第11話 山上君、きみの心を理解をしてあげれなくてごめん。 

山上君は、自宅のマンションの居間のノブに、お気に入りの皮ベルトひっかけて首を吊ったとのことだった。

山上君は、自死する数時間前に私にメールをくれていた。

「霧野ちゃん、僕は今日も出勤できない。また飲みに行こう。」という内容だった。「いいのよ。行きたい気持ちになったら行けば。また、焼き鳥、食べに行こうね。」と書いた。

亡くなった時の職場はJ動車税管理事務所だったが、数日しか出勤してないとのことだった。

精神がおかしくなる前の県立Kども医療センターへの異動の直前まで山上君とは、ボランティアなどの県民活動をサポートする所属で、隣同士の席だった。

山上君は、背がスラーっと高く、ちょっと遊び心があった。

同期のぬんとは、仕事は押し付けたり、でも、助け合ったりもしていた。

「うおー、結婚してえ。」が口癖だった。

山上君が私を残して県立Kども医療センターへの異動した12月。

山上君からメールが来た。「霧野ちゃん、元気?自分は、今、俺、具合悪くて、仕事を休んでいます。一緒に飲もうよ。」

(あ、山上君!!久しぶり。でも、具合悪くて仕事を休んでいる?何それ、どういうこと?体のどこかの具合が悪いのかしら?)

すぐに電話した。

「どうしたの?どこ悪いの?」

「今日、夜、暇?一緒に飲みたいのだけど。そん時、話すよ。」

「うん、わかった。行く。」

寒い12月の夜、山上君と結婚したばかりの山上君の奥さん、私とで、焼鳥屋さんで会った。

私から聞くことはしなかった。

事情は、まず彼から聞こう。

「俺、今、職場に行ったり、休んだりなんだ。」

「うん。」

「山上が霧野さんだけには、自分のこと話しておきたいって言って。」

奥さんが涙を浮かべながら、すがる感じで口にした。

それから、3人でビールを一口ずつ飲みながら、彼の話を聞いた。

県立Kども医療センターの医事課に異動して、医療用具の発注の担当をしていたが、間違えると看護師さんから怒鳴られ続け、それが毎日続き、おとなしくて言われたとおりにする彼は、医事課の中でも集中砲火を浴びる一人になってしまったという。

「山上君、それでさあ、周りは何にも言ってくれないの?」

「うん。」

彼の話によると、周りの職員は、自分たちにお鉢が回ってこないよう、誰も助けてくれなかったとのことだった。

(まるで、ぬんにパワハラし続けた菊田さんのようだ。どこでも、最悪な人っているんだな。)

毎日毎日、そういう日が続き、次第に「山上さん!」と白い制服に呼びかけられると、心臓が止まりそうになるようになった。

次第に所属に行こうとすると、怒られる時のシーンを想像してしまい、家の玄関を出ると、白い制服からの怒鳴り声が聞こえるようになり、足が立ちすくんで動けなくなった。

確かに、彼は、周りを見回しながら小声で話し、常に何かにおびえていた。

時々顔を上げて私に見せる笑顔は、以前の所属の時、隣同士でじゃれあっていた時の純粋な笑い顔ではなく、どこか寂しげで辛いそうな作った笑顔だった。

誰があんなに優しくて、素敵ないたずらっ子だった山上くんをこんなにしてしまったのだろう。

私は泣いた。

彼の奥さんも泣いた。

彼だけがうつむき加減で小さな笑顔を浮かべ、ビールを飲んでいた。

別れ際、彼が「霧野ちゃん、俺、とりあえず頑張ってみるよ。まず、毎日職場に行けるようにする。」と言った。

「無理しなくてもいいんじゃない。あまり頑張ろうって思わないほうがいいよ。辛かったら、所属に行かなくてもいいんじゃないの?それより、また、会おうね。私もいろいろあるのよ。今度は聞いてもらうよっ。」

「うん。わかった。霧野ちゃんはいつも元気でいいな。霧野ちゃんと話しているだけで明るくなるよ。」と言って、昔と変わらぬいたずらっ子のような笑顔をほんの一つくれた。

隣で、奥さんは笑顔で何か一言、彼に声をかけ、そして、私のほうを見て深々とお辞儀をした。

彼は振り返って大きく手を振った。

そして、長い人差し指と中指でピースをしていた。

(バイバイ、またね、また会おーうね、山上君。)

それからの数か月、彼とは

「元気?会おうか」

「あ、ごめん、俺、都合悪くなった。」

「「俺、今日も具合悪くてさあ。外に出られなかった。」

「霧野ちゃん、俺、今日は仕事に行ってきた。」などというメールのやり取りが行われ、ぬんはN業金融の仕事に悪戦苦闘しながら、忙しい日々を送っていた。

彼の奥さんからメールで、陰惨ないじめに合った県立Kども医療センターから1年で、J動車税管理事務所に異動させてもらったことが書かれていた。

「うん、うん、彼もこれでいじめに合わなくて済むのね。良かった。」と軽く思ってしまった。

しかし、後から知ったことだが、彼は既に弱りきった心に、全く違う新しい仕事に慣れていくことは辛かったらしく、私が良かったなんて考えるようなそんな簡単な問題ではなかったのだ。


そんなある日、県庁近くの会社の社長が経営に行き詰まり、県庁の新庁舎の

12階の屋上から、飛び降りて自死した。

その時、新庁舎で勤務していたぬんは、何か大きな黒いものが上から落ちてきて、「ばっしゃーん」という大きな音がするのを聞いた。

「何か、落ちたぞぉ。」誰かが叫んだ。

窓に背を向けている上司たちがすぐさま立ち上がり、窓の下を見ていた。

60人近くいるうちの職員たちで気が付いた数人が窓辺に寄ろうとした。

外の状況を見た技術の課長代理が、窓辺に行こうとするぬんを手で阻止して、「霧野ちゃん、こっち来るな!見ちゃだめだ!」と怒鳴った。

誰かが「人が倒れているぞ。」と言った。

すぐにパトカーや救急車の音がけたたましく鳴り響いた。

そして、しばらくの間、10数メートルの近いところで赤色灯があたりのビルの壁面を真っ赤に染めまくっていた。

上司たちは廊下に出たり入ったりして、執務室の間の廊下では、大勢の人が群れになって、立ち止まっては話し、K境農政総務室からいろいろなお達しが来ているようだった。

お手洗いに行こうとすると課長代理が「霧野ちゃん、どこ行くの?建物の外に出ては絶対だめだよ。」

「えーと、お手洗いです。」

「あ、ごめん。」という時間がなんか少し緊迫した時間が5,6時間続いていた。

頭の中は、窓の外に一瞬何かを見た情景がくるくるしていた。


15時ごろ、その大騒ぎの中、ぬんと同じ庁舎で非常勤職員の仕事をしていた山上君の奥さんが青ざめた顔を小走りにやってきた。

「霧野さん、私、家に帰ります。彼に何かあったような気がするのです。」

「え、何かって何?」

「嫌な予感がするんです。携帯も出ないし。」

「え、まさか。だって今朝メールもらったよ。」

「なんでもなければ、それでいいんです。

でも、今朝、目に涙を浮かながら『いってらっしゃい!』」ってニコッとして言ったんです。」

「そう?まさか山上くんがそんなこと、考えないと思うけどね。」

ぬんは、外の大騒ぎの方を見た。

「まさか?」

「では!」彼女は、真っ青な顔で走っていった。


19時ごろ、所属から出て新庁舎を後にした。

外の社長が落ちたと思われる駐車場を見たが、昼間の騒ぎが嘘のように、人っ子一人おらず、電灯に照らされた薄暗い空間だけがそこにあった。

駐車場は、社長がどこに落ちたかもわからないにようにきれいに片付けられていた。暗闇と街灯のうすぼんやりとした光とその静寂が、逆に私には怖かった。

地下鉄の駅までの道には、お店に呼び込む何人も若い女性が立っていて、色とりどりの看板の光が光っていた。

家までは、いつもの道順でいつもの通り帰ったのと思う。

あまり覚えていない。

そういえば、山上くんはどうしたのだろう。あれ以来、奥さんからの連絡もない。「でもなあ、こちらから、『どうだった?大丈夫だった?』なんて、彼を信用してないようで聞けないし。」

母に今日、職場であった悲惨な話をして、そして、山上君の奥さんの話もした。

母も「山上くん、きっと元気よ。奥さんの思い過ごしよ。」と言って、いつもになく全く話さない私を気遣ってくれた。

21時ごろ、携帯が鳴った。ナンバーを見ると山上くんの奥さんからだった。

「はい。」

「山上、亡くなりました。お気に入りのズボンの皮ベルトで首吊って。自宅の居間のノブで。」

「えっ?うーん。。。わかった。電話ありがと。」言葉が出なかった。

奥さんはしっかり話してくれたのに、ぬんは何も話せなかった。

ぬんってだめだな。

でも、奥さんは話し続けた。

「やっぱり思った通りでした。家に着いた時、何度呼んでも返事がなくて。居間に入ったら彼がいて。一生懸命、名前、呼んで、たたいて。」

「でも、ダメでした。目を開けてくれなくて」彼女がひっくひっくしながら、一つずつ言葉を言ってくれた。

「もっと早く気が付いてあげれば、間に合ったかもしれません。」

「彼を触ったとき、温かい、生きているって思ったんです。」

「でも、ダメでした。」

私は、言葉一つ出ず、彼女の言葉を聞いていた。

「うん。ごめん、言葉が出ない。」

数分、沈黙が続いた。

「霧野さん、本当にありがとうございました。主人は、いつも『霧野ちゃんが、霧野ちゃんが』と嬉しそうに話していました。霧野さんのこと大好きだったと思います。最後まで、話し相手をしてくれて本当にありがとうございました。」

「今まだ、警察の方がいるんです。彼のご両親も。霧野さん、また電話していいですか?」

「うん。もちろん。」

「じゃあ、失礼します。」

「はい。体に気をつけてね。」私は、すぐに電話を切った。

とにかく、彼に呼びかけたかった。下向いて、「山上くん・・・。」うっ、うっ。

言葉にならない声が出た。

「職場の人間関係で死ぬなんて、悲しすぎるよ。死ぬくらいなら、仕事を辞めたら良かったのに。」

ぬんは、考えてもしょうがないことばかり考えた。

娘の様子を見ていて母は全てを悟ったらしかった。

走って2階の自室に上がり、ベッドに飛び込んで大声で泣いた。

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