第37話 やっと、治る。K崎幸病院での手術と痛さ地獄。
ぬんは手術のために入院した。
前日入院、次の手術で、入院期間14日間。
ぬんにとっては、長い入院生活だったので、パソコンとか衣類とか大きな荷物を持って入院した。
ぬんの心は、今までの職場でのいじめに次ぐいじめで、県職員生活に疲れきっていた。
しばらく誰とも会いたくない、この時のぬんは、いじめと裏切り、J事課から受けたハラスメントに疲れていたので、14日間、家族以外会わないように、個室にした。
大学を出て、すぐに神奈川県に入って約25年間、ずっとまじめに走り続けてきたのに、その結果がこれか。
個室の窓からは、大きな会社の鏡のように光る窓のビル、そして、その前には、大きな芝生の庭が広がっていた。
緑色がきれい。
ここ数年、仕事に関係ない自然を見ることなんかなかった。
でもこうなってみると、ぬんの仕事生活、何だったんだろう。
自分ってバカみたい。
ふと、そう考えてしまう。
おまけに、やぶ医者が書いた「疑い」の二文字+それをろくに調べないK奈川県庁の人事課。
それによる、認めない「通勤災害」。
ぬんは、勤務先の高校生に怪我させられた。
それでも、ダメ。
大声で叫びたい。
K奈川県庁は、通勤中に「通勤災害」を認めないブラック企業だから気を付けてね。
民間企業の人、K奈川県庁は偉そうに指導しているかもしれないけど、所詮それだけ役所なんですよ。
手術の日が来た。
朝、若い医師が来て、「左の膝ですよね。」と言って、左足の甲に「左」とマジックで書いた。
このぬんの左足は、怪我してからさぞ苦労してきただろう。
左膝さん、これでやっと、痛みから解放されるね。
ぬんは、左足の膝を撫でた。
目に見えなくても、この膝の中は、ぐちゃぐちゃなんだ。
長かった。
怪我してから、今日で1年4か月。
そのうち、やぶ医者「Kず整形外科クリニック」に通院していた期間1年1か月。
K崎クリニック(クリニックは手術ができないので、手術は同じ系列のK崎幸病院で行う。)で、初診の時に、「すぐ手術しなければ、歩けなくなる。」と言われ、3カ月目で手術。
最悪な状態になっているので、至急の手術。
そして、やっと、その日が来た。
看護師さんが、「霧野さん、一番初めです。11時からで、10時40分になったら呼びに来ます。」
朝、9時から手術用の寝巻きに着替え、エコノミー症候群にならないように圧力靴下をはいて、点滴をし始めて2時間。
あー、お腹が空いた。
Oエスワン2本でわね、お腹も空いちゃうな。
時間が来た。
「霧野さん、時間です。一緒に行きましょう。」と看護師さんが言った。
母が「ぬんちゃん、頑張ってきてね。」と言った。
「うん。」
手術室までは歩いていく。
廊下を歩いていると、ナースステーションの中の看護師さんたちがみんなで、
「霧野さん、頑張ってきてね。」と言ってくれた。
エレベーターまでの白い廊下を歩く。
昨日は、入院してからこの白い廊下を通り、エレベーターで、一番上の階にあるカフェに探検に行ってみた。
手術を受けたら、自由に歩けないだろうから、探検は今のうちだ。
カフェ・オ・レを飲んで、チョコクロワッサンを食べた。
カフェの外には、屋上庭園があって、はるか彼方にK崎駅が見える。
ちょっとのんびりして、病室に戻ると、看護師さんが
「霧野さん、探していたのよ。どこ行っていたの?」
「カフェへ。」
「明日の手術の準備があるから、ウロチョロしないでね。」
「はい。」
「これ、夕食だから。」
見るとベットの上のテーブルに、2本のOエスワンが置いてあった。
「え?」
「明日の朝までに、必ず2本、飲んでおいてね。」
「はい。」
これが夕食か。
昨日は、この廊下、こんなに長く感じなかったんだけどな。
専用のキーがないとは入れないエレベータールームから、エレベータに乗り、下った。
降りると、手術室と書かれた自動ドアがあり、開くと、十数人の麻酔科医がお待ちかねで、麻酔の説明をしてくれた。
名前と生年月日の確認があり、自分のスリッパから手術室用のサンダルに履き替えるように言われた。
手術室用のサンダルは、とても冷たかった。
次の部屋に行くと、
「霧野さん、今日はどんな手術をするのか、言ってください。」
座っていた手術室の看護師さんが立って、聞いてきた。
「今日は、左膝の前十字靭帯損傷の再建術をやって、それから骨切術をします。」
「はい、そうですね。」
(え、いきなり、緊張するな。そんなことまで聞かれるのか、医療の勉強もしていないと難しいな。)
だんだん、室温が低くなる。
「では、手術室に入ります。」
自動ドアが開くと、クラシック音楽がかかり、壁には虹色の光が照らされていた。
「霧野さん、この台に乗ってください。狭いので落ちないように。」
「はい。」
真ん中に置かれた黒い手術台に乗った。
手術台は、ほんのり暖かかった。
乗った瞬間、3人の看護師が取り囲み、点滴の付け替え、心電図、血圧計をつけたり、てきぱき次から次へと作業をしていく。
「霧野さん、左下にして寝てください。」
「背中に腰椎麻酔入れますね。」
痛っ!背骨に何かがささった。
「はい、では上を向いてください。落ちないように周りで囲んでいますから。」
上を向いた、次の瞬間、口に酸素マスクが充てられた。
「もう、麻酔入れました。数を一から数えてください。」
「一、二・・・・・」
「霧野さん、起きてください。手術は無事終わりましたよ。ここはHCUです。」
まだ、10%ぐらいの意識しか戻っていないのに、声をかけられた。
寝ようとすると、「霧野さん、起きて」と言われる。
(うるさいな…私、いま、すっごく眠いのです。寝たいです。)
「霧野さん、H先生が手術の説明をしますから、起きていてください。」
「はあーい。」
ベッドの隣で、手術着のH先生がひたすらペラペラと話している。
ぬんは、霧がかかった朦朧とした意識の中で、H先生が何を言っているのか、全くわからないまま、うなずいていた。
(もういいですから、眠らせてください。)
「霧野さん、わかりましたか?じゃあ。」と言って、すっと去っていった。
母が看護師さんに言われたおむつを買いに行って、帰ってきて。
「あれ、H先生は?手術の説明するって言われたのですが。」
すると、看護師さんが、
「あ、今、H先生が霧野さんに説明していかれましたよ。」
「あー、そうなんですか、ぬん、聞いてました?寝てるみたいけど。」
「でも、霧野さん、『はあーい。』とか、お返事なさっていましたから、大丈夫ではないですか。」
「あー、そうですか?あー、これおむつです。よろしくお願いします。」
「はい。ありがとうございました。」
「じゃあ、ぬんちゃん、ママ、帰るからね。ゆっくり寝てね。」
「うん。」
一人になった、寝よう。
いつだかわからない時間。
左足に激痛が走って起きた。
体には7本ぐらいの線がついているので、動きが悪い。
右手で布団をバッとめくって、足を見た。
ぐるぐるに巻かれた包帯に血が滲んでいる。
(あ、足、ある。)
ぼーっとした頭で。
HCUは、看護師さんがたくさんいるので、ブザーを鳴らして、看護師さんを呼んだ。
「すみません。足がすごく痛いんですけど。」
「うん。でも、さっき、強い痛み止めの点滴、終わったばかりだから、あと1時間待って。」
「え、こんなに痛いのに1時間も待つんですか?それに、お手洗い行きたいのですが。」
「うん、大丈夫そのまましちゃって。おむつしてあるから。」
「でも。。。」
「へーき、へーき」
と言われても、赤ちゃんじゃあるまいし。
それにしても、左足がちぎれかけているかのように痛い。
さっき看護師さんを呼んでどのぐらい経ったのか、不明だったが、また呼んでしまった。
「じゃあ、ちょっと早いけど、強い痛み止め、点滴に入れますね。」
「はい。」
入れてもらって、少し経つと、痛みがひいてきたらしい。
また、いつの間にか眠りについていた。
またどのくらい経ったか、今度は麻酔が引いていくときの一種独特の吐き気が襲ってきた。
また看護師さんを呼んだ。
そして、その次は水が飲みたくなって、また看護師さんを呼んだ。
そして次はまた足が痛くて・・・の繰り返しだった。
とうとうお手洗いもベッドの隣に簡易トイレが置かれた。
「霧野さん、もう立てるかな?若いからね。右足でトントンとね。左足はついちゃダメよ。」
7本つながった線をすべて右手で持って、トイレに立った瞬間、手術をした左足のつま先が床に当たった。
「ギョエーッ!!」あまりの痛さに、HCU中に響く声で叫んだ。
看護師さんが
「だから、右足でトントンって言ったじゃない。」
「好きで左足をついたわけではありません!!!」と言いたいところだが、あまりにも痛くて声も出ない。
用を足して、ベットに座り、また看護師さんに7本の線のうちの数本をつなぎ直してもらった。
心臓がバクバクしている。
強い痛み止めを入れてもらうこと数回、死に物狂いの用足し数回。
やっと、白々と夜が明けてきた。
疲れ果たした手術後の夜だった。
最後の用足しは、車椅子に乗って、個室のお手洗いに連れて行かれた。
足に巻かれた包帯の血はどんどん広がってきていた。
ベッドに戻り、痛み止めで痛みも落ち着き、用足しも終わると、すぐに睡魔が襲ってきた。
自分ではあっという間と言う気分だったが、朝食の時間がやってきた。
「霧野さん、朝食ですよ。車いすに座って食べよっか。」と看護師さんに言われ、用足しですっかり慣れた車椅子への移動で、車椅子に座った。
朝食は、エビのトマトソース炒めとジャムをつけるようになっている食パン2枚、サラダ、牛乳だった。
あの痛くて、苦しい夜を過ごした直後の朝食がこんなにしつこそう。
周りに入院しているおじいさん、おばあさんもこれを食べるのかな?
朝食を食べ終わると、
「霧野さん、整形外科病棟の看護師さんがお迎えに来てくれるから、そのまま待ってて。」と言われて、ずうーっと気が抜けたように車椅子に座っていた。
左足はひざを手術しているので曲がらない。
ふと見ると、一晩過ごしたベッドのシーツは、痛くて暴れていたしわがぐちゃぐちゃにつき、掛布団には、たくさんの血が付いていた。
ふと左足を見ると、太さが右足の2倍ぐらいに腫れていて、膝の包帯の合間から出ているチューブから袋がぶら下がっていたが、カップ一杯分ぐらいの血が溜まっていた。
迎えに来た看護師さんが
「霧野さん、もう痛くない?痛くないはずないか。もうちょっとでお部屋に着きますよ。」
部屋に戻ると、窓からあの大きな会社のビルが朝陽で光っていた。
やっと、終わった。
まだ、激痛は続いているし、血も出続けているし、手を添えてあげないと左足は全く動かなかった。
けれども、ワンステップは終わった。
J事課の障害者ハラスメントで、通勤災害に認められなかった痛い大きな傷。
恨みの傷だ。
これから、一生、この傷を見るたび、K奈川県庁から受けたハラスメントを思い出すだろう。
まず高校生に転ばされて、人事課の杉尾さんにいくつかの条件を出され、それをクリアすれば「通勤災害」として認めると言われ、必死になって病院などに確認して、「前十字靭帯損傷の疑い」ではなく、新しく診てもらった「前十字靭帯損傷」と言う正しい傷病名も証明してもらって、「疑い」ではないから、こんな痛い手術をすることになって、これでも、「通勤災害」を認めない。
「何で、ぬんだけが仕事中に怪我させられて、こんな痛い、痛い手術をして、人事課からのひどいハラスメントを受けてならないんだーっ!!」
思いっきり、病室で怒鳴った。
K奈川県庁って、J事課っておかしい、組織として狂っている。
担当者たちも人間じゃない。
そんなことが考えられたのは、1週間ぐらい経って、リハビリして、松葉杖で何とか歩けるようになってからだった。
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