第2話 アラサーOL佐伯千佳(34)

 私、佐伯千佳34歳は自分の人生に満足している。


 順風満帆、とまでは言わないが、そこそこの家庭に育ち、学校でも特段目立つこともなく、疎まれることもなく、そこそこの成績に、部活動なんかでもまずまずの成績を残し、就職しても、そこそこのお金を稼げる仕事に就き、同僚にも恵まれた毎日。

 将来の夢というものは特に持たず、強いていうならば「そこそこの人生を不自由なく生きて、大好きな趣味を楽しみたい」というものが夢。それなら今、何の文句もなく完全に叶っているといえよう。

 いつまで独り身なのかと実家の親にはたまの電話で小言を言われてしまうが、今は事務の仕事と趣味で充実している為、そこまで深く考えてもいない。だけど、別にいいじゃないか、それで。現代の結婚平均年齢は増加の一途だし、そもそも生涯独身年齢だって上昇している。世間の風潮は私に味方してくれている。


 経費と領収書を照らし合わせながら、そんな人生について何故かぼんやりと考えていた。考え事をしながらも仕事をそつなくこなすことが可能な程、社会人としての能力は手に入れている。


「ねえ、篠宮君。この経費に関してなんだけど、交際費。営業からは説明を受けたの?」


 長年の勘で培った、経費欄から自然と滲み出てくる妙な雰囲気を感じ取り、私は後輩の篠宮君に尋ねる。細身で自信なさげに俯き、まるで子猫の様な脅えた表情で、篠原君はおどおどと答える。

「はい。堂島先輩が得意先との打ち合わせがあったと仰っていて。ええと、矢島開発の正木部長です」

「いや、この日、堂島は半休とっている筈だよ」

「え?」

 私は直ぐに左手で出勤簿を確認する、と同時に右手スマホで堂島のSNSもチェックする。

 左手の結果はやはり、半休。そして右手のSNSの方も直ぐに見つかった。ご丁寧に彼女とのディナー写真が投稿されていた。それが完全に領収書の店の名前と日付で一致した。なんてお粗末なのかしら。

「ふむ。これが、得意先の矢島商事の正木部長、ですか。頬と頬をくっつけて随分と仲良しで。これなら確かに交際費として、落ちるのかな? なんてわけないでしょう」

「すす……すいません。僕のチェックミスです」

「私達の仕事は経費が正当に請求されているかのチェックだよ。不正のチェックじゃないからね。それを判断するのは、この領収書を回してくる判断をした、堂島の上司の葛城部長よ。私達は本来的にはこんなことを暴く為に存在するんじゃないから。そこの意義ははき違えないで。……まあ、でもこんな輩が存在するのは今に始まったことじゃないから、今度から気をつけようね」

「はい。すいません」

 私の言ったことちゃんと理解しているのかしら? 別に怒ったわけじゃないのに。申し訳なさそうにしゅんと俯くその姿を見て「濡れ子猫」という単語を連想してしまう。私ははあ、と溜息を吐いた後、片手で眼鏡を整えながらすぐさま立ち上がる。


「ちょっと篠宮君、今から営業部一緒に行くわよ。殴り込みよ」

「は、はい」


「出た、千佳先輩の殴り込みよ」

「あれって、本当に殴ることもあるって噂よ」

「噂じゃないわよ。私見たことあるもん。本部長をグーで殴ったところ」

「はー、千佳先輩、本当男前。格好良いわ」

「彼氏いるのかしら」


 私が立ち上がると、ガヤガヤと経理部内が騒ぎ出す。

 目立つことは嫌いだけど、極端に曲がったことは許せない。それが私、佐伯千佳である。

 勿論、会食や接待なんかはしっかりと認めてあげないといけない。営業という部署は、人と人との繋がりで仕事が成り立っていることは十分理解出来る。だけど、甘やかすと直ぐにつけあがるから、油断は禁物なのだ。今回の件だって普通に経費の横領で、違法だから。

 それから私は乗り込んだ営業部でこんこんと問題を提議し、部長レベルにまで通達して、張本人である堂島に厳しくお灸をすえてもらってから部署に帰り、きっちりと定時で退勤した。


 職場で毎日こんなバトルが繰り広げられているのかと言われたら、ドラマでもあるまいし、そんなことはない。今日はたまたまである。大変かと言われれば、そうでもない。長年やっている経験から、迅速に業務をこなしているだけである。毎月しっかりと給料を頂いているのだから、これぐらいのことはやらなくては、会社に申し訳ないじゃない。


 私の趣味はゲームに漫画、アニメ。俗にいうオタクである。腐女子、かと言われるとそこまであるかは分からない。まあ、オタク特有の謙遜と受け止めて欲しい。

 だけど、ずっとインドアで生きてきたわけじゃない。職場であれだけ勝気でぐいぐいと攻めていけるのは、学生時分、運動部に入っていたからである。中学高校と剣道部で、大会でも良い成績を収めていた。まあ、実際剣道部に入ったのも、好きなゲームの主人公が剣を振るう姫騎士だったから、という不純な動機ではあるが。

 乙女ゲームは、か弱い姫様が、攻略対象キャラの王子様や騎士に守ってもらうのも大大大好きなのだけど、私がハマったそのゲーム、『ロンプリ』は少し違った。私の人生に、趣味に彩を与えてくれた作品。


 要は完全に沼にハマってしまったのだ。

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