爵令嬢として、ミスリル王国国王となったアレックスとの婚約が決まっていた。
「あらぁ? アイリス様は聡明なのにどうしちゃったのかしら?」
甘ったるい不快な声で自分の婚約者の隣に座っている縦巻ロール髪の少女に、アイリスは眉を顰める。
「いえ、正気の沙汰とは思えませんでしたから。それに、私は
アイリスはアレックスに愛情を持っているわけではないが、公爵令嬢としての義務として、王国に仕える貴族の一員としてこの婚約を受け入れていた。
その為に王妃教育まで受けていたほどである。
それを受けていないフローラに
「アイリス! 貴様、フローラへの侮辱許さんぞ!」
「いえ、王妃教育も受けていないフローラ嬢が陛下のお傍にいるので、てっきり彼女は妾になろうとしたのかと思っただけです」
正式な婚約者である自分ではなく、フローラを気遣う態度にアイリスは静かだが激怒していた。
元々、二人はアイリスが王妃教育を受けているタイミングで、ちょくちょく遊び歩いていることは耳に入っていた。
おそらく浮気をしているのだろうと思っていたが、案の定であったらしい。
「それに、私との婚約は公爵にして元帥である我が父と、先王陛下との元で決められた代物のはず。それを蔑ろにされるのは如何なものでしょうか?」
アイリスの父はただの公爵ではない。
軍人としてこのミスリル王国の軍総司令官、軍務大臣まで勤め上げた歴戦の名将である。
その勇名は近隣諸国にも轟いているほどだ。
「ふん、それがどうした? それに私は貴様ではなく、このフローラを婚約者にするつもりだ。すでにフローラの父であるヴァンデル伯とは話が付いている」
ヴァンデル伯は王国の外務大臣を務めている有力貴族ではある。
しかし、諸国への影響力という意味であれば四十年にも渡り軍を率い、時には同盟軍を率いては折衝し、各国との仲介も行ってきたアイリスの父であるエフタル公にも及ばない。
「なるほど、つまり陛下は私ではなく彼女を後釜になさるおつもりだったのですね」
「後釜ではない、正式な婚約者だ。彼女こそが私の意志で選んだ正式な婚約者なのだからな。勝手に親同士で決めた婚約など、何の意味がある?」
「先王陛下の意思を無為にするつもりですか?」
「やかましい! 大体お前はいつも小言がうるさい! フローラは貴様とは正反対だ。彼女はいつだって私を受け入れてくれる。私は彼女に真の愛情を見つけたのだ!」
強くフローラを抱きしめるアレックスは、彼女を愛でるが、フローラをそれを受け入れつつも、アイリスにしてやったりという陰湿な表情を見せつける。
そんな姿に呆れながらも、猶更アイリスは怒りがこみあげてくる。
確かにフローラと自分は中身は無論のこと、外見も全てが正反対と言ってもいい。
アイリスは黒髪のロングヘアのストレートで、フローラは金髪のウェーブがかかった縦巻ロール。
さらにアイリスが流麗で理知的な才女、フローラは反対には可愛さを持った小動物のような愛くるしさを持つ。
「なるほど、陛下は自分をあやしてくれる乳母のような存在を求めておられたのですね」
アレックスは決して英明ではない。
故に王としての教育も決して順調ではなく、それを補うために王立学園を首席で卒業し、王立大学をも飛び級で卒業した自分が選ばれたことをアイリスは思い出した。
「まあ、アイリス様は本当に怖いお方ですこと。かつての婚約者、それも陛下に向かってそのような言葉遣いをするなんて」
嘲笑うフローラだが、彼女は王立学園では下から数えた方が早いほどの劣等生であり、落第しかけたところを父親からの賄賂で何とかクリアしたことで有名であった。
だが、その外見から常に男たちに言い寄られており、蝶よ花よともてはやされていた。
「そうですね、フローラ嬢には負けますわ。私は父を筆頭に三人の兄たちに厳しく鍛えられました。父や兄たちに落第どころか赤点を取っただけでも激怒されましたので」
「な!」
フローラの顔が真っ赤になるが、アイリスはさらに追撃する。
「お言葉ですが、愛情とは甘やかすだけではありません。時には厳しさを持ち、本人に責任感と使命感を持たせ、己で己の生きていく術を身に着けることもまた、愛情でございます」
「また始まったな。お前はいつも女の分際で出しゃばり過ぎる!」
「それが私の使命であります故。私は陛下に嫁ぐことを、このミスリル王国に嫁ぐことと同じであると思っていました。多くの臣民たちの模範となり、彼らの生活と安寧を守ること。それこそが王妃たる者の使命であると思っていました」
周囲の貴族たちや騎士、女官たちですらアイリスの発言に若干身を正していた。
王妃教育を受ける中で、アイリスは王妃とはそのような存在であると思っており、それはまさに国家を支える者が持つべき使命であったからだ。
「フローラ嬢が寵姫や愛妾のように振る舞うならば、それにふさわしい身の丈に合った立場を求めるべきでしょう。ですが、ここにはその考えも分別も持ち合わせてはおらぬようですわね」
王妃教育すら受けていない、家柄は無論のこと才覚すら劣る彼女が自分の後釜になると聞いた時点で、アイリスは未来の王妃となることも、復縁することもきっぱりと諦めていた。
それ以上に分別が付かない愚かな王と、その王の寵愛を受けることしかできない愚かな女と同じ空間にいたくはなかった。
「国王陛下、婚約破棄の件、謹んでお受け致します。本日をもって私は故郷へ帰らせていただきます」
堂々と啖呵を切り、アイリスは周囲の侮蔑や憐れみも、元婚約者の国王や愚かな伯爵令嬢も無視し、堂々とその場を後にした。
後に、この婚約破棄は国王アレックスがアイリスを持て余したことから、愛想をつかされたと歴史書に記載されることとなる。
さらにこの婚約破棄により、ミスリル王国は未曽有の大戦争へと巻き込まれることになることをこの場にいる者達は誰も知らなかったのであった。
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