第5話 二百三高地

 映画『二百三高地にひゃくさんこうち』(1980年8月2日公開・185分)で、主題歌『防人さきもりうた』(1980年7月10日発売)と挿入歌『聖夜せいや』(2002年8月21日発売)にて参加しております。『防人の詩』のシングルは、通算18枚目となりますが、カップリングは『聖夜』ではなく『とてもちいさなまち』です。その為、発売日が異なります。『おおきなもりの小さな伝説でんせつ』(2002年8月21日発売)にあります。歌が3曲あり、『空色そらいろ子守歌こもりうた』も含まれるのですが、山本やまもと直純なおずみさんが、気持ちがのった書き込みをされており、さだまさしさんはお気持ちを大切にされたと思います。


 映画の音楽監督と指揮を担った山本直純さんは、「第4回日本アカデミー賞・優秀音楽賞」を受賞されております。また、山本直純さんは、『防人の詩』と『聖夜』の編曲もなさっております。


 映画のあらすじです。

 日露にちろ戦争せんそうのロシアの抱える旅順りょじゅんを日本軍が陥落させた経緯において、その旅順にある丘陵の203にひゃくさん高地こうちにて、日本軍とロシア軍の戦争下における人と戦争を描いた作品です。乃木のぎ希典まれすけ陸軍大将が司令官として動く日本の人々はどう行動し心はどう動くかに注目して欲しいと思います。


 映画の評価としては、「右翼うよく」の文字が浮き彫りにされました。


 さだまさしさんは、主題歌の依頼を山本直純さんから受けましたが、戦争の映画を第二次世界大戦で原子爆弾の呑んだ長崎県ながさきけん出身であり、直ぐに戦争を美化するものをとは思わなかった筈です。山本直純さんからもそうではないことが伝えられました。


 『防人の詩』についてです。

 依頼を受けても創作というものは手品師の花を咲かせるハンカチとは異なります。白い時期が続いたようです。前出の『翔べイカロスの翼』のロケーションに入っても納得のものができずにいましたら、山本直純さんから催促があり、メインとなるフレーズをカセットテープに吹き込んで人を介して渡した所、結局6回旋律を繰り返すことになりましたが、歌詞は意味を持たせて六番まであります。


 メインとなった歌詞は、「万葉集まんようしゅう第十六巻だいじゅうろっかん」から着想を得たそうです。下記に記します。


 *凡例:原文とふりがなにて読み……意味と解説です。


 鯨魚取いさなとり……〈枕詞まくらことばで「海」を導く・鯨魚いさなくじらのことです〉

  海哉死為流うみやしにする……海は死にますか?

 山哉死為流やまやしにする……山は死にますか?

 死許曽しぬれこそ……(海も山も死にます)死ぬからこそ、

  海者潮干而うみはしほひて……海は潮が引き、

  山者枯為礼やまはかれすれ……山は枯れます。


 さて、着想はそのまま煮込んではオリジナルになりませんので、味付けが必要になります。並大抵ではない歌詞が命について衝撃的考察をさせられました。上記万葉集第十六巻の中程に⦅うみやまぬのか⦆との問いかけがあります。一番には、⦅うみ⦆、⦅やま⦆、⦅かぜ⦆、⦅そら⦆について、人が呼吸をするように大自然が終わりの日があるのかと投げかけています。


 さだまさしさんは初期の作品で「ぬ」との強い単語を使っていました。段々その恐ろしい力を使わなくなった節があります。『HAPPYハッピー BIRTHDAYバースデイ』(1980年2月25日発売)に、明日から新しい君となることに⦅にました⦆と祝っているのです。


 私としては、一番の衝撃が強かったので、その後に語られて行く⦅かなしみ⦆や⦅くるしみ⦆、⦅はるなつあきふゆ⦆、⦅故郷ふるさと⦆は諸般の事情で作られた感じが否めません。それでも、素晴らしいものです。


 また、さだまさしさんはよく「故郷ふるさと」を盛り込みますが、この映画にして、故郷を捨てられた者があるだろうかと思います。『驛舎えき』(1981年2月25日発売)にて、⦅故郷ふるさとなまり⦆を駅のアナウンスで感じるシーンがあります。


 「命」と「故郷」だけがメッセージではないと思います。


 人は過ちを起こすことがあるけれども、繰り返せば繰り返す程、人と人は摩耗して行くのではないでしょうか。そうした、切実に人に寄り添った肌のぬくもりを感じます。


 こうして我々が「平和」の二文字を実感しないまま生きていても、どこかで災厄があるかも知れないし、短気なボタンを押す者がいて地球が凍結する程の核の悪用が行われるかも知れないと分かるのでしょうか。某近隣国が発射を繰り返すのに、空も見上げられない程鈍感な「平和」に私は危機を覚えます。悪魔を目に焼き付けても浮かばれないとは思いますけれども。


 『防人の詩』を信号機のように感じ取って欲しいと私は思います。


 『聖夜』についてです。

 メインとなるのが、⦅こころが故郷へ⦆行くシーンでしょう。これは当然比喩であり、「心臓」ないし「脳」が移動しません。また、気持ちは本当は「脳」で扱われているのが科学的考えですが、人は胸の奥の「心」にあると思っています。好きな人の前で「心臓」が高鳴ったりしますが、頭痛で悩む方は少ないと思われます。それでも、考えるのは「脳」です。しかし、真実は「心」にあり、想い出も「心」にあるとロマンチストでなくても思うでしょう。「心」は、四つの部屋を持つ臓器の名前ではないのです。そして、人々の故郷を想う気持ちは、⦅しずかなゆき⦆に紛れ込んで行くのでしょう。


 とても短い作品である点も気になりました。山本直純さんは、さだまさしさんに軽井沢かるいざわ音楽祭おんがくさいにて、「長いのを書いてごらん」と話したようです。それに対して『親父おやじ一番いちばんなが』(1979年10月12日発売)はがんばって12分30秒でした。私は、後に、ただ長いだけをよしとしなかったようだと知りました。編曲は山本直純さんです。


 当時から、さだまさしさんは、山本直純さんを「直純さん」と呼んでおりました。今でも「直純さんは……」で語り出す姿に私は哀愁を覚えてしまいます。


 私は、中高一貫校で記憶が曖昧なのですが、中学生か高校生の頃、山本直純さんの指揮するコンサートへ学校の行事で拝聴いたしました。生徒は制服だったのですが、美術のとある先生はお洒落なパンツスタイルで、コンサートとはこうしたものだと知ったのです。アンコールを拍手でお願いいたしましたら、『イエスタデイ(Yesterday)』(1965年8月6日発売・ビートルズ)を贈ってくださいました。


 後に、結婚後、東京の初台はつだいで行われるチケットが当たり、夫の市松いちまつ緑青ろくしょうと行きました。その前に、夫からメールでネクタイとネクタイピンを頼まれました。私はクラシックのヴァイオリンとギターがメインでしたが、彼は和笛わてき和太鼓わだいこが得意です。踊りを含め、無形文化財との側面もあります。書道も思えば漢和辞典で遊んでいたときに基礎を教えてくれました。鷹のようです。


 映画『二百三高地』は、旧姓花岡の頃、テレビの深夜放送でさだまさしさんの歌に興味があって見ようとしていたのですが、なんせ長いです。そろそろ挿入歌がいい感じのタイミングで、私もいい感じに眠気がきてしまいました。その頃はビデオもなく、銀幕へ行くしかないです。忘れそうでしたが、初デートも池袋いけぶくろで映画でした。


 ◆


 さて、次も映画の作品について書かせていただきます。


 うさぎも大好きさだまさし!

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