好感度が見えるメガネを手に入れたアイドルが、唯一好感度が見えない相手に落ちる話

藤之恵

第1話

 それはみはるの一言から始まった。

 久しぶりの、というほどではないオフの日。

 私はみはるに付き合って、そこそこオシャレなカフェに来ていた。

 私の前にはルイボスティ。みはるの前にはフラペチーノが置いてあった。


「ねぇねぇ、これ見て?」

「今度はどうしたの?」


 キラキラした笑顔でこちらを見てくる。

 その表情にはイタズラっぽさが含まれていた。

 私はストローから口を離し首を傾げた。

 みはるが私だったら絶対に買わない、カラフルでふわふわなカバンからシンプルな黒縁眼鏡を取り出す。


「めがねにしてみました!」

「あれほど、コンタクトつけっぱなしはするなって言ったじゃん」


 私はため息をついた。

 みはるは普段はコンタクト派。アイドルだから、それも仕方ないし、ダンスの時にメガネは邪魔。

 それはわかるのだが、みはるはよく外し忘れるのだ。

 そのせいで目が腫れることも、しばしば。


「まぁまぁ、聞いてよ!」

「何が?」


 私の小言を聞き流すようにみはるは眼鏡をかけたままら両腰に手を当てた。

 何が誇らしいのか胸を張る。

 ため息をこぼさないように口を引き締めた。

 小さく咳払いをしたみはるが話し出す。


「お医者さんからコンタクト禁止令が出まして」

「うん」


 もっともなことだ。

 そばで見ているだけの私でさえ、そう思うのだから。お医者さんだったら、そう言う。


「眼鏡を買ったわけですよ」

「持ってなかったの?」


 サイドアップにしたヘアスタイルは、プライベートのこはるがよくしているもの。

 アイドルのときは、ツーサイドアップが多かった。

 その結い上げた頭に手を当てる。


「えへへ」


 照れたように笑うが、別に褒めていない。

 呆れてものも言えない。

 窓の外に視線を向けようとしたら、こはるが急にテーブルを挟んて近づいてきた。


「そしたら、何と、人の好感度が見えるんだよ!」


 一瞬何を言ったかわからなかった。

 いや、音は分かっても理解できない。

 私は肩につくくらい首を傾げた。


「はい?」


 私の相槌をどう受け取ったのか、こはるは目をキラキラとさせた。


「すごくない?」

「すごいけど……」


 まずその前に目をもう一度検査してほしい。

 だけどあまりにも楽しそうに言うから、私は言い出せなかった。

 プラスチック製の縁の部分を持ち、こはるが眼鏡を見せてくる。


「私のも見えるの?」


 少なくとも、こちらからは何も見えない。

 レンズでゆがんだこはるの顔が見えるくらいだ。


「うーん、見えない!」


 私の問いかけにこはるは自信満々に言い切った。

 思わず顎を支えていた手から力が抜ける。

 それと同時に ほっとした。

 好感度なんて恐ろしいものをこはるに知られるわけにはいかない。


「なんでか沙羅のだけは見えないんだよね」

「そっか」


 何度かメガネをつけたりしたり、目を細めてみたり、レンズを拭いてみたり。

 こはるは様々な手段を試してみているようだ。

 私はそれを顎に手をついて見つめた。


「つけてみる?」

「……やめとく」


 手軽に渡されそうになるメガネから、距離を取る。

 両手を上にあげて、危険物を前にしてお手上げポーズ。

 それから両手で両肘を抱えた。


「人のこと見えてもロクなことないわよ」


 少なくとも私にとっては。

 こうやって普通に話している相手の好感度を知りたいとは思えないし、知られるのも嫌だ。

 私の言葉にこはるは目を丸くした。


「えー、沙羅、大人ぁ」


 どこが大人なのか。

 ただ臆病なだけかもしれない。

 私は苦笑いを浮かべた。


「みはるも程々にしないと、疲れちゃうわよ」

「ふふん、大人気アイドルにあたしはなる!」


 そう言い切って笑う彼女は眩しくて、私は目を細めた。

 みはるは思い込んだら一直線。良くも悪くも単純だ。

 無理しなきゃいいけど。眉間にシワを寄せて、私は宝物のようにメガネを捧げ持つこはるを見守っていた。


「これ、あげる!」

「ありがと、よくわかったね」


 その日からこはるの努力は始まった。

 移動やオフのときだけメガネをかける。撮影やダンスのときは外す。

 困っている子には積極的に助けに行って、関わる。

 私のそばに来て好感度の上昇に、一喜一憂する姿は見ている分には面白かった。


「あたしも一緒に練習するよ」

「ほんとー? 助かる!」


 他にもダンスでつまっていれば、休憩を削って一緒に練習して。

 これには私も巻き込まれたので勘弁して欲しいところだ。

 他にも頼み事を聞いたり、気を回したり、よく忘れないなぁと感心するくらい、こはるはメガネを活用して好感度を上げていた。


「みはる、ちょっと来て!」

「今行くー」


 そのおかげで、メンバーから話しかけられることも増えた。

 乙女ゲームの攻略パートを傍からみると、こんな感じなのだろう。

 座る暇もないほどあちこちに移動している小春に私は声をかけた。


「頑張ってるじゃない」

「おー……好感度も右肩上がりだよ」

「そりゃ、良かった」


 振り返った顔にはクマ。

 メガネの黒縁でちょうどよく隠れるけれど、その顔には疲労が色濃く出ていた。

 言わんこっちゃない。

 私はどこかに行こうとしていたこはるの腕を掴み、隣のソファに座らせる。


「でも」

「いいから」


 手を掴んだまま、しばらくじっとしていた。

 徐々に他のメンバーが遠ざかり、楽屋には私とこはるしかいなくなる。

 やがて吐息さえ聞こえるくらいの静けさに、こはるの声が聞こえた。


「沙羅ぁ、疲れたぁ」

「だぁかぁらぁ……言ったじゃない」


 呆れすぎても語尾が長くなった。

 こはるにはブレーキがついてない。

 止まるには、ガス欠になるか、外から無理やり止めるしかないのだ。


「ちょっと休みなさい」

「ありがと」


 そんなに他人のために動く必要はない。

 しかも、好感度なんていう曖昧なものをために。

 私はそう思うのだけれど、今のこはるには無駄なことだろう。


「人を見るめがねーぞ」


 肩を貸せばすぐに寝息を立て始める。

 その横顔に、私はボソリと呟いた。


「好感度、上がらなくなってきた」


 まるで重大な悩みを告げられるように、こはるから言われたのは、それからまた数週間経ったころだった。

 実際、目にしたわけではないから、アドバイスできるわけもなく。

 私は相変わらずクマのあるこはるの顔を見つめた。


「悪くなったの?」

「ううん、みんな大体80くらい」

「めっちゃ良いじゃない」


 80て。

 テストで80とれたら、大満足だし。

 平均点が80もあれば優秀と言われるだろう。たぶん。

 地道な努力を続けたこはるはきちんと結果を出している。

 それなのに暗い表情をしているのを見ると、満足ではないようだ。


「これ以上好かれるの、無理なのかなぁ」

「みはるはそんなに沢山の人に好かれたいの?」


 なんだろ、何だか、一瞬で我慢していたものが溢れた。

 好かれたい。アイドルとしては自然なこと。

 だけれど、こはるを好きな私にしてみれば、心安らかでいられる話しではないのだ。


「えっ?」


 こはるが目を白黒させる。

 あの日と同じように私は、こはるの手を掴んだ。

 だけど、隣に座るなんて生ぬるいことはさせない。

 そのまま自分の膝の上に座らせた。


「倒れるくらいなら、私が他の人の分まで愛してあげるから」


 こはるのメガネを上にずらす。

 それから、顔を近づけて鼻と鼻がぶつかった。

 ほぼキスをしている距離。

 焦点のあわない瞳が勢いよく泳ぐのを眺めていた。


「どう?」


 そうすれば、好感度なんでいらないでしょ?

 そう笑った私に、こはるは頬を赤くして頷いた。

 このメガネ、私の好感度が見えなかった理由は何となくわかる。

 きっと、振り切れていたのだ。

 私はこの時初めて、このメガネに感謝した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

好感度が見えるメガネを手に入れたアイドルが、唯一好感度が見えない相手に落ちる話 藤之恵 @teiritu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ