第十四話 秘密
「うっ、美味い……!?」
レクシーがローザの旅に同行することが決まってから二日後、レーダックの街から去り次の目的地ウォードを目指して歩み始めたローザが二人旅最初の夜に放った一言が、夜の闇の中響き渡った。
料理。それは旅を続けるレクシーの、ささやかな楽しみであった。旅先で食べた料理の味を覚え、可能であれば材料を聞き出し、自分で試してみる。そんなことを繰り返しているうちに彼女の料理スキルは上がり、そしてこの日、遂に初めて自身以外の人間がその料理を口にした。
レクシーが作ったのは事前に買っておいた食材を使った野菜多めのスープ。反応から察するに、ローザの口に合ったようである。
「ふふ、そうだろうそうだろう、なんたってお気に入りのレシピだからね」
「お前、料理出来たんだな」
「意外だったかい?」
「ああ、凄くな」
「趣味みたいなものでね、調理道具も簡単なものは荷物として持ち歩くようにしているんだ」
上機嫌に調理で使った器具を洗い、片付けて言う。
「これから料理はボクに任せてよ」
「いいのか? 作ってもらってばかりだとなんだか悪いような気もするが……」
「キミには結界を張ってもらっているからね、その分のお返しさ」
「そうか、ならお言葉に甘えるとしよう。実は私は料理があまり得意じゃなくてな、助かるよ」
「助かっているのはお互い様さ」
魔物除けの結界を使うことが出来ないため、今までは料理をするにも周りをかなり警戒しながらでないといけなかった。それが解消されて嬉しいのだろう、レクシーはいつにも増してテンションが高かった。
焚火の前でスープを飲みながらその様子を見て、なんだかんだで楽しい旅になりそうだとローザは思った。
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「――そういえば、お前には随分と色々な噂が流れているよな」
旅の道すがら、暇つぶしの会話中、ふとローザはレクシーについての様々な噂を思い出した。
「どこかの国の王族とか、王国の騎士とか、貴族の私兵とか、魔人とか、本当に色々だ」
彼女の正体についてそこまで様々な憶測が飛び交うのは、彼女についての情報が無いからだ。
ここで言う情報が無いというのは、どこでどんな活躍をしたとか、どんな性格なのかとかいった話ではなく、彼女の過去に関することを誰も知らないという意味である。
大体の場合、本人が何も語らなくとも、他の誰か――例えば知己の者などから情報は出てくるものだ。
だが、レクシーの知己の者だと名乗る者は現れない。正確にはそう嘘をつく者はいるのだが、真にレクシーの過去を知るという人間は誰一人名乗り出ていない。
だからこそ、「正体を知る者に何か大きな力が働いていて口止めされているのでは」だとか、「レクシーは魔人が化けた存在しない人間だから、彼女の過去を知る者がいないのでは」といった噂が生まれるのである。
「ああ、そうだね。みんなボクの正体に興味があるみたいだ、人気者の証拠かな?」
「まあ実際、人気者ではあるだろ。……で、実際どうなんだ? 噂の中にお前の正体を言い当てているものはあるのか?」
分からないことがあれば、知りたいと思うのが性であるという人間は多い。
それはローザも例外ではないようだ。
出会う前から何かと名前と噂は様々な場所で聞いていたし、実際に出会ったら出会ったで、彼女に対しての疑問は減るどころか増えた。
ならばこれを機に色々と聞いてやろうと彼女は思ったようである。
「おっと、キミもボクの正体に興味があるのか。『薔薇の魔女』の興味までも引いてしまうとは、ボクはなんて罪な女なんだろう……」
彼女はわざとらしく頭を抱える仕草をして、そしてこう続けた。
「キミは、隠された真実に価値があることってどれくらいあると思う?」
「え?」
「ボクはね、個人が秘密にしていることって、他人にとっては
その口から語られたのは、秘密という概念に対する彼女の持論であった。
「まあ当然、価値ある真実だってあるさ。地位の高い人間は、その行動ひとつとっても自分以外の誰かに影響を及ぼす。そういう人間が知られたくないと隠すものは、隠したもの自体に大きな価値があることは少なくない」
前髪を指先でいじりながら彼女は言う。
「でも大体の場合、秘密というのはその奥の真実自体に価値があるんじゃなくて、『秘密である』という状態の真実に対し、他人が勝手に
「……何が言いたいんだ?」
「真実っていうのは知ったところで自分に大した影響を及ぼさないような至極ど~~~でもいいことであっても、ひとたび『秘密』という状態が加われば、秘密である間はその価値が跳ね上がる」
彼女はここで一呼吸置いてから、再度口を開いた。
「――そして、秘密が暴かれれば、他人にとってもうその真実は『どうでもいいこと』に成り下がる。ボクの正体なんていうのは、そういう『知ったところで毒にも薬にもならない』類のものってこと」
秘密という状態は一種の魔法だ。
その魔法にかかった真実を、人は勝手に神格化してしまう。解ければ、神格化された真実は現実としてそこに現れて、人々は大抵、その想像と現実の差に「なんだこんなことか」と落胆して興味を失う。
それは、ローザにも覚えのあることだった。秘密にする側としても、秘密を追求する側としても。
「なる、ほど……」
「流れている噂の中に、ボクの正体を言い当てているものはあるのかって質問だったね。答えはノーさ。ただ個人的に出身を言いたくないから言っていなかっただけなのに、みんな大それた予想ばかりするものだから困ったものだよ、まったく」
やれやれ、と肩をすくめる。
「つまり、レクシー=ウィングスは王族でも騎士でも貴族の私兵でも魔人でもない……」
「そういうこと、ただのその辺の村娘だよ、ボクは」
言いながら、レクシーは蝶の髪飾りを外す。すると彼女の金色だった髪は、茶髪に早変わりした。
「ほら、髪色も本来はこの色だし」
「うおっ!? ほ、本当だ……。魔道具だったのか、その髪飾り」
「一人称と口調も意図的に変えてるのよね~、本当は
「へ、へえ、随分と印象が違うな」
彼女はローザに畳み掛けるように自分の素を出していく。
「ああそうそう、レクシーも本名じゃないのよ、ただのキャラ付けの偽名なの」
「名前まで違うのか!?」
「そうよ?」
「そ、そうか……そうだったのか……」
「ほらね、どうでもいいことだったでしょ?」
さらっと公開された彼女の正体に、ローザはそこそこに驚く。
「いや何が『知ったところで毒にも薬にもならない』だ。レクシー=ウィングスが殆ど嘘で構成されていたなんて中々衝撃の情報だぞ」
「でも皆が知ってる姿とのギャップがあるから知った時は驚くだけで、謎多き人物の正体としては『ただの村娘』ってかなり落胆ものよ? 王族だとか魔人だとか言われてた噂と比べてみなさいよ」
「そ、れは確かに……?」
首を傾げながら、納得したようなしていないような返事をする。
「だから隠してるのよ、ああなんじゃないかこうなんじゃないかって皆ワイワイ盛り上がっていて、もう今更『村娘です!』なんてしょーもないこと言えないでしょ。こんな中途半端な真実なら、いっそのことずっと明かされていない状態の方が面白いわよ」
それが、未だに正体を隠している理由だと彼女は言った。
「そ、そうか……。なるほど、まあ確かに言いたいことは分かった」
「だからローザ、あんたも私の正体については絶対に誰にも言わないこと、良いわね?」
茶髪の少女は指を一本立てて、口元に持っていく。
「まあ、わざわざ言いふらす意味もないしな。分かった、言わないよ」
「ふふん、よろしい」
頷くローザに、茶髪の少女は満足げに笑った。
「あ、そうだ。私本名はオリヴィアって言うの。オリヴィア=ベル。まあ普段はレクシーでいるだろうからあんまり覚えなくてもいいけど、教えておくわ」
「オリヴィア、か。改めてよろしくな」
「ええ、よろしく」
かくして、ここに現状、自分自身を除けば世界にただ一人、レクシー=ウィングスの正体がオリヴィア=ベルであることを知る者が生まれた。
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