第3話 オタクOL佐伯千佳(34)

『ロンリネスプリンセス』

 剣と魔法の世界、オズワルドには大きく八つの大陸が存在する。その中の一つ、ゴルド大陸には三つの国があり、領土争いが続いていた。一つは魔王を倒した覇王の血を引く国、グランセイバー帝国。二つはオズワルド史より古くからある、神を信じる人民の為に聖者が建国したといわれる、歴史深いサブリミナル王国。三つ目は一番歴史が浅い、移民の英雄ガンバルドによって建国されたイフセン共和国。ゲームのメインとなるのは初めに挙げたグランセイバー帝国とサブリミナル王国の二国だが、サブリミナル王国は現在国力が衰え、貴族達の権力争いの温床と化していた。一方グランセイバー帝国はというと、ただただ武力を持って近隣諸国を制圧する野蛮な帝国として恐れられていたのだ。


 グランセイバー帝国の第七位の皇位継承権を持つ姫騎士、世界でただ一人の「真眼」と「魔眼」を共に持つ、第三皇女ヴィオランテが和平の条件としてサブリミナル王国に輿入れする場面から物語は始まる。第一王子であり王国の後継者である王太子フィンセントとの婚約の儀。そこに刺客が放たれる。後に明かされるのだが、それはヴィオランテを亡きものにしようとする、彼女の祖国グランセイバーの手の者だった。普段から彼女の命を狙っていた、腹違いの妹である第八皇女イクセラが、グランセイバー帝国内の反和平派閥を味方につけて放った祖国からの刺客。そしてサブリミナル王国にも、次期王妃を輩出して国王の座を狙っていた公爵家派閥が存在した。それらが手を組んで、ヴィオランテは命を狙われたのだ。

 祖国と敵国、二つの国から命を狙われても、絶望することなく、悠然と彼女はその運命に立ち向かっていく。ヴィオランテはヒロインとして守られるだけじゃない。決して諦めることなく、剣を取って立ち向かう。そんな彼女の生き方に、私は猛烈に心を惹かれてしまったのだ。


 原作のゲームが出たのが今から20年前の4月10日。

 それからノベライズ、コミカライズ、アニメ化、舞台化と、メディアミックスにも恵まれて今でもファンに愛されている名作である。去年はアニメ化10周年記念のイベントにも参加して、王太子フィンセント様役の声優様である青山黒彦様のサイン会、握手会にも参加させてもらった。生台詞を耳元で囁いてくれるサービスで聞いた「ヴァイオラ、さよなら。君は君らしく、生きて、この地獄に咲き誇る、一輪の花となるんだ」という名台詞には思わず号泣してしまった。

 ああ、だけどそんな大好きな作品『ロンプリ』なんだけど「ある一つのコンテンツ」だけは触れていないものがあることを思い出す。……いや、アレはアレで、かなり世間の評価は高いんだけど。これは、まあ性にあうのか、あわないのか、って感じだし。絶対受け付けない人も世間にはいるし。いつかは、手を出してみたい、とは思っているのだが。だがね。

 

 …………同人とかは大丈夫なんだけどなあ、私。


 なので、退社した私は直ぐに都内のサブカル系ブックストアに向かう。そこでは「ロンプリ20周年祭!」と冠して、大きくコーナーが展開されているのだった。

「あ、『異世界凌辱おじさん』のビジュアルブックも出てる! これは買いだわ」

 早速、まったく関係ない作品のファンブックを見つけて、そちらに目移りしてしまう。いけないいけない。今日はロンプリがメインよ。脇見は禁物。

 明日は休みだから、ロンプリの新しく出た20周年記念のファンブックやグッズを買って、特典をもらい、それをつまみに朝までビールを飲むのだ。ああ、想像するだけで至福の時間過ぎる。幸せって、こういうことなんだわ。


「あったあった。ロンプリ20アニバーサリーコーナーだわ!」

 大きく展開されているコーナーに、私は知っている顔を見つけた。

 猫背で、おどおどして立っている、後輩の篠宮君だ。私は笑顔で篠宮君に声をかける。

「あ、篠宮君」

「千佳先輩。あ! あの! ち、違うんです。ぼ、ぼく、その」

「どうしたの? あ、そうか、篠宮君ってロンプリ好きだもんね」

「え!? なんで」

 慌てて取り繕おうとする篠宮君の言葉を先回りして、私は告げる。

 私は自分のオタク趣味は別段大声で周りには言いふらしてはいないけど、バレたからって後ろめたいことは何もない。かといって他人の趣味を人に言いふらすこともしないけど。

「あの、なんで僕が、その……」

「あはは。分からない訳ないじゃない。だって、会社で鞄につけているキーホルダー。あれってサブリミナル王国の旗でしょ」

「ああ、はい。まあ実際には違って……」

「知ってるわ。サブリミナル王国の旗の紋章のキーホルダーは公式にはない。だけど、偶然国内のあるブランドで似ているデザインのものがあるって、ネット界隈で話題になったもんね」

 なので、一部のコアなファンはそのキーホルダーを購入して身に着けているのだ。

「そ、そうなんです。でも、それだけでよく分かりましたね」

「ふっふっふ。オタクアイが作動したんですな」

「す、すごいですね。それこそ千佳先輩、ヴィオランテ姫の魔眼みたいです。あ、真眼の方、かな」

「あはは、それって凄く嬉しい。でも私、あんな綺麗な銀髪でもないし、目も青くなければ腰もくっきり括れてないけど。ただの事務の眼鏡のおばさんよ。あはは、ありがとうね、篠宮君!」

「いえ。見た目、とかじゃなくて、その凛とした佇まいだとか、物おじせずにはっきりと言いたいことを言えるところとか、がです。今日もですけど、仕事でも発揮されていて。本当に尊敬します」

「……あはは」

 そんなに褒めないでよ。なんだかくすぐったくなってくるじゃない。

「だけど、僕、ロンプリ、アニメしか観てないんですよ」

「ええ!!!!!!!? 原作ゲームやってないの!!!!!!? 本当に!!!!?」

 驚きに驚いてしまった後で言うのもなんだが、それはまったく悪いことではない。私だって、アニメから入る作品なんて年50本は存在するし。


「…………………………」


 篠宮君の話を聞いた私はすぐさま目の前で展開されているロンプリグッズをどんどんとカゴへと入れていく。

「あ、あの、千佳先輩? 何を」

「原作ゲームに、コミカライズ、ノベライズ、ファンディスク……」

「あ、あの、千佳先輩?」

 私はカゴにぱんぱんに詰まったロンプリグッズを持って黙って、レジへと進む。

 そして、レジ横に置かれている「あの」DVDを見つけてしまう。

「あー……これは、ちょっと私の趣味ではない、んだけど。……いや、いかんいかん」

 推しを布教するのに、先入観を持たせてはいけない。勿論原典である原作ゲームを一番に勧めたいのはあるけど、「押し付ける」にしても、相手に取捨選択の余地がなくては流儀に反する。なので、私は「そのDVD」もカゴに入れて、レジに置くと、カード一括払いで購入し、持参していたロンプリのエコバッグを取り出し、パンパンに詰めた。


 突然の私の買い物を不安そうに見守っていた篠宮君に、エコバッグをおもむろに渡す。

「はい。原作ゲームね。アニメと原作ゲームは流れは殆ど一緒だから。まあ、分岐があるから派生として楽しんで。あと、ノベライズとコミカライズはそれぞれの攻略対象がしっかりと掘り下げてあるから、補完も出来るし、作品としても最高に面白い。私のおススメはヴァイオラの父であるグランセイバー34世の若かりし頃の武勇伝が描かれている番外編かな。本当昭和の少年漫画みたいに豪快だから。全裸で1000人の敵と戦ったりするから。あと、これはええと、ミュ……2.5次元版の舞台のDVD。舞台の方はちょっと、私も偉そうに言っておいてしっかりと履修はしていないんだけれども。ネットなんかの評判は上々だから篠宮君は好きになるかも。あ、袋は今度返してくれればいいから」

「え!? あ、はい。じゃあお代を……」

「え!? いらないよ!」

「は!? いえ、そんな! そんなわけにはいきませんよ」

「だってこれは私の自己満足だもん。篠宮君はアニメで満足しているのに、私が勝手に原作やその他のアンソロジーを勧めているだけ。『俺の酒が飲めねえのか』っていうおじさんと同じ。オレサケおじさん(「俺の酒が飲めねえのか」って言うおじさんの略)が会計の時に割り勘って言い出したらぶっ殺したくなるでしょう? だから払わなくていいの。推しの推しつけってヤツ。オシハラ」

「いや、多分、違うと思いますけど……」

 弱々しく、本当に弱々しく、篠宮君は私の主張を否定するが、そこは先輩権限で完全に無視して話を進める。


「ああ、ごめん。自分で買いたいものとかあるよね。袋は今度返してくれたらいいから」

 そういって篠宮君の元を離れる私。あ、自分で言っていてやらかしてしまったことに気が付いた。最初にあれだけの量を渡しちゃったら、篠宮君自身が買いたいものが買えなくなっちゃうじゃない。

 篠宮君の買い物が終わった後に渡せばよかった。

 それか郵送で送る? 

 流石に職場に持っていくのはやり過ぎだし。

 うーん、だけど別に人の趣味を詮索する癖はないけど、篠宮君が幼女系の同人誌や触手系の成人向けを今から選ぶとしたら、流石にそれは気を使うよね。いや、私は別に平気なんだけどさ。なので気にしないで私は『異世界凌辱おじさん』を手に取った。そんな所を後ろから追いかけてきていた篠宮君に呼びとめられる。

「あ、あの!!! 千佳先輩」

「はい?」

「ええと。こんなに買って頂いて、ありがとうございます。遠慮なく頂きます」

「うん。ありがとう」

「で、ですね! お、お礼と言ってはな、なんですが、ご、ご飯でも一緒に宜しいでしょうか? 奢らせてください」

「え? ああ、そんな、気を使わなくていいよ。私みたいなおばさんと食事しても何も楽しくないでしょう?」 

「そ、そんなことありません! 千佳先輩はおばさんなんかじゃありません」

「ああ、そう?」

 …………え? そんな感じ? 嘘よね? だけど、篠宮君は嘘をつくような子じゃないし、その瞳は結構真剣で、可愛い。

 そこで、私は何を思ったのか、異世界凌辱おじさんを篠宮君から見えないように、そっと平積みの棚に戻すのだった。 


 ――おい、私よ、何をしているんだ。人の目など気にしないあんたが、どうした?


 心の中の乙女ピュアハートオブマイセルフが私にツッコミをいれる。だけど、なんだかちょっとそういうモードが入ってしまったのかもしれない。

 私はごほんと一つ咳払いをすると、努めて冷静に、うなづいた。

「じゃあお姉さん。後輩君にご飯でもご馳走してもらおうかな」


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