第2話 かつてのK奈川県庁新規採用の日々とは。。。
いつから本当に職場が嫌になったのだろう。
異動もあり、今の所属でおよそ十数カ所目。
最初から嫌だったわけではない。
なんとなく振り返ってみることにする。
新規採用(以下、「新採」)で配属された職場は、「N力開発課」。
職業能力開発校の担当の課であった。
65人ぐらいの課だったが男性、女性半々ぐらいだった。
朝の新採の女性の仕事として、まず全員の机の上を拭く、お茶を入れるという仕事がある。
朝は7時半出勤。
7時半に行くと、まず、机上を膳ぶきんで拭く。
机上は、書類を高く積み上げておくのが通常のことだったので、結構大変だった。
書類はよけて拭いてはダメ、拭き方が悪く、積み上げている書類のそばにお菓子の粉だか、ほこりだか、たばこの灰だかわからないものが少しでも残っているとダメ。
そのままで端まできれいに拭く。
「今日、霧野ちゃん、机拭いてくれた?」と言われた、やはり。
その頃は、机上でたばこを吸っていい時代だったので、机の上を拭くと膳ぶきんはすぐに灰だらけになった。
たばこを吸う人の灰皿の周りは、灰も散らばっていて、書類の上も灰だらけだった。
膳ぶきん洗い用のバケツと、灰集め用のバケツを持って歩いて拭く。
それが終わるとお茶コーナーで、全員分の緑茶を入れる。
お茶碗の裏には一人ひとりの名前が書かれてあり、間違えないようになっていた。
ただ淹れればいいわけでない。
課長は濃くて熱いお茶、事務の課長代理は少しぬるめ、味はこだわらない。
技術の課長代理は昨日、飲み会だったから白湯。まだまだリクエストはたくさんある。
約65人分の飲み物を入れて自分の机に戻ると、9時過ぎ。
やっと自分の職務開始となる。
入庁した時の最初の班長(K共訓練班)は、庄田さんという人だった。
小柄でおとなしく、優しい人。おじさんジョークがうまかった。
最初の新採研修を受けている数日間、庄田さんが、「県庁とは何ぞや」とか「県庁の仕組み」などの話を一生懸命、話してくれているのに、ぬんはその穏やかで流れるような庄田さんの声が子守歌に聞こえ、いつも爆睡してしまっていた。
庄田さんは、自分でおじさんジョークを言っては、自分で受けている人だったので、ぬんが爆睡していても、わかっていたかどうか。
ぬんが入庁した時、知事選があったため、6月異動(4月に知事選を行うので、4月の異動の時期をずらして6月異動となる。)だった。
ということで、ぬんは、前任者と2か月かぶって仕事をしていた。
ぬんの前任者は、背が高くふっくらしていて、丸顔のキンキンした高い声の田村美喜子さんという人だった。田村さん曰く、「二人で同じ仕事をする必要はないでしょ!」とのことだった。
仕事の引継ぎが終わった後の2か月間、田村さんは、朝は出勤してきて出勤簿を押すが、9時には姿を消し、12時近くになると、一回ぬんのところに戻って来て、
「どう、だいぶ、慣れた?」と上から目線で言ってきたが、すぐに
「じゃあ、私、昼に行ってきまーす。」と言って、昼休みはいない。
そして、昼休みの終わりごろ戻ってきて、少し経つとまたいなくなる。
そしてまた17時15分少し前に戻ってきて、終業時間の音楽が流れ始めると、ハンドバックを持って、「お先に失礼しまーす。」と言って帰ってしまった。
4月1日に入庁して、仕事がよくわかっていない4月8日には教務課長会議というものがあった。
職業能力開発校の教務課長が全て集まってもらい、その年度の予算や事業内容などを本課であるN力開発課のぬんが担当として説明したり、全校の教務課長の意見を聞く会議である。
田村さんは、「一人で心配だったら一緒に行く?」という言葉もなく、「どうしよう、どうしよう」と大騒ぎしているぬんを無視して、近くの喫茶店で本を読んだりプライベートな時間をエンジョイしていた。
毎日、そんな日が続き、6月になって2か月間、仕事を何もしなかった田村さんは、「やっと異動だ。」と嬉しそうに異動していった。
静かな庄田さんが異動して、次の年に異動してきた小手川仁さんもおとなしくて優しい班長だった。
仕事は思ったより忙しく、終電やタクシー帰り(そのころは、各課管理班の班長がタクシー券を預かっていて、おしゃべりもせずまじめに仕事をしていた人が終電の無くなる時間までしていた場合には、自分の班の班長から管理班の班長に申し出てタクシー券をもらいタクシーで帰宅していた。)が多かった。
予算の時期になると、3日間、徹夜という日もあった。
そういう時はベテランも新採もなかった。
夕食は、職場で近所のそば屋からとったざるそばなどを食べて、仕事をバリバリして、少しうつらうつらして、また仕事をバリバリして、という感じだった。
ぬんの仕事は、S業能力開発校に関すること。
S業能力開発校の教務課長と連絡を取って学校の要望を聞いたり、それらの学校の様々な事業の方針などまとめたりして、本課(N力開発課)の上司に持ち帰り、相談して教務課長会議などで返答する。
事業のついては、案をまとめ、課長の決裁を取って、通知をする。
その他に、4月、10月の入学シーズンには、応募者数、合格者数、入学者数などをまとめて表にする仕事などをした。
そのころ、表計算は、エクセルではなく、ロータス1・2・3だった。打ち出し紙もB5(このころはB版主流の世界だった。)に出力され、大きな表は、切り張りして、大きな、大きな表を作って、みんなで取り囲んで入学してくる生徒の人数などを見ていた。
今みたいに職場が一人一台のパソコンを用意してくれるわけでもなく、パソコンは課の真ん中に2台だけデスクトップ型のものが並んでおいてあり、隣に大きな縦型ハードディスクがあった。
記録に残すものは、3.5インチフロッピーの他に、ペラペラとした5インチフロッピーに記録を残すこともあった。
そして、職員の机の上には、自分で買ったワープロが乗っていた。
ぬんも大学のころ使っていたT芝ルポというワープロを乗せていた。
職員みんなが持っているワープロが違うので、替えインクなどの消耗品も全て自分持ちだった。
起案は、線が引いてある起案用紙という特別な用紙があり、全て手書きだった。
起案を回すと庄田さんが「霧野ちゃん、きれいな字だなあ。読みやすいよ。
その点さあ、守川ちゃんさあ、この汚い字、何とかなんないの?全く読めないよ。
この字じゃ、課長たち管理職、読まないよ。」とぬんの前に座っていた入庁10年目くらいの先輩(職名は主任主事)の森川純二さんに、注意をしていた。
その森川さんはいい人だった。大学を出たばかりのダメダメなぬんに、いろいろ教えてくれた。
どちらかというと「おたく」系の人だったので、パソコンは好きだったので一生懸命に笑いもしないで淡々と教えてくれたが、他の仕事のことはかなりいい加減だった。
隣に座っていた県をリタイアした非常勤の男性は、ぬんの顔を見ると、ひたすら「机の境界線をはみ出すなよ。」と言い、少しでも書類がはみ出すと、右手で書類を払いのけてきた。
嫌な感じ・・・
3年目になり仕事に慣れてきた年、班長は植田進吾さんという人になった。
植田さんは、仕事には厳しく、すごくきれい好きだった。
ぬんが海外旅行で7日間、職場を留守にしたことがあった。
その時、久しぶりに出勤すると、一番下の引き出しが何か変?と思って、引き出しを引いた。
すると、引き出しの中のたくさんのお菓子は無くなり、書類が事業ごとにファイリングされており、きれいに整理されていた。
「あ、お菓子がない。」と大声でいうと、自席からすっと立ってきて、
「霧野さんの引き出し、お菓子だらけで汚かったから、全部捨てて整理しておいたよ。」と言い、すごく良いことをしたかのようにニコニコしていた。
ぬんはと言えば、「え、まだ買ったばっかりだったのに、すべて捨てられてしまった。ふぅ。」あまりにもがっかりして、思わず深いため息をついた。
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