第16話 県庁に入って唯一充実していた2年間。そして・・
プロポーザルの面接で話した通り、ぬんはK奈川県の農林水産物の販売戦略の企画を提案し、合川さんに報告した。
合川さんは、ぬんの企画を持っていくと、「うん、面白い。これは、斬新だから、民間企業でも通じるよ。」とものすごく評価してくれた。
そして、自分がアタックしてもらってきた企業担当者の名刺を渡してくれて、「この企業へ持って行って提案して説明してきなさい。」と言った。
K奈川県のホテル、デパート、駅ビル、いろいろなところに提案に出かけた。
農業者さんとの付き合いは朝が早く、企業さんとの付き合いは、夜遅かった。
多くの書類を抱えて、毎日がぬんが考えた企画、提案、事業実現という日々が続いた。
いくら自分に向いている仕事をさせてもらえるようになっても、一度めちゃくちゃにされたぬんの体、病気は決して良くなることはなかった。
しかし、楽しい忙しさで、乗り切っていった。
できるだけ早寝をして、昼間のために力を溜め込んだ。
ぬんを病気にさせた人たちを見返さなければならない。
障害者
=仕事ができない人
=ハラスメントをしてもいい人(ハラスメントをすることに値する人)
=昇格をさせなくていい人
と決めた人たちだ。
さて、話は戻るが、S南ゴールドというかんきつを販売するために、T島屋やSごうの食品売り場に立った。
その時は、合川さんが17時15分になると、「霧野さん、今日はSごう(横浜駅東口のデパート)に行く日だったかな。頑張って売ってこい。」
行くと、私はS南ゴールドの売り場に入り、エプロンに「霧野」の名前バッジを付けて、Sごうの店員となった。
Sごうの販売課長に「霧野さん、これ今日の分ですから、20時までに全部売り切ってください。」と言われた。
今、18時ちょいすぎ、20時までの2時間で、この山のようなS南ゴールドを売り切らなければならない。
手袋をして、味見をしてもらうS南ゴールドを何個も何個も剥いた。お皿に並べ、楊枝を指し、準備OK。
「爽やかで上品な香りのS南ゴールド、いかがですかあ。」
周りのお菓子売り場の店員の人がぬんのものすごい大声に一斉に振り向いた。
「いらっしゃませ、どうぞ召し上がってください。」
お客さんは、思っているほど簡単には買ってくれない。
でも、頑張るしかない。
県を代表してK奈川県が開発したS南ゴールドを売りにきているんだ。
K奈川県職員として、ここでK奈川県をPRしなければだめなんだ。
お客さんと話して、買ってくれたり、買ってくれなかったり、でも、これが販売促進担当としてはすごく勉強になる。
20時になって、数袋残っていた。「あと数袋、残ってしまった。」Sごうの閉店の音楽が流れている。
「ああ、売れ残りになってしまうのだろうか。。。」
そこへ、2人の中年の女性がやってきた。
「お味見だけでもいかがですか?今日はもう終了なのです。私が皮をむいたお味見用が残っていますから、是非召し上がって喉の渇きを潤してからお帰りください。」
女性たちは、「じゃあ、お言葉に甘えて」と言って、2,3個ずつ食べた。
一人の人が「S南ゴールドって前から気になっていたの。美味しいのね。」と言ってくれた。
もう一人が「うん。」と言ってくれた。
「ありがとうございます。気を付けてお帰りください。」と私が言うと、「せっかく食べさせていただいたのだから。いただくわ。」と言った。
「あ、いいんですよ。味を知っていただけでもうれしいです。」
「美味しいから買わせていただくのよ。あと何袋残っている?美味しから、お友達にも差し上げたいから、残り全て買うわ。」と言って、数袋合ったものを全て買ってくれた。
ぬんは、本当にうれしかった。
販売課長がやってきて、「さすが霧野さん!売り切りましたね。ではでは、また明日も、、、是非、よろしくお願いします。」
「はいっ!」
ぬんは声を上げた。
次の日もSごうに行った。
また、エプロンにバッジをつけた。
「あの昨日の人ですよね?」
後ろから声をかけられ、ぬんは振り返った。
昨日、閉店間際に買ってくれた人だった。
「あ、昨日の方ですね。昨日はどうもありがとうございました。」
「昨日買って帰って食べたら、すごく美味しかったので、今日はお遣い物にしようと思って買いに来ました。K奈川県しか売っていないのですってね。箱に入れていただいて懸け紙をかけてもらいたいのです。できますか?」
「はい、もちろんでございます。ありがとうございます。少々お待ちください。」
売り場をSごうの店員に任せ、ぬんは販売課長のところに走った。
販売課長は、にこやかに
「はい。わかりました。霧野さん、本当にありがとうございます。」と言った。
そして、次の日からはT島屋の地下で、S南ゴールドを売ることとなった。
デパートでは、いろいろなお客さんに会って、お話しして、一部の県民の人の気持ちを知った。
本当に素晴らしい経験ができた。
他に、ホテルでは、いろいろな形でK奈川県産フェアを開催してもらった。
その時は、農業者さん、漁業者さん、仲卸さんと出会い、協力をしてもらった。
地元で、K奈川県産フェアをやることについて、集客できるのだろうかと心配していたが、ぬんが考えている以上にお客さんが来てくれた。
「かなふぅ」という食育のキャラクターの着ぐるみの中にも入った。
さすがに、かなふぅは頭が重くて、頭に振り回され、頚椎が痛くなり、あー、これはきついなあ、次回は難しいかもと思った。
ぬんにとって、K奈川県での地産地消の仕事は幅広く、いろいろな人に会わせてくれて、そして何より心にとても奥深い思いを残してくれた。
この合川課長と働いた2年間が、県庁生活の中で、最初で最後のK奈川県職員らしい素晴らしい時間であったかもしれない。
3年目の3月11日、新庁舎の自席で仕事をしている時、東日本大震災が起こった。
うちの班長だった小林さんは、部下に声をかけることもなく、誘導することもなく、一人庁舎外に逃げた。
(災害時のお決まりをいつもぬんたちに言って聞かせていた班長なのに、自分だけ逃げるんだ。ぬんたちは死んでもいいわけね。ひどい。自分さえよければいいんだ。)
ファイリングケースの前に座っていた田中高志さんとぬん。
田中さんとぬんは机の下に逃げ、倒れてきたファイリングケースとの間に挟まれ、身動きが取れなくなった。
「田中さん、大丈夫?」
「すごい地震でしたね。まだ、揺れていますよ。」
「狭いし、首と肩が痛い。ファイリングケースの引き出しがまだ揺れている残りの地震で椅子を押して、椅子が首と肩をギリギリしてくる。どうしよう。ここ。出たいけど、ファイリングケース、引き出し全部出ちゃって、重いし。どうしたらいいのだろう。立て直さなければ出られないね。どうやって立てようか?」
「重くて、一人で押したくらいじゃ無理そうです。僕も足が痛いです。机といすの間に挟まっているみたいで。」
かなり沈黙があった。
もがいてもどうにもならず、だんだんお手洗いにも行きたくなり、おなかも空いてきた。
「田中さん、どう。」
「さっきのままです。」
2時間くらいして、誰かが「ここの部屋、誰かいる?」という声が聞こえた。
「いまーす。2名いまーす。」
「ここの部屋、2人がファイリングで挟まれているみたい。」誰かに言った。
「けがはない?大丈夫?」
「はい、何とか。私は、首と肩が挟まっています。、もう一人は足が挟まっているそうです。とにかく早くお手洗いに行きたいです。」
「あ、そうだね。」そして、1時間後、田中さんとぬんは助け出された。
すっかり寒くなってしまった。
非常事態で、仕事どころではなく、3時間机の下に閉じ込められた足はしびれ、椅子に座ったが歩けない状況だった。
でも、お手洗いだけは足を引きづって何とか行った。
やあ、間に合った。
廊下を多くの人が行き来している。いったい何が起こったのだろうか。
やっとつながった防災用のテレビをつけた。
黒い水が多くの家を次々と飲み込んでいく。
ニュースの人は叫ぶように、繰り返し、繰り返し東北地方で起こった大きな地震と想像を絶する津波の話をしている。
映像は、最初、訳が分からず資料映像かと思ってしまった。
しばらくして、小林さんが戻ってきた。
話によると、「地震の時は危ないから、外に逃げた方がいいのよ。何でみんな逃げなかったの?」
(この人は自分が班長で班員を誘導するという立場を忘れて、部下を置き去りにして、逃げたのに。)
ぬんがいる県庁もその後、何回も地震で揺れて、そのたびにみんなで「キャーキャー」と声を上げた。
ニュースでは、まだ情報が少なく、ただ一つ言えることは、東北地方が壊滅的になっている、という話だけがだった。
帰宅時間になったが、電車はすべて止まっているという話だった。
スマホも混線してつながらなかった。
(ママはどうしているだろう。きっとぬんに電話をかけ続けているだろうに。)
4時間後、母と電話がつながった。
今、ぬんを迎えに来る途中だという。
母が渋滞の中、5時間かけて家から迎えに来てくれた。
家に着くと、午前3時だったが、テレビでは、東日本大震災(この時はまだ、この大きな地震の命名はされていなかった。)の話をアナウンサーが悲壮な声を出しながら話していた。
テレビで画像が出るたびに、東北にこのような悲惨なことが起こっているが全く理解できなかった。
ぬんたちは、公務員なので、次の日は朝8時30分までに出勤するように、前の日にK境農政総務室が各所属を回って大声で伝えていった。
テレビの画像が怖くてほとんど眠ることなく、シャワーを浴びて、朝食を食べて、職場に向かって、家を出た。
あくる日と言っても家に着いたその日だが、公共交通機関はほとんど動いておらず、大勢のいろいろな会社への出勤者とともに何キロも歩いて、やっと職場に着いた。
しばらくは、当座、急ぎの仕事をした。
その後、しばらくは色々なことがあった。
地震や津波でT京電力の発電所が、使えなくなったので、ほとんどのところで計画停電になった。
職場に来ているほとんどの人の家が計画停電となり、出勤時間が遅れたり、帰る時間を急いだりした。
ぬんの家は、計画停電からは免れたが、職場までの交通手段はいつまで経っても乱れに乱れ、ここのところに無い、おしくらまんじゅうの通勤を続けていた。
2週間ぐらい経つと仕事はほぼ通常どおりに近い状況になっていき、ぬんたちも、職務である「地産地消」は、細々と始めだした。
地震の前にように、華々しく販売促進のためのフェアなどは控えていたが、ウドの季節になればその料理教室なども実施した。
1か月も経つと、民間企業や仲卸さんから「そろそろ霧野さんもまた動き始めてくれないかな。」とか、H根プロモーションフォーラムの人々も「大震災でお客が減ってしまったから、誘客のために何かやろうと思う。霧野ちゃんも力、貸して。」という話が多く入るようになり、少しずつ、日常を取り出そうという動きが始まった。
そのような中でも、東日本大震災の爪痕は大きく、ニュースでやるたび、気にしていたが、何しろぬんにはいろいろ障害があって力仕事はできない。
でも、ぬんも何かできないかと考え、日本茶インストラクターK奈川県支部で、F島県の避難所や復興住宅にボランティアで呈茶をしたり、通っている教会の有志で家族を亡くしたM相馬のお年寄りの話し相手に行ったりした。
そして、K奈川県のことも重要だ。
落ち込んだ飲食業や観光業をK奈川県のぬんの課が協力して、何かできるということは時間を惜しまずやった。
そのために、夜遅い日が続いた。
災害にあった人々とは格段の差があるが、ぬんたちも辛い日々を送っていた。
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