Ⅱ さだまさしさんは分裂と結合を繰り返す

第2話 デュオからソロまで

 さだまさしさんの生い立ち、フォークデュオ・グレープ結成からソロ活動開始までを簡略ですが辿ってみます。


 1952年4月10日、長崎県ながさきけん長崎市ながさきしにて、お父様の佐田さだ雅人まさとさんとお母様の喜代子きよこさんの初めての子として産まれました。雅志まさしさんと命名されましたのには、みやびひとと書かず、こころざすと控え目な表現の方がいいだろうとの願いもあったそうです。

 その後、次男と長女にご夫妻は恵まれました。


 1955年、3歳よりお母様の希望も強くヴァイオリンを学び始めます。運命の音楽との対峙です。師事した先では厳しい場面も多く、お母様は一言漏らさずメモをし、自宅での練習に活かしたそうです。

 1965年、より深くヴァイオリンを学ぶために、東京都とうきょうと葛飾区かつしかくの中学校へ入学します。家族と離れることになりますが、お母様からは「あなたを信じています」との葉書が届いたようです。お金が全然ないときに東京から長崎へ電話をし、「お金」を連呼したところ直ぐに十円玉がくれた通話時間が切れて、偶々出た弟さんがしわくちゃのお札を送ったこともあったそうです。


 1972年11月3日、吉田よしだ政美まさみさんとフォークデュオ・グレープを結成します。20歳の頃ですが、大学は体を壊して帰郷しておりました。そこへ吉田政美さんが転がり込んできて、彼の楽譜にブドウのイラストがあったから、グレープと名を付けたようです。現在50周年を記念したギターの予約が始まりましたが、ネックには美しいブドウも意匠を引き立てています。本年3月29日に東京の御茶ノ水おちゃのみず界隈にあります楽器店を娘の市松いちまつ薄紅うすくれないと眺めてきました。彼女は興味を持ってくれて、嬉しく思いました。


 1973年11月25日、シングル『ゆきあさ』でグレープとしてデビューします。しかし、レコードは2000枚程で頭打ちしてしまいました。


 1974年4月、セカンドシングル『精霊流しょうろうながし』を発表し、徐々にヒットして行きました。

 同年12月、本作で、第16回日本レコード大賞作詞賞を受賞されました。


 1976年4月、残念ながらグレープを解散しました。こういったものは解散の理由など質問しないものです。本当のことは一番ご本人達が分かっていらっしゃるでしょうから、私などは口を挟むものではありません。


 同年10月19日、さだまさしさんのソロコンサートがあり、実質のソロ活動が開始されました。ソロに踏み切ったのはご本人ですが、さだまさしさんを支えてくださる方が大勢いらっしゃいました。船頭になったのですから、ソロでありながら周囲を守る力も必要だったのではないかと思われます。


 そして、現在に至りますが、昨年、グレープ及びさだまさしさんのデビュー50周年を迎えられ、コンサートも精力的に行われております。

 その他の側面として、小説や児童書にエッセイを書き、映画を撮り、コンサートでのトークのみのCDが好評など、多才な活動をされてます。


 細やかな点やお伝えしたいことは後程挙げます。先ずは、さだまさしさんはこうして漕ぎ出したと、海原に出た経緯について触れてみました。


 本章の『Ⅱ さだまさしさんは分裂と結合を繰り返す』については、これから起こる予感を含ませてあります。デュオで結びつきましたが、故あって解散いたしました。見事ソロで歩き始めるのですが、一度組んだ間柄です。これからグレープは別の形となるのでしょうか。ブドウの美味しい召し上がり方ですね。



 さて、次からは映画を軸に書かせていただきます。


 うさぎも大好きさだまさし!

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