第34話 やぶ医者、Kず整形外科クリニック。
前の日に6人の高校生に転ばされたことは、事務室の誰にも言わなかった。
うちの学校の生徒がやったことになると、校長始め副校長、教頭が血眼になって探すだろう。
それに、転んだなんて言うのは恥ずかしかった。
N谷高校に行ってまだ20日しか経っていない。
「学校に来て、まだ20日だよ。」なんて言われるのも、心も体も傷だらけの今のぬんには、辛かった。
学校にも慣れず、一人前の仕事もできないうちに、転んだなんて、とても言えない。
一生懸命、何もなかったかのようなふりをした。
事務室は、相変わらず賑やかだった。
副校長や教頭が来ると、ただでさえ賑やかな事務室は、3倍ぐらい賑やかになった。
未だ会計システムと格闘の日々が続き、足が痛いのも少しは忘れられた。
1週間ぐらいは、母に車で送り迎えをしてもらったが、乗り降りも慣れてきたので、電車とバスで通勤を始めた。
そんな折、忘れようと思っていた多田課長からメールが来た。
S業流通課の商店街振興チームで、「S業労働局長の局長表彰をもらったから、その副賞を取りに来ませんか?」というようなメールだった。
知らん顔しようかと思った。
ぬんをN谷高校に異動させた人。
知らん顔して当然だと思った。
良く面倒を見てくれていた鐘木さんからは、
「多田課長が『霧野さんは、来てくれませんね。』と毎日、気にしているよ。取りにおいでよ。」というような電話があった。
でも、ぬんは断った。
「いいえ、行きません。」
「多田課長、待っているよ。」
「私は、多田課長にひどく傷つけられました。行く気にはなれません。」
「S業流通課のみんな、霧野さんに会いたいって待っているよ。」
醜い県庁の人間の関係の中で、人事課にいたぶられて遊ばれた障害者のぬん。
その舞台になったS業流通課には近づきたくない。
おまけに、今は足が痛くてまともに歩けない。
学校に行き帰りするのがやっとだった。
多田課長、お願いです。もう、何も言ってこないでください。
2か月経った6月のある日、ファイリングの下の棚から書類を取ろうとして、かがんだ。
そして、立ち上がろうとした。
書類を持ったまま、「どん!」しりもちをついた。
立ち上がれなかった。
左膝に全く力が入らない。
「ぬんちゃん!!大丈夫???」
守川さんが駆け寄ってきて、起こそうとしてくれた。
「う~ん、ありがと。」
力が入らない左膝をかばいながら立とうとした。
どうやっても立てない。
守川さんが立ち上がらせようとしてくれた。
守川さんは、痩せているが力持ちだった。
でも、左膝に全く力が入らないぬんを立ち上がらせるのは大変だった。
やっと立ち上がると、
「どうしたの?転んで、足、痛めたの?」と高坂事務長が言った。
「実は、」とぬんは話し出した。
4月20日に高校生に転ばされて、左膝に怪我を負った。
それから、全く力が入らくなったことを告げた。
守川さんがすかさず、
「それって仕事帰りの通勤途上だし、うちの高校生に転ばされたんだから、公務災害じゃない?当然だよね。」
高坂事務長が
「公務災害か、出してみようか。人事課って組織の味方だから職員のことなんか考えていないからさぁ、お金も出したがらないし、まして、公務災害で療養休暇なんて不名誉なことしたがらないんだよ。私、今までも公務災害を認めなかったひどい例を知っているからさぁ。」
守川さんが言った。
「でも、ぬんちゃんの場合は違うと思います。」
ぬんは、
「とりあえず、どうなっているのか、今日、整形外科に行ってきます。捻挫かもしれないし。捻挫で公務災害じゃあね。ちょっと恥ずかしいし。」
「え、膝の捻挫だとしても、原因が生徒に転ばされてだから、十分、公務災害だと思うけど。」守川さんが言った。
学校の帰り、インターネットで割と評判の良かった、K永谷駅から坂を上った「Kず整形外科クリニック」に行った。
受付で「労働災害ですか、違いますか?」と聞かれた。
当然公務災害と思っていたぬんは、「はい、公務災害です。」
3時間待って、やっとぬんの順番になった。
H谷川院長が診察した。
「どうやって転んだんですか?」
「恥ずかしいことですが、私、高校に勤務していますが、その学校の生徒に足を出されて、引っかかって転んだんです。」
「痛い?ちょっと腫れているよね。いつ怪我したの?今日?昨日?ですか?」
「や、2か月前なんです。」
「え、2か月前?ずっとこの足で歩いていたの?すごい腫れていますよ。それに膝、ぐらぐらしているし。相当痛かったんじゃないですか?」
「あ、痛かったです。」
「2か月も経っているから、擦り傷は治ったのですね。まず、レントゲン取ってみましょうか?」
「はい。よろしくお願いします。」
レントゲンを撮った。
レントゲンを撮って、また待合室で待っていると、診察室に呼ばれた。
「骨が曲がってきていますね。前十字靭帯はレントゲンだけだとちょっとわからないな。でも、話を聞いていると、前十字靭帯を痛めているようです。MRIを取ってもらいたいのですが、うちにはMRIの機械がないから、取ってきてもらいたいのだけど。ここへ引越する前のうちの建物、知っている?そのそばに『Kう脳神経クリニック』というクリニックがあるからそこに行って、MRI、撮ってきてもらっていいですか?」
「はい、わかりました。」
会計に行くと、「公務災害だから、支払いはないです。」と言われた。
2,3日後、予約していた上永谷Kう脳神経クリニックに行った。
持たされた書類の病名には「左膝変形性膝関節症」と書いてあった。
「え、これ違うじゃない?」とぬんは思った。
上永谷Kう脳神経クリニックの最初の電子カルテにも、病名「左膝変形性膝関節症」と書いてあった。
K先生に「前十字靭帯損傷ではないのですか?」と聞くと、「それは、長谷川先生に聞いてください。長谷川先生からは、『左膝変形性膝関節症』とだけ聞いているので。」と言われた。
それから、2,3日経って、MRIのCDを持って、Kず整形外科クリニックに行った。
散々眺めていたが、ぬんの持病、通院歴や飲んでいる薬を見て、障害があることを知ったからか、「持病のせいかもしれませんね。」と言った。
「何ですか、持病って?転んでから痛くなったのに?」
「ある程度の年になるとなるんですよ、『膝変形性膝関節症』に。それにいろいろ障害があるみたいだし。」
「え?先生、前十字靭帯損傷ではないのですか?何で『膝変形性膝関節症』なんて、嘘を書くんですか?転んで怪我して、『膝変形性膝関節症』になるんですか?」
(ぬんは、「膝変形性膝関節症」は年を取った人がかかる膝が湾曲してくる病気だと思っていた。だから、「変形性膝関節症」は「誤診」だと思った。)
「本当のところ、僕は「前十字靭帯損傷」なのか、よくわからないのですよ。」
「MRIを撮ったのに?MRI、撮ればわかるんじゃないですか?」
「先生、整形外科のお医者さんですよね。」
「それがね、靭帯が切れているか、画像を見てもよくわからないのですよね。」
「H谷川先生、整形外科のお医者さんですよね。」
「わからないんです。とりあえず、今日はひざに痛み止めを注射して、それで帰って。」と、イラつかれて、帰れとのことだった。
注射した。何の注射かわからなかったかよくわからなかったが、H谷川先生、確か痛み止めっていっていたな。
ぬんは、2か月ぶりに膝の痛いのが無くなって、ルンルン気分になった。
でも、膝のグラグラ感は全く治らなかった。
母に、上永谷まで迎えに来てもらった。
母が心配そうに、「どうだった?」と聞いた。
「何か、ここの先生「前十字靭帯損傷」なのか判断できないみたい。」
「え、だってMRIも撮ったんでしょう。」
「でも、「変形性膝関節症」みたいなことも言うし。」
「だって、あなた、そんな年ではないでしょう。それに痛くなったり、膝がぐらつくようになったのは、ケガしてからだし。Kず整形外科って駄目なお医者さんなんじゃないの?いわゆる、やぶ医者、ではないの?」
「うん。でも、まだ来るようになっって2回目だし、もう少し来てみる。」
「そお?もう少し、きちんとした先生に診てもらった方がいいんじゃないの?傷病名もわからない先生っているの?それも、転んで怪我して、『変形性膝関節症』なんて、絶対やぶでしょう。」
「うん、そうかもね。」母が言う気持ちはよーくわかっていた。
でも、また、他の病院に行って、MRIを撮りに行って、というのが面倒だった。
それからの通院のメニューは、リハビリが中心だった。
1か月に一回は、医師の診察がないとリハビリできないので、月一回は診察。あとは、電気を当てたり、理学療法士が回したり、揉んだりという20分程度の通院だった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます