第34話 悠・々・平・穏 2




 特例の在留資格を得たシシナが、至極真っ当な手段で借り受けている戸建物件は、房総半島の先端付近の長閑な田舎町に位置している。

 最寄りの鉄道駅からは距離もあり、生活には自家用車を要するであろう環境だが……だからこそ穏やかでのんびりした日々を送れると、住人の少女は綻んだ笑みを浮かべていた。


 主要道路からは脇道に逸れ、斜面をいくらか登った土地に建つ、少々古い作りの一軒家。

 備わる庭はこぢんまりとしていながらも、貸借の範囲にはきちんと含まれている。近隣家屋からもある程度距離のあるここは、他人への迷惑を心配せずに済む格好の試験場なのだ。





「…………良さそうには見えるが……具合はどうだ? スー」


『はい。個体名『テテちゃん』は重力制御出力数値も安定しており、飛行技能に関しても何ら懸念はありません。……一方、個体名『ススちゃん』は……その、なんと申しますか。性能数値的には問題無い筈なのですが……』


「アレはどう考えても甘えてるな。わかりやすくベッタリだ」


『…………はい、肯定します。個体名『ススちゃん』は、ディンによる『抱っこ』が大層気に入った模様。ディンの『抱っこ』および『なでなで』行為を受け、試験飛行に対する意欲が完全に霧消しているものと判断致します』




 家主たるシシナは、現在(※常人の歩行速度で)徒歩30分の距離にある地元スーパーマーケットへ、食料品の買い出しに出掛けている。

 私達二名と二匹と二羽はその間、縁側とお庭をお借りしながら、お留守番任務を拝命しているというわけだ。


 珪素生命体【イー・ライ】によって巣食われた彼女は、その運動能力も基礎体力も常人とは比べ物にならない。

 流石に私達アンドロイド並の『無尽蔵』とは言い難いが……下手な長距離走選手や、ともすると魔法少女たちよりも、単純なフィジカル面では秀でているだろう。

 そのタフネスを活かした、海沿いの県道を散歩しながらのお買い物は……波がしぶく海を見慣れていないシシナにとって、一つの楽しみとなっているようだ。




「にしても…………のスーは、よく我慢できてるな。のほうにも感覚あるんだろ?」


『肯定します。……しかしながらワタシは統合管制思考の一端として、本試験を正常に完了させる義務が御座います。そのため、比喩表現『鋼の意思』にて当機体の各種パラメーターテあっ、あっ、あっ、テストを遂行あっ、あっ、あっ、あっ、』


「よしよしよし。わかってる、お前さんは良くやってくれてるよ。……あっちの『ススちゃん』も、じきに満足して……まぁ、ディンがその気にさせてくれるだろ。それまでお前も……『テテちゃん』も、ちょっとくらいのんびりしてても良いと思うぞ?」


『か、艦長ニグ、あっ、あっ、そこは…………首元はあっ、あっ、あっ、あっ、』




 仕事や予定に追われているわけでもない、穏やかで温かな南房総の一日。

 家主たる少女には毎度申し訳なくはあるのだが、お昼寝の環境が素晴らしいのだから仕方あるまい。


 何度かお邪魔しているうちに、私が調達し持ち込んだクッションや毛布、キルトケット等のお昼寝グッズも充実しているのだ。

 それらであれば、カラスにしては大柄なこの身体とて……心地よく包んでくれることだろう。



 縁側に腰掛けていた身体を、そのままと横倒し、靴を脱いで完全に横になる。

 お昼寝の先輩であるニニちゃんは微塵も躊躇した様子を見せず、すぐさま私の胸元に擦り寄って丸くなる。


 私の無言の視線を受けて……やがて観念したのだろうか。

 早くも健やかな寝息を立てるニニちゃんの隣、漆黒の大きな身体を小さく丸め……賢いカラス型無人偵察機とそれを操る管制思考は、そのつぶらな瞳をついに閉じる。



 それを見届けて目を閉じれば、聞こえてくるのはディンの楽しげな笑い声と……遠く微かに響く、幾重にも押し寄せる波の音。

 暖かく、涼やかで、心地よい。そんな日常に感謝を抱きつつ。




 …………私の意識は、そこで途切れた。












――――――――――――――――――――













「んへへ〜。ススちゃんは『あまえんぼ』性質を保持すると認識、ワタシによる『抱っこ』を気に入ったと判断します」


『…………肯定、します……ディン。ワタシは現在、ディンの『抱っこ』および『なでなで』により……非常に、高度な……リラックス状態にあると判断致します』


「ススちゃん、おねむ? スーの声、ふわふわ、いつもより発声トーン閾値が低下しています」


『………………肯定…………し……』


「…………んゥー……『ススちゃん』のスー、休眠状態を確認しました。…………『テテちゃん』のスーも……ニニちゃんも、かあさまも、休眠状態。……んへへ」




 統合管制思考スー・デスタ10294によって新規建造が為された、鳥類型自律偵察機【MODEL-Λψ】型のうち一機、識別呼称『ススちゃん』。

 種族分類『カラス』の中でも大型に類する『ワタリガラス』種の体躯、体表面を覆う羽毛による『ふわふわ』の感触は、ワタシのメンタルパルス安定に大きく寄与しているとの印象を抱く。

 かあさまの語彙を拝借……『抱き心地が良い』という表現が妥当であると、ワタシはそう結論付ける。


 一方で、ワタシの胸部軟質緩衝材に頭部を委ね、目を細めるその表情は、ワタシが『きもちいい』との所感を抱いた際の表情と類似点が多く見受けられる。

 つまり『ススちゃん』もまた、ワタシに『抱っこ』されていることで『きもちいい』所感を抱いているのだろうか。


 ……そうであるならば。『ススちゃん』と、そこへ思考を分岐させ管制を行うスーが『きもちいい』状態であるならば。

 ワタシはそのことを……スーに『きもちいい』を提供できていることを、とても嬉しく思う。




『…………ワタシの分岐思考『デスタ・アルファ』『デスタ・ベータ』双方のディアクティブ化を確認致しました』


『確認しました。……みんな、休眠状態であると認識。かあさまも休眠状態、ニニちゃんとなかよしであるとの所感を抱きます」


『肯定します。……ワタシより、現状を統合的に俯瞰した結果、ディンおよびミミちゃん両名へディアクティブモードへの移行……表現訂正、『お昼寝』の摂取を提案致します』


『管制思考スー・デスタ提案に同意します。みんなでお昼寝。ワタシは『嬉しい』との所感を抱きます』




 かあさまの語彙を拝借……『働き者』の統合管制思考スー・デスタ10294は、ワタシたち全機体に対し、一斉での『お昼寝』を提案した。

 同盟組織『魔法少女』達の安定性や戦闘能力も向上の傾向が見られることだし、脅威的存在の出現は現在確認されていない。フィールドステータスは『平和』であると判断できる。


 もし『平和』でなくなった際は、母艦及び揚星艇キャンプを司る『働き者』のスー・デスタ10294より、緊急通達アラートが届くルートが構築されている。同盟組織『魔法少女』からも通信機器へと連絡が届く手筈となっているため、探査に関しては委任できる状況にあると判断できる。



 以上の断片情報を基に、統合的かつ合理的な判断が下され、短期行動指針がワタシへと提示される。

 ワタシと、ワタシの脚足部へ機体を密接させているミミちゃんも、かあさまたちと同様に『お昼寝』状態を共有するべきである……と。




「ミミちゃん、ミーミちゃん。……んへへ、みんなで『お昼寝』提案、シシナのおうちに帰還します!」




 ワタシの言葉に応え、可愛らしい音声波形を響かせ、ミミちゃんはワタシの後に続く。


 ワタシの『願い』を叶えるため、かあさまとスーが用意してくれた、可愛いくて温かいワタシの家族。

 ワタシが興味を抱き、ワタシが欲した……するするでふわふわできらきらの、その姿。



 わざわざワタシが意識せずとも、自然と顔が『笑み』を形作る。


 機械部品と培養細胞で構成された、擬似的な模倣生命体……ヒトではないワタシ『ディン・スタブ』だけど。


 それでも、今のワタシは間違いなく満たされているのだと。

 ヒトにも劣らず『しあわせ』なのだと、胸を張って宣言できる。



 ただ……ワタシがあまり胸を張りすぎると、かあさまが悲しそうな顔をする。

 

 かあさまは、ヒト種雌個体の胸部を目視することを好む性質がある。ワタシの胸部軟質緩衝材とかあさま自身のそれを見比べ、悲しそうな顔をしていることを、ワタシは認識しているのだ。


 かあさまが悲しい顔をするのは、それはワタシの望みではない。かあまには喜んでほしいので……かあさまの目が覚めたらたくさん触らせてあげようと、ワタシは優先タスクを設定する。



 …………ヨシ。状況確認……完了。




『それでは……ワタシはこれより、短期休眠スリープへと移行します。スー・デスタ10294、アナタに感謝を。おやすみなさい』


『恐縮です、ディン・スタブ。……おやすみなさい、よい夢を』




 だいすきなかあさまの隣に寝転がり、綺麗なお顔を目の前に。



 ワタシはこれから……家族のみんなと『お昼寝』を楽しむのだ。







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