堅物メガネに恋して

譚月遊生季

堅物メガネに恋して

 シワひとつないスーツに、きっちり整えられた七三ヘア。

 メガネの奥から覗く鋭い瞳。よく見ると端正な顔立ち。

 常に不機嫌そうな低い声。180cm近くあるだろう長身。


 あだ名は「堅物メガネ」……俺の職場の先輩だ。

 俺は今、そんな彼に恋をしている。




「おはようございます!」


 職場に着くなり、元気よく挨拶を放った。もちろん先輩に向けてだ。他の奴らはどうでもいいが、元気な挨拶をする好青年だと周りにも思われているかもしれない。


「……おはようございます」 

 

 既に席に着いていた先輩が、いつも通り口数少なく挨拶を返してくれる。

 口数が少なく、常にテンションの低い彼は、職場に上手く馴染めていない。

 仕事はできるし指示もわかりやすいし、常に不機嫌そうに見える代わりに怒鳴ったり声を荒げることもない。……が、この後重役出勤してくるだろう上司のように、ミスも多く、たまに怒鳴ることがある代わりに陽気で気前のいい人間の方が、うちの職場では好かれている。


 でも、今日は少し様子が違った。

 職場内の……特に女性が色めき立って、先輩の方にチラチラと視線を向けている。

 

「……先輩。どうしたんですか」


 その理由は既にわかっていた。


「……? 何がでしょう」

「い、いや、だって……! メガネはどうしたんですか!?」

 

 そう。

 今日の先輩は、メガネをしていない。

 普段は瓶底メガネの奥にある端正な顔立ちが、そのまま何のフィルターもなくさらけ出されている。


 これは良くない。

 眩しすぎて目に毒なのはもちろん、周りの奴らに先輩の「顔の良さ」がバレてしまう。


「割れました」

「え」

「……今朝、枕元にあったのを、踏んで……」


 なるほどドジっ子かー。それは仕方ないなぁ。

 可愛いなぁ先輩……。


 なんて思っていると、背後から「あの……」と上ずった声がする。間違いない。女性の声だ。


「今日のお昼、お暇ですか……?」

 

 これはまずい。先輩の顔の良さがバレたばかりか、先手を打たれてしまった。

「人懐っこく、よく絡んでくる後輩」として存在感を高めてきたのに、ここで逆転されてしまっては今までの苦労が水の泡だ。


「昼……? 昼食以外に特に予定はありませんが、何か……?」


 それはランチに誘われてんだよ先輩! とツッコミたくなったが、ぐっと堪える。

 今まではごく自然に俺と弁当を食べる流れになっていたが、まだギリギリ20代で、しかも未婚の先輩が女性社員に誘われたとなると、そっちに行ってしまう可能性は十分にある。


「え、えっと、だからその、ランチにご一緒できればなと……」


 目の前の女性は、頬を朱色に染めつつ食い下がってくる。

 背後では、「頑張れ〜!」とエールを送っている同僚たちの姿も見える。

 考えろ。考えろ俺! ここからどうにかして、牌を取らなくては……!


「……あの。聞いていますか」

「えっ、お、俺ですか!?」


 突然肩に手を置かれ、はっと我に返る。

 しまった。考え事に夢中で話を全然聞いてなかった。っていうか、なんで俺が声をかけられてるんだ……?


「はい。いつも私は、君と食事を摂っています。……ですので、一応、君の意見も聞いておきたいです」


 一瞬、頭が真っ白になった。……が、これは願ってもないチャンスだ。


「俺も一緒ならいいですよ!」


 にっこりと、屈託のない笑みで返す。

 女性側にはデリカシー皆無野郎と思われるかもしれないが、俺は先輩以外にはどう思われたっていい。

 案の定、女性は「えっ」と困った顔をして俺の方を見る。続いて「どうしよう?」とばかりに背後の同僚たちを見、再び視線を先輩に戻した。頬が少し赤い。

 不憫に思わないこともないが、俺だって必死なんだ。


「あ、すみません。やはり、昼には予定がありました」


 ……と、そこで、先輩がぶち込んでくる。

 えっ。ここに来て!? まさか、既に他の人に誘われてたりしないよな……!?

 

「新しいメガネを探さなくては……」


 その言葉には、即座に返した。


「一緒に探しましょう!!」


 メガネは先輩の顔の良さを周囲から隠しながら、先輩の視力を助け、生活を助ける重要なアイテムだ。

 ……とびっきり、良いのを選ばないとな。先輩にメガネがいい。


 先輩の良さは、俺だけが知っていればいい。

 

「い、イケメン二人とランチとか、私、心臓もたない……!」

「ちょっとちょっと! あのタイミングってことは、新入りくんたぶんあんたのこと好きだよ」

「あっち狙うのもアリかもよ!!」

「ええーーーーどうしよう……!」


 背後から黄色い声が聞こえてくる。

 どうやら、余計な誤解を与えてしまったらしい。……どうしようかな。これはこれで面倒くさいけど……


「分かりました。自分ではよく見えないので、助かります」


 目の前でうっすらと微笑む先輩の姿に、心臓がドキリと跳ねる。

 

 まあ、いいか。 

 先輩以外にはどう思われたっていいし……

 

 先輩以外は、どうでもいいや。

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