第37話 悠・々・平・穏 5




 これまで何度も口にしているように、私のこの身体機体は微細な機械部品の集合体である。


 地球外金属の堅牢なフレームを軸に、地球外技術由来の精密機器を満載し、培養した生体細胞ベースのスキンで機体表面を覆い、特殊なコーティングで表面保護を施したもの。

 強固な保護層を纏った機械部品の数々は、生半可な液体程度で故障や不具合を生じるものでは無いのだ。



 だからこそ……降りしきる雨に濡れるがまま、止め処無く打ちつける雫と水音を全身で『愉しむ』ことが出来たり。

 こうして……身体機体全てを液体に浸し、体内温度の上昇をも『愉しむ』ことが出来るわけだ。





「はぁ〜〜〜〜〜〜〜〜」


『……ご気分は、如何ですか? 艦長ニグ』


「最っ高ぉ〜〜〜〜〜〜」


『…………そう、なのですか』




 世の機械類の例に洩れず、私の身体とて過熱は本来忌避すべき事象である。

 しかしながら悲しいかな、日本人として魂の奥深くに刻み込まれた習性ゆえか、この『身体機体の芯から温められる』状況に心地よさを感じてしまっているのだ。


 まぁ……いくら『熱は避けるべき』などと言ってみたところで、たかだか摂氏40℃や50℃程度、致命的オーバーヒートからは程遠い。

 のリスクがあるとはいえ、こうして身体を湯に浸すことで得られる心地よさの前には、その程度さしたる問題にもなりはしない。



 いうなれば、アルコールというを摂取して生じる症状を愉しむようなものだ。

 広義で言えば害となるものとはいえ、適切な摂取を心掛ければ、それは良いリフレッシュ手段となり得るのだ。




『………………そう、なのですか?』


「そうだぞ。実際に飲み過ぎで命を落とす奴も居ないわけじゃ無いが、そんなのはあくまでも例外だ。でなきゃヒトが毒物アルコールなんか進んでカパカパ摂取するわけ無いし……一般に流通するわけ無いだろう」


『…………毒物を摂取することを『娯楽』として楽しむ、とは……ヒトとは難解な思考パターンを有する生命体であるとの所感を抱きます』


「イルカとかもフグの毒吸って酩酊して楽しむらしいぞ」


『………………難解な思考パターンであるとの所感を抱きます』




 私とススちゃん以外の利用者が居ない、広々とは言い難いが充分な広さの露天風呂。

 時間制の貸し切りであるここの空間であれば、私達は周囲の目を気にすることなく微毒を愉しむことができるのだ。


 ……まぁ尤も、スーはまだそこまで開き直っては居ないようで、洗い桶に張られた冷たい水を被ろうと慣れない『ススちゃん』で頑張っている。

 微笑ましく可愛らしい光景ではあるのだが……しかし洗い桶にワタリガラスの体躯では、少々どころか手狭だろう。可愛らしいおしりが桶からはみ出てしまっている。

 私はそれに微笑ましさを感じながらも口には出さず、ただ精密重力干渉を行使して蛇口を捻り、洗い場のシャワーから冷水を吐き出させる。



『……! ……感謝致します、艦長ニグ』


「おう。色々思うこともあるだろうが……今はのんびり休んどけ」


『……了解致しました』


「良いもんだろう? 地球の……自然の景観、ってやつは」


『………………よく、わかりません』


「…………そっか。……まぁ、趣味趣向はヒトそれぞれだもんな」




 温かな湯から脱し、涼しく心地よい空気に身体を晒す。このような『貸切』の場であれば、周りの誰の目も気にする必要は無い。


 隅々に至るまで『ヒト種の少女』を精密に再現したこの身体機体では、当然男性用浴室に立ち入ることは不可能だろう。

 かといって女性用の聖域に立ち入ることは、さすがに私の良心が痛むというか……常識的にどうかと思わざるを得ない。


 身内以外の誰に告白するつもりも無いが、この身体機体OSとしてインストールされている『私』の人格は、まだ男性格であると定義している。

 とはいっても、婦女子の裸身を眺めて悦に浸るような性根は……生憎と持ち合わせているつもりは無い。



 日本人とは異なる目鼻立ちと、幻想的な雰囲気を漂わせる相貌。

 洗い場の小さな鏡に映る半身は、なるほど私が『魅力的』と感じる造形である。


 見る者に警戒心を抱かれづらく、また庇護欲を掻き立てるためにとの打算のもとで設計された、華奢で小柄で儚げな体躯。

 加温により生体細胞の血色も心持ち増し、ほんのり色付いた肌を惜しげもなく晒し、雫が流れしたたるままに堂々と佇むその姿は……なるほど確かに、無垢で清純イノセント呼称がよく似合うことだろう。



 どうやらこの身体は……この『身体』から見た異性にだけでなく、一部とはいえ同性にとっても魅力的に映るらしい。

 設計製造元たる異星人の審美眼を、若干とはいえ見直した反面……この機体がで用いられずに済んだ幸運を、ただただ噛み締めずには居られない。


 現にこうして……スーの調査能力と併せて、大国一つを手玉に取ってしまったわけだ。

 私が『根っからの善人』だと言うつもりは無いが……もし私の立場に居る者が純然たる悪意、もしくは研ぎ澄まされた敵意を秘めていた場合。

 警戒心を抱かれづらく、庇護欲を掻き立てるこの身体を最大限悪用されれば……果たしてどれほどの被害が生じていたのだろうか。


 地球人類史においても、国主に見初められた絶世の美女が国を傾けるエピソードは存在する。

 に造られたと言っても過言ではないこの身体は……それらと同様、ともするとそれ以上に効率的に、人々の拠り所たる国家を腐らせ得るポテンシャルを秘めているのだ。


 全ては、異星人による侵略・接収を効率的に完遂するため。

 恐らくは……過去奴らに侵略されてきた星々の文明もまた、同様に魅力的な雌個体(の姿形を真似たナニカ)によって崩されてきたのだろう。




「私がだものな。……考えたくもない。魔性の女、ってやつか?」


『…………? 艦長ニグ、発言の意図が理解出来ません』


「気にするな。私があの異星人共の玩具に選ばれて……スーの『上位支配者』になれて良かった、ってだけだ」


『はい。ワタシも……上位支配者が艦長ニグであったことを、喜ばしいと認識しております』


「…………えっ? ……あ、うん……そう。……そう、か」




 ホルダーに掛けられたままのヘッドから、止め処無く流れる冷水のシャワーを浴び……カラスにしては大柄な身体機体の性能を余すところなく発揮しながら、気持ちよさそうに水浴びに勤しむ相棒。

 あまりにもあっさりと、それでいて真っ直ぐに告げられた言葉に、不覚にも一瞬たじろいでしまったが……私も当然、同じくらい嬉しく思っているのだ。


 ……照れ隠しなのか、それとも素で何も感じていないのか。

 ばしゃばしゃと羽ばたき水しぶきを上げるその後ろ姿からは、その内心までは窺い知れないが。



「……なぁ、スー」


『はい。如何致しましたか? 艦長ニグ』


だ。……私にして欲しいことがあったら、何でも言え」


『………………! それ、は……』


「出自がどうあれ、のお前は……私にとってはディンと同様に、大切な存在だ。少しはアイツを見習ってみろ。……わかったな? 返事は?」


『…………了解、致しました。艦長ニグ』


「よろしい」




 彼が――いや『彼』か『彼女』かは判らないが――私達に職務意識以外のを抱いてくれていること。

 それは恐らく、私の気のせいなどでは無い……と思う。



 私に従順な管制思考が、私に気軽にを言うようになってくれること。

 今の私は……それが待ち遠しくて、仕方無いのだ。




 

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