第12話 雲になった山上君。パワハラとセクハラ、再び。

2,3日経って彼の奥さんから電話がかかってきた。

「お通夜とお葬式なんですけど、職場の方がみえると思うので、霧野さん、受付をお願いできませんか?霧野さんのほうがご存じの方が多いと思いますので。」とのことだった。

はっきりした声だった。

ぬんなんかまだ目の周り赤くしたまま、職場に通っているのに、「奥さんは本当に偉いなあ。」と思った。

彼のお通夜とお葬式は、火葬場の一角の葬儀場で行われた。

彼は、MEN‘S NON-NOなどのおしゃれな本が好きだったし、

「霧野ちゃん、どうこのシャツ?」

「うん、いいんじゃない。」なんておしゃれ話もよくしていた。

だから私は、山上君を天国に送るのに、いつもより少しおしゃれな喪服を着た。

受付をする前、山上君のご両親に「和成の顔見てください。穏やかな顔なんですよ。」とのお話があり、棺の中の彼の顔を見た。

眠っているようだった。

以前の所属で、隣に座っていたころの優しい顔だった。

彼のお母さんは、

「和成、いじめられていたらしいのです。でも、口が重くて、穏やかな性格だから、言い返すこともできなかったでしょう。『はあ、はあ、わかりました。』なんてニタニタしながら聞いていたんでしょう。それでだんだん心を病んで。」

年老いた山上君のお母さんは、ぬんに気を遣って笑いながらも、悲しみに溢れていた。

とてもお母さんの肩は震え、とても小さく見えた。

無表情のお父さんが迎えに来て、ペコリとぬんに頭を下げて、お母さんの肩を抱いて、控室へ二人向かっていった。

棺の近くから誰もいなくなり、山上君と二人きりになった。

冷たくなった彼の両側の頬を、ぬんは両手で優しく包んで話しかけた。

「やっと辛かった毎日から逃れられたね。やっといじめのない世界へ行けるね。」

涙が頬を伝った。

「何で、何で、どうして死んじゃったの?」

次の日も受付をするため、葬儀場に行った。

彼のお母さんが、「毎日、来てもらってすみませんね。でも、和成、霧野さんのことすごく信じていたようで。『霧野ちゃんが、霧野ちゃんが』って、家でもよく話していましたよ。仲よくしてもらっていたんでしょう。ありがとね。本当に、ありがとう。」

ところどころ、声をからしながら話してくれた。

彼のお母さんが私の手を一段と深く握りしめた。

ぬんの手にお母さんの一滴の暖かい水滴が落ちた。

彼のお母さん、下を向いて、声はあまり出ていなかったが、涙を流していたのだろう。

ご両親は、息子に先立たれ、辛かったんだと思う。

なんだかとても疲れていて、2人でお互いを支えあってやっと歩いている感じだった。

山上君の奥さんに挨拶をして、棺の山上君に会いに行った。

「今日も来たよ。今日の調子はどう?今日もご機嫌だね。」

今日の彼は一段とほほ笑んでいた感じがした。

「天国に着いた?もう苦しむことはないね。」

二日間、受付をした。

思っていたほど県庁の人は来なかった。

いじめに合って、所属を変えてもらってから1か月だけ彼が異動したJ動車税管理事務所の数人の人だけが義理で来た。

この職場へは、彼も数日しか通勤してなかったから、本当の彼を知っている人なんていなかったと思う。

知らない山上君だが、その所属の時亡くなったわけだから、みんなおどおどしながらお線香をあげていた。

でも、やはりぬんが腹が立ったのは、彼をいじめて、いじめ抜いて、あんなに優しかった彼をおかしくして、最後に死まで追いやった県立Kども医療センターの人だった。

そして、その関係者は誰も来なかった。

「彼を死まで追いやったくせになぜ来ない。あなた達が山上君を殺しのよ。あなたたちが山上君の家族から山上君を奪って奥さんやご両親を泣かせたのよ。」

もちろん県立Kども医療センターの関係者もそれを知っていたから、来られなかったのだろう。

卑怯だ。

当然、その所属の人が来ていたらぬんは、怒鳴って、怒鳴って、怒りをあらわに暴れていたかもしれない。

「山上君を生き返らせて。あのスマートで背が高い体と優しくてシャイな心を返してっ!」って言っていただろう。

その日の午後、彼は煙になって真っ青な空へと上って行った。

青空に上っていく白い煙は、優しかった彼を表しているフワフワっとした優しい煙だった。

「私は絶対忘れないからね。あなたのことを。あなたと過ごした楽しかった時間を忘れないから。」


うちの班は、班長の塩山さんがいなくなったぬんの所属、N業振興課はただただ辛かった。

技術屋(ここでは、農業職)の班長はいた。

しかし、技術屋の仕事はしてくれたが、他の課からの調査ものや事務屋の仕事は私にすべて回ってきた。

技術屋は何人かいたが、その中にいた大玉明夫さんの私に対する態度はひどかった。陰険で、意地悪なことを次から次へと言ってきた。

私が主査という地位で、うちのF及・金融班に来る仕事を振り分けていることに、自分の方がぬんより格上の副技幹なのにということで、自尊心が傷つき、また、腹の虫もおさまらなかったのだろう。

私の言うことにいちいち直し、反抗したり、断ってきたりしてきた。

私が「大玉さん、これって農業についてのことなので、回答してもらっていいですか?」というと、自身の東北弁で、眼鏡の奥の大きな目をギョロっと開け、隣にいる、明るくて人がいい同じ技術屋の益岡健さんに大声で、「全く、こんな簡単な農業を知らないなんて、N業振興課に来るなっていうの。こんな女と一緒に働かされるこっちの身にもなってほしいよな。霧野さんさあ、自分でできないの?」

「あ、でも私の仕事の担当はN業金融ですから、この担当は農業職の大玉さんかと。」「グダグダうるさい女だよ。ハハッ(笑)、塩山さんがいなくなったからって、自分が一番偉いと思っているんじゃないの?」

プイっとして立っていって、ロッカーに手をかけ、他の班の農業職とこっちをちらちら見ながらぬんのことを指さし、大笑いしながら話を始めた。

そこに、佐藤女史が「霧野さんの言い方が悪いんじゃないの?やってもらわなきゃダメじゃない。私たちじゃできないのだから。」と笑いもせずプイっと立ってどこかに行ってしまった。

しょうがなく技術屋の班長の吉野敏之さんに「これって農業職の仕事なので、大玉さんにお願いしたいのですが。」

「うん、わかった。」

書類を見てパッと目を通して「これどう見ても大玉さんの仕事だよね。何でやらないのかな?」

「私のことが嫌いなのかも。自分は副技幹なんだから主査の言うことなんか聞きたくないのではないでしょうか?それに女の言うことなんてって言ってたし、格下の女性の言うことなんか聞きたくないのではないですか?」

吉野さんは物静かな優しい性格の人だったが、「女の」とか「主査だから」とかそういう差別的パワハラとかセクハラというようなことで、大玉さんが引き受けないことを聞いて、さすがに良くないことだと認識したらしく、すぐに

「そうか、じゃあ俺から言ってみる。」と言ってくれた。

それから少し経って、吉野さんは、大玉さんに書類を持って話しにいった。

「あ、それ、僕の仕事ですから、やりますよ。」と吉野さんにはにこやかにそして簡単に返事をしたが、吉野さんと話し終わった瞬間、大玉さんの大きな目は、思いっきり私をにらみつけていた。

それから決まって、吉野さんが席を外すと、

「あー、女っていや。すぐに上司に言いつけやがる。おかげでこっちは成績、下げられちゃったよ。」

それからは何かにつけて、「女ってバカだね。すぐに上司に言えば何とかなると思っていやがる。」とかいうようになった。

それでいて、私の隣の佐藤女史には、「佐藤さんは違うよ。バカじゃないから。

女性でもさあ、人によるんだよ。」と言っていた。

自分が副技幹で、格下の主査から「これ、やってください。」命令されるのが嫌だったに違いない。

佐藤女史もぬんと同じ主査なのだが、仕事の依頼の順で、佐藤女史からは直接、大玉さんにお願いする仕事がない。

だから、佐藤女史は変な因縁をつけられることないのだ。

私は、直前に起こった山上くんの自死の気持ちがよくわかる気がして、

(あー、山上君、いじめって本当に陰湿だね。それに思いがけないところで始まる。私もこう毎日だとうんざりだ。)と亡くなった山上君に心の中でつぶやいた。

そのような中、私は農業金融の仕事をしていたので、延滞整理という仕事もやった。

新規就農で、農業を初めてやり始めるのはなかなか大変である。そのため、公的融資を受ける。

しかし、やはり最初は売れるような農作物ができないのが実情だ。

天候により何も農作物ができなければ、融資は返せなく、負債だけ残っていく。

病気などが発生すれば、農業初心者だと、どうしたら良いのかわからず、なす術もなく、農作物は全滅、仕事もなくなる。

特に畜産は難しい。

私が担当していた延滞している人の中には、何億もの借り入れをして、返せなくなった例は数件あった。

また、国の融資は利息が高く、元金を返納しなければ、超高利な利息だけが恐ろしい速さで膨らんでいく。

担当のぬんと佐藤女史と熊井さんは、延滞者の中でも、毎月何万円ずつか返納することが可能な場合は1万円でも2万円でも返納してもらい、全く返納してくれない人にはとにかく1円でも返してもらおうと必死だった。

1円でも返納があれば、「時効の中断」となり、またそこから返納期間が始まるからだ。

何億円も借りて返納できない人の場合は、そのうちきっと何かをしてしまうだろう、と思って、とぬんは冷や冷やしていた。

何とか、借金が増えることをくい止めることはできないのだろうか。

ぬんはこの農業者の立場に立って、頑張れば何とかなることなのだろうか、ずっと考え続けた。



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