第7話 複数の上司からのいじめによる発病②

ゴールデン・ウィークの少し前、5月の中頃までに申請者に送らなければならないG併処理浄化槽の補助金決定通知書を印刷していれば、菊田さんがすっ飛んできて、

「霧野、印刷機はみんなの共用なんだよ。時間中にお前ひとりで650通も印刷するなよ。みんなに迷惑だろ。もう少し考えてやれよ。本当にお前は考えなしにやるから、みんなに悪くていたたまれないよ。」

また、大声で言った。菊田さんの「良い人」アピールだった。

(また。いじめ。いつになったら、収まってくれるの?)と「もう、この人、うんざり。」

暗い気持ちでボタンを押した。

10枚くらい出てきていたが、そこでパソコンを止めた。


補助金の書類がゴミ箱から見つかった話も出なくなったころのある日、早朝、机拭きをしているぬんのところに、隣のS質指導班の班長で化学専門職の樫野さんがやってきた。

周りの人の様子をキョロキョロ見ながら言った。

「霧野さん、おはよう。あのさ、浄化槽の補助金書類の話、あっただろ。

俺、ある時、見ちゃったんだよ。

あれさ、菊田さんの机のカギがかかる一番下の引き出しにずっと入れてあったんだよ。」

「え、なにそれ???どういうことですか?」

「霧野さんに「探せ」って言ってからだと思うけど、何か引き出しから出してはニタっと笑っているから、何だと思ったんだよ。

それで気になったから、俺、そっと見ていたんだよ。

そうしたら、どうも俺も押印した補助金の書類なんだよなあ。

それで、霧野さんに終電まで探させておいて、何でお前が持っているんだよって思ってさ、カギ閉める前にさっと菊田に近づいたんだよ。

そうしたら、案の定、補助金書類でさあ、異動してきたばかりの霧野さんになんてひどい意地悪をするんだよ、って思ってさ、おれ、言ったんだよ。

『菊田さん、あまりにもひどくないか。俺、見てたよ。そこの引き出しに隠しておいて、霧野さんに終電まで探させてるの。菊田さん、俺、そういうの人間としてどうかと思うよ。』って言ったの。そうしたら、『しょうがねえな。』って言ってさ。しぶしぶ霧野さんの机の上に置いたわけだよ。そのあと、腹の虫が収まらなかったのか、ゴミ箱に投げ入れたんだよ。霧野ちゃんにいじわるばかりして、そのあとは、補助金の決裁文書に八つ当たりか、ひどい奴だよ、あいつ。」とため息をつきながら言った。

「あ、では、樫野さんが言ってくれたから、出てきたんですね。ありがとうございます、ありがとうございます。本当に無くなっちゃってたらどうしようかと思っていました。異動してきたばかりで何もわからないし。さすがに1週間、夕食抜きだったので疲れきっちゃって。あまり寝てなかったし。」

ぬんは、涙が一粒ポロリと出た。

でも、気にして見ててくれる人がいるんだ、と思ったら、本当にうれしかった。

入口付近に菊田さんが出勤してくるのが見えた。

樫野さんが「霧野さん」と、口を人差し指を立てて、しーっ!という合図をした。


補助金の決定通知を課の人が出勤しているときにやってはいけないと言われたので、ゴールデン・ウィークの7日間は毎日出勤して、640枚の印刷と650名分の名前のチェックをした。

休みが明けると、文書課の人に「こんなにたくさん持ち込まれても、簡単に押せませんよ。」と怒られ、預けて手ぶらで帰ると、菊田さんに「5月末までに送らないと要綱違反だからな。懲戒免職だぞ。」とまた、「懲戒免職」という強迫言葉が出てきた。


6月になったころ、あまりにも左側の頭の痛みがひどく、口もとうとう開かなくなって、食べられなくなったので、口腔外科に行った。

すると、主治医から思わぬことを言われた。

「何があったのかわからないけど、4月まであんなによくなっていたのに、ひどくなっているね。一回、内視鏡手術をしようか。」と言われた。

原因はわかっている。菊田さんと二瓶さんの言葉による激しい暴力。

耐え続けたことによるくいしばりがひどかったため、関節が破壊し始めてしまったのだ。

1週間後に耳の前に1センチメートル切り、そこから内視鏡を入れ、顎関節の洗浄手術をした。

手術の時、寝ていると、黄色い鶴見線が走っていくのが見えた。

骨だからか麻酔が効かない。

耳の近くだから、ゴリゴリ、ゴリゴリと頭に響く音とともに、内視鏡の管を動かすたびに背筋が寒くなるような痛みを感じた。

部分麻酔だけに主治医他歯科医師たちの会話が聞こえ、「もう少し右に動かしてみて」という言葉に、

「あ、きっと痛みが来る。」と思った。

その瞬間、別の歯科医師が管を動かしたのか、あまりの痛さに全身に震えがくる。

「いっそ、気を失えれば。いっそのこと、このまま死んでしまえば、あの菊田さんからの強烈ないじめから逃れられる。」と朦朧としている頭で何回も考えた。

「もういいですよ。」と看護師に言われ、手術台から降りようとして、足をついて瞬間、足に力が入らず、床にペタッと座り込んでしまった。

「大丈夫ですか?」看護師が声をかけてくれたが、ぬんは、ぬんの周りに落ちている血の染まった何十個の血に染まったガーゼの塊が目に入ってきた。

痛みとともに、目から入ってくる血のガーゼに、ものすごい苦しみが襲ってきた。

何にも悪いことをしていないぬんがなぜ、こんな思いをしなければならないのか。


手術の次の日、母が「お休みしたら」と言ったが、仕事が忙しく、それより何より出勤しないと菊田さんに何と言われるかわからなくて不安しかなかった。

頭がガンガンし、手術の部分はズキズキと痛く、顔は自分で言うのも何だが、あまりにもかわいそうに腫れあがっていた。

傷の痛みにより震える手で、通常通り、机を拭き、新聞切りをした。

新聞切りの時は静かにやることが決まっていたが、痛くて口もきけないぬんが下を向いたまま、もくもくと新聞切をしていたので、一緒に新聞切りをしている同年代の同僚もさすがに黙っていられなかったようで、「霧野さん、大丈夫?よくわかないけど、辛かったら新聞切りをやらなくてもいいよ。」「うん、私たちでできるから」と声をかけてくれた。

しかし、やりかけて帰ったら、菊田さんに何と言われるかわからない。

この痛さで、ガーガーと怒鳴られるのも辛い。

意識はほとんどなかったが、最後までやって、席に戻った。

椎名さんが青ざめたぬんの顔を見て「霧野さん、大丈夫?帰った方がいいんじゃない?」と言ってくれた。

「いや、帰ると(菊田さんからのいじめで)大変なことになりますから。」

「でも・・・。」

すると、菊田さんが席に戻ってきて、「霧野、どうしたんだその顔。」と言った。

そして、「何か、腹立つことを言って、彼に殴られたか?ははは。」と言った。

二瓶さんが来た。すると、菊田さんが楽しそうに二瓶さんに言った。

「こいつ、デート中にいつもみたいに可愛げないこと言って、彼に殴られたらしいですよ。ははっ。」

「ほんとかよ。お前、本当にバカだな。女っていうのはな、ニコニコと可愛くしてりゃあ、いいんだよ。『私は、頭がいいんです。』みたいな口をきいちゃだめなんだよ。バカだな、お前。」と言った。

そして、仕事のことを一言二言、菊田さんに言って席に戻っていった。

そのあと、菊田さんは何が楽しいのか、にやにやしながら、時々ぬんの顔を見て、くすっと笑って仕事をしていた。

しばらくして、持ち回りで起案を二瓶さんのところに持って行った。

すると、起案は全く問題なかったのに、いきなり「変な顔の人はダメ―。」と言って笑いながら、印鑑の上下を逆に押した。

そのあと、課長のところに持っていくと、課長は「何で二瓶さんは印鑑を逆に押してあるの?」と聞いた。ぬんは、「『変な顔の人はダメ―。』と言われました。」と言うと

課長は、印鑑をすぐにまっすぐきれいに押して、「霧野さん、そういう人のことをまともに受け止めてはダメだよ。」と言った。


T気水質課水質調整班の毎日はそんな感じだった。菊田さんと二瓶さんのパワハラ、それしかなかった。

菊田さんと二瓶さんの二人は、お酒を飲んで二日酔いの日は、気持ちが悪いからと言って起案も見ずに投げて返してくる。目を通してもらいたい書類を机上に置くと、目を通すこともなく、丸めてごみ箱に捨てる。お手洗いに行こうとして立つと、「ちょっと、霧野」と言って、目をつむって腕を組み1時間も自分の隣に立たせておいて、最後には「考えているうちに言うこと忘れた。」と笑って言う。

決裁を二瓶さんのところに持っていこうとすると、大声で「二瓶さん、今日の霧野は態度が悪いから、今日は何か決裁文書を持って行っても印鑑を押さないでくださーい。」と言う。

いじめは、なかなか慣れることはない。

毎日毎日が小さな地獄だった。

菊田さんのいじめは、1日中3年間、止むことはなかった。

ぬんは、だんだん口をきくことも、笑い方も忘れた。

そして、9月になったとき、とうとう体の方が爆発した。

左顎関節の関節円盤(顎関節のクッションの役目をする軟骨)が黒くなってバラバラに崩れた。

主治医は、「何で???4月まではあんなに快方に向かっていたのに、職場で何かあったの?事故以外でこんなになるなんてストレスしかないけど。事故でないとしたら、毎日、相当職場で耐えていたよね。」とのことだった。

手術と入院で2週間を取りたいと話をすると、菊田さんと二瓶さんから半日に渡るお説教を言われ、それまでに「これだけの仕事はやって行けよ。」と机の上に他の人の仕事も重ねられ、顎関節症によるひどい頭痛に悩まされながら、毎日終電までパソコンを打ち続けた。

やっと療養休暇に入った。

手術が怖いとか、手術後の口を開くリハビリが大声で叫ぶぐらい痛いということより、この極悪人たちから逃れられる、1秒も顔を合わせないで済む療養休暇にこの上ない喜びを感じた。

手術は、脳に近いので、5時間かかった。

手術の次の日の朝、鏡を見ると顔半分に包帯を巻かれ、紫色に腫れあがった自分がいた。

このみじめな顔は、菊田さんと二瓶さんによるパワハラによるもの、その時に深く実感した。

主治医から、顔に6センチメートルの大きな傷ができた、と言われた。

パワハラの跡は、今でもくっきりと傷となって残っている。

結局、傷つけられたのは、心だけでなく、残酷にも顔もだった。

療養休暇明け、口腔外科の主治医からの診断書に「1週間に一度治療をするために通院を続けること」というほかに、「まだ顎関節に負担はかけられないので、時間外勤務は絶対避けること、重いものは持たないようにさせること。」と書いていたのにもかかわらず、菊田さんは手術前よりぬんの傷に負担をかけることばかりした。

毎晩、19時過ぎに仕事をしていると、「霧野、早く帰れよ。何しろK奈川県あてにお医者様から厳しく言われてんだからよ。

制限勤務(※定時退庁の17時15分までの勤務、診断書に記載されたら管理監督者は絶対に守らなければならない。)なんだから、時間外勤務の手当は無いからな。」と二瓶さんと、笑いながら帰っていった。

菊田さんの廊下に響く声が、「時間外なんてつけられたら、総務室に叱られちゃいますからね。『制限勤務なのに時間外働かせて、やめてください。』って怒られますからね。」と二瓶さんに言っているのが聞こえた。

30代の女性を来る日も来る日も陰湿ないじめをして何がそんなに楽しかったのだろうか。


この課では、菊田さんからのいじめがきっかけで起こったもう一つのいじめ話がある。

この課には人事課から異動してきたとてもかわいい女性がいた。

ちなみに、年齢はぬんと同じくらい、頭も良くて明るくて人気者だった。

名前は、山岡世津子さんと言った。

ぬんは、菊田さんのいじめがあまりにもひどくて、どうしても耐えられなくて、この山岡さんを信用して、人事課に相談したいと言ったことがある。

山岡さんはすごく親切に

「そんなに菊田さんのいじめはひどいのですか?霧野さん、かわいそう。でも、J事課に直接相談してもなあ。たぶん、J事課は相談してもだめですよ。そういうことを相談できる人事課がやっている窓口がありますからそこに聞いたらどうですか?これが電話番号です。」と言って教えてくれた。

ぬんはすがる思いで、その「公正・透明な職場づくり推進窓口(以後、「公正・透明」と言う。)」に相談した。

その結果、その「公正・透明」の担当者は、話は聞いてくれたが、最後に「では、その菊田さんに副課長を通じてお話しすることになりますが、良いですか?」と言われた。

ぬんは考えた。

これで「公正・透明」の担当者が、副課長の二瓶さんに言って、菊田さんに告げられれば、きっと今以上にまた二人で、いじめてくるのだろうな、と。でも、後戻りはできない、話してもらおう。

そして、思った通り、ぬんへの仕返しは、菊田さん、二瓶さんのダブルでやってきた。

二人からの話は、ぬんへのいじめに対する反省の話一つなく、余計なことをJ事課関係のところに言うなということだけだった。

そして、いじめは今までの2倍以上になった。

菊田さんの仕事中に起こった菊田さんの嫌なこと、面倒なことは全てぬんのせい。また、わざと陥れるようなシーンを作ってぬんのせいにする。

例えば、ぬんがカッターで紙を切っているときに『おい、霧野』って呼んでおいて、ぬんが「はい。」と言って、カッターを持ったまま振り返ると「霧野、俺を切りつけようとしたなっ。おい、俺を殺す気かっ。」というようなことまで言うようになった。

この性格は、死んでも直らないだろう。

役に立たない「公正・透明」の存在もよーくわかった。

直接、いじめた人に「あなたは霧野さんにいじめをしていますよね。霧野さんから『菊田さんが私にいひどいいじめをしてくる。いじめをやめるように言ってください。仕事に差し障りが出ています。』という訴えが出ています。」

いきなり「公正・透明」に呼び出しおいて、全て実名でこのようなことを言われたら、それは訴えた人を恨み、何倍かで仕返ししてやろうと思ってしまうのは誰でもわかることだろう。

もとがいじめをしても何も言えない弱い人間を狙って、徒党を組んで、標的を徹底的にいじめ抜くような性格が悪いひどい人なのだから。

人事という仕事をやっていて、人間のそんな心理もわからないのだろうか。

県のJ事課がそのレベルか、と。

でも、今回はその「公正・透明」を紹介してくれた月出さんのことについてである。

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