第2話 メイリが作る玲瓏館の紅茶は美味い


 「私、この店のカップル限定メニューって言葉を見るだけで、もう辛くなるんだよね」


 「ええ゛~…………お察しします………」


 「何それ」


 「一昔前の人気ドラマですよ」


 「それは知ってるよ!!私が言いたいのは、あなたがどういうメンタルしてればそんな事出来るのかってこと!!………って言うかそもそもそれ全っ然似てないよ!!せめて表情だけは寄せる努力はして?なんでその物まねしながら真顔なの………」


 「ハンマーカンマー」


 「あーーもう!いい!!そんな事より!――――……もう一度聞くけど、エル君は私の事、うつ病患者みたいに思ってるって事で良いんだよね………?」


 「まあ………端的に言えば、そういうことになりますね………」


 勇者ミーシャは玲瓏館のメイド長であるメイリのその言葉を受けて、カフェ「サギュリティア」のメニュー看板の前で頭を抱えて蹲った。


 「あー………やり直したい………全てを………」


 「魔王を倒した後の凱旋スピーチで『全ての過ちを無かったことには出来ない、してはいけない………!』と言っていた人とは思えない発言ですね」


 「もう………なんで私の発言は逐一記録されてるの………」


 「良いじゃないですか、私はあの日まであなたの事を完璧超人の、スーパーヒーローだと思って生きてきたんですからね」


 「それも本当はいやなの!!表に出てる大体の発言は誰かが書いた台本だし、そのイメージでみんな私の事見てくるから、どこ行くにも気が抜けないし…………」


 「そうですか……なら、いっそのこと、あの音声を世間にばらまいてあげましょうか?全てから解放されてとても良い気持ちになれますよ?」


 「あーー!!やめてーー!!ていうか、もうばらまかれてるじゃん!!どうしてメイリさんもその音声持ってるの!?」


 「情報提供者である、金髪の、胡散臭い、ゲロ以下の臭いがぷんぷんする男の為にそれは明かせません」


 「知ってた…………ていうか例えクエリ君がゲロ以下の、生きる価値のない、人類史上最低な男だったとしても、せっかくの情報提供者をそんな風に悪く言うのはあまり良くないんじゃないかな……?」


 「良くその言い草で私に説教できますね」


 「私は純度百パーセントで被害者だからね」


 「ええ゛~………お察しします………」


 「もうそれは良いよ…………全然似てないし、全然面白くないよ?やるならもっと全力でやって?自分の人生捨てる気でやって?じゃないと全然面白くないよ?」


 「それはそうと…………」


 「あーもうやだこの人…………頭痛い…………」


 「え?大丈夫ですか?もしよろしければ、お薬買ってきて差し上げましょうか」


 「違うよ、そういうことじゃないのわかってるよね?……ていうか、そもそも買いに行けるわけないでしょ?メイリさんたちは今本来は、謹慎期間中なんだから、勝手に動かれたら怒られるのは私の方なんだよ……?」


 「そうですか……では僭越ながらここは私の膝枕で…………」


 「あーー!もう!話が進まない!!さっさと次!!次行って!!」


 「――――それはそうと…………」


 「うん」


 「私としては、そこまで状況は悪くないと思うんです。エルハルト様があそこまで気に掛ける方はあなたの他に居ませんから…………」


 「ええ……?急に真面目……?――――そう、なのかな…………ていうかメイリさんはそれで良いの?」


 「何がですか?」


 「何がって…………もう……今更そういうこと言うの、ずるいと思う……」


 「私はエルハルト様のメイドです。主の幸せを自らの幸せの最もとする…………」


 「じゃあ、良いの?今から私が昨日のエル君との念話でちょっといい雰囲気になった話ししても――――って、いたーー」


 勇者ミーシャは突然立ち上がったメイリの膝から転げ落ちて、石畳の上にしたたかに頭を叩きつけた――――ていうか結局膝枕してもらっとんのかい。さすがに店の前でそれは不審者過ぎる……!


 「…………」


 「やっぱ…………そうじゃん……」

 

 「――――――……ミーシャさんは…………それでいいんですか……?」


 「何が?」


 「……私に、もしもそういう気持ちがあって、そういう気持ちがありながら、私がエルハルト様の近くにいる事……」


 「……ふーん、そういうことね……」


 「…………」

 

 メイリはミーシャからの暗い視線に思わず目線を逸らした。


 「……正直に言うとね、すっごい、やだ」


 「――――そう……ですよね……」


 「エル君が他の女の子と仲良くしてるのを見ているのが辛い、想像するだけでもいや……ましてやメイリさんなんか……」


 「…………」


 「でも、そう思っちゃう自分の方がもっと嫌……だって私とエル君は何でもないんだもん……エル君にとっては私よりメイリさんの方がずっと大切……私、何となくわかるの……だから何もしない、何も出来ない私が悪いの。メイリさんに私が何か言える訳ない。全部私のせい。私のせいでメイリさんが自分の心に素直になれない方が私は嫌……だから――――」


 そしてミーシャは立ち上がって、叩きつけて赤くはれたおでこのまま、しっかりとメイリを正面に捉えた。


 「…………」


 「だから、そんな顔しないで、メイリさん……私、あなたのこと、結構好きなの。あなたの色が玲瓏館にぴったりだから……」


 「――――――……」


 「――――…………」


 「――――……ミーシャさん…………」


 「――――うん……」



 「――――――……もしかしてミーシャさんってドMですか…………?」


 「ちゃうわい!!!!どうしてそうなるのーー!!!」



 勇者ミーシャはメイリの肩に、一般人だったら骨が粉々に砕けていそうなパンチをお見舞いした。


 「痛い…………すみません……なんか自ら進んで辛い思いをしに行ってるような気がして…………あと、ちなみに私はドMらしいです。自覚症状はありませんが、創造主様(お母様)がそうおっしゃっていました」


 「聞いてないよ!?ていうかやめて!!そんなの聞きたくない!!私だってあなたの事、強くてクールで完璧で、なんかいいなって思ってたのに!!」


 「…………!!…………そんな……まさか、ミーシャさんからそんな風に思ってもらえてたなんて…………私はてっきり嫌われていると…………」


 「いや、驚きすぎでしょ、嫌いになんてなるわけないじゃん!!…………そもそもそんなに話したことなかったし…………ていうか、私の方こそ……その……あまり良く思われていないかと……」


 「そんな訳ないですよ――――……あ……でも、私、今まであなたについて、少し勘違いをしていたかもしれません……私……エルハルト様に言われて、あなたと話さなくてはならないってなった時、ちょっと不安だったんです。あの人は私とは住む世界が違うからって…………でも、こうして直接話して、あなたの事を少しだけ知って、そうしたら、ああ、これなら仲良くなれるかもって思えたんです――――……なんかミーシャさんって、ちょっとエルハルト様と雰囲気が似てるんですよね。なんていうか、いつも一生懸命なところとか……」


 「――――メイリさん……」


 「あと、いじりがいがありそうなところとか」


 「やっぱそういうことじゃん!!好きな人にはいじわるしちゃう小学生男子メンタル…………!!」


 「好きな人…………やっぱミーシャさんって自己肯定感高いですね」


 「なんでそうなるの!?――――ていうか……え?メイリさん顔真っ赤!!お互い受け入れよ?好きって言われたら素直に受け入れよ?」


 「う、うるさいですね…………私の肌テクスチャは元々これぐらいの色相ですから、顔真っ赤になんてなってないですから」


 ミーシャは顔を真っ赤にして照れるメイリに、優しく微笑みかけた。


 「もう、照れなくていいよ…………私、エル君もメイリさんも好き――好きだから、じめじめしたお天気にしたくないの。そこに勝負があったら、青空の下で正々堂々、精一杯戦って、勝つときも負けるときも、悔いは残らないようにしたいの」


 「ふふ……さすが勇者ミーシャ……闇落ちなんて夢のまた夢ですね」


 「うん、そういうこと!!…………あーなんだかすっきりした!!だから、メイリさんも私に気にせず、思いっきりやっちゃって!!これは私とあなたの二人だけの勝負なんだから!!」


 「ええ……ありがとうございます。あなたのおかげで少しだけ、前を向けるような気がします――――」


 「うんうん、それでいいんだよ!」


 「それに……私たちの関係を空模様で例えるなんて…………さすがミーシャさん。この調子ならエルハルト様のご心配も杞憂に終わるかもしれませんね」


 「?」


 「エルハルト様はあの日、ミーシャさんが天気の事しか喋れなくなったと、大変心配しておいででした。しかし、ここまでお天気デッキを使いこなしているのならば、むしろ天気の話題だけで会話を乗り切ることが出来る――――」


 「…………!!!…………」


 「だからミーシャさん、これからも――――って、ああ゛、やめて、離して、首が、」


 勇者ミーシャはその溢れんばかりの力で、メイリの胸倉を掴んでぐわんぐわん揺らした。


 「あーー!!!忘れさせて!!!無かったことにして!!!なんかいい感じに!!あの日の事だけエル君の記憶から無くして!!!メイリさんならできるでしょ!?ずっとエル君についてる有能メイドならで出来るでしょ!!!」


 「何言ってるんですか、そんな事出来るわけ――――」


 「あーーもうーーーやり直したい!!!ねえ!!メイリさん!!!プールの飛び込み台からなんか叫びながら飛び降りればいけるかな!!?」


 「いけるわけないじゃないですか――――ていうか離して……HPが……」


 普段減ることの無いメイリのHPはこの数日余りで同じ人物に二度も大きく減らされた。果たして、彼女は二度目の大結晶(リスポ)送りを回避することが出来るのか。彼女たちの勝負は今日も青空の下で行われている。


 「あーーもうやだーーー!!」


 「私も……もう――――あぅ…………」



 ――――――……


 ――――……


 ――……



 「うんうん、あいつらは仲良くやってるようだな。初めはちょっと心配だったけど、僕の見立てに間違いはなかったな」


 「ほっほっ、さすがの慧眼のようじゃのう、エル様や」


 エルハルトの独り言に答えたのは、あの日、火に包まれた酒場の厨房からエルハルトが救い出した老夫婦の片割れの翁だった。


 「爺さん、その呼び方は止めてくれないか?なんか馬鹿にされてるような気になる」


 「ほう?そうかの?じゃあ、代わりに何がいいかのう…………」


 「僕は何でもいい。お前の好きなように呼べ」


 「ほう、ではエルハルとかどうかの」


 「うーん、なんか微妙……爺さん、よくセンス無いって言われない?」


 「ほう、良く知っとるのう……じゃあ、えるるん」


 「なんか売れないアイドルみたいだな」


 「エル助」


 「まあ、無いことも無いかな」


 「私はLです」


 「おい、急にやめろ。しゃがみながら携帯をつまむな」


 「じゃあ、えるたそ」


 「それはまずい。それが一番駄目。何年も前のアニメなのに未だにガチ恋してるやつだっているんだ」


 「――――何じゃ、文句の多いやつだのう」


 「爺さん、頼むからもっと真面目にやってくれ。もう、いっその事エルハルでもえるるんでも良いから」


 「いや、それはセンス無さすぎじゃろ」


 「お前が言ったんだろ」


 「うーん……じゃあエル坊はどうじゃ?なんかそれっぽいじゃろ?」


 「まあ、なんかじじいキャラっぽくて良いんじゃない。てかなんで爺さんのキャラ付けを手伝わされているだよ僕は」


 「いかんのう、まだ若いのにそんな物ぐさじゃあ」


 「いや、お前よりはたぶん年上だと思うが」


 「ほほ、そうじゃった、そうじゃった」


 翁は白く豊富に蓄えたあごひげを撫でながら、朗らかに笑い声をあげた。


 「――――というより、良いのか爺さんは、こんなやつと親し気に話して…………この店、思い入れのあるものなんだろ?僕はここを燃やした犯人なんだぞ?」


 「ほっほっほ…………そりゃあ良くないのう」


 「だったら…………」


 「良くないのは、お前さんの態度じゃ。そんなんじゃ騙せるもんも騙せんぞ」


 「…………!!…………爺さん…………」


 「ほれほれネームドさんや、余りわしらを舐めん方が良い……一昔前ならいざ知らず、もう皆良く聞こえる耳と、良く見える目を持っとる。今の時代、一人一人がこんなものを――――」


 翁は先ほど同じように、スマホを抓むように持ち上げて、エルハルトに見せた。


 「持っとるんじゃぞ?少しでも分別がある者なら、そんなんじゃ騙されんぞ。皆、知っとるんじゃ。パチンコ屋の隣の、店でもらえる札を高額で引き取ってもらう店と同じぐらい周知の事実じゃ」


 「おい、例えが最低すぎるぞ…………」


 「まあ、皆見て見ぬふりをしとると言うわけじゃ。本格的な争いが起これば、例えあの牢獄があろうと、決して被害は少なくないじゃろうし、その牢獄を維持するために人類は多大な犠牲を払って、長らく人類史は停滞することになる…………少し考えればわかることじゃ。争いは何も生まん……」


 翁の最後の呟きには、どこかやりきれない気持ちと、やるせなさのようなものが滲んでいた。


 「まあ、そうだろうな。だけど、この世の中、そんな分別が付くやつばかりじゃない。それは――――」


 エルハルトは翁が持ち上げたスマホを指さした。


 「そういう奴らを簡単に誘導できて、閉鎖的でそして熱狂的な渦を作り出す。だから僕たちは現実で、現実を、奴らにはっきりと見せておかなくてはいけない。僕たちの力とそれを止める更に大きな力を。そのお互いの力が抑制し合って、今の平和があるということを」


 ミーシャとエルハルトとそして玲瓏館(ダンジョン)。それぞれの大きな力と役割が、生命の循環から外れた、歪んだ不純物(ネームド)をなんとか同じ絵画の中に溶け込ませていた。


 「そうじゃろうな…………それで良い――――……」


 翁は目を伏せ、何かに惑った後、もう一度口を開いた。


 「――――……わしは前々から、エル坊……お前さんに聞きたいことがあった……じゃが…………もう、聞く必要も無いかもしれんのう……」


 「いや、言え。僕たちとお前たちでは、“違い”がありすぎる」


 翁は伏せていた目線をあげて、エルハルトを正面に捉えた。


 「では、一つ――――ダンジョンの機構を作り変え、ネームドを縛り付ける牢獄としたのは本当はお前さんなんじゃろ?エルハルト・フォン・シュヴァルツベルク――――」


 「な――――」


 それはエルハルトたちだけが、エルハルトの“仲間”とそれに関わる一部の人だけが知り得る情報だった。そう、ネームドを捉え、縛り付ける牢獄を、現人類の切り札であり、その心の拠り所であるそのダンジョンという牢獄を、ネームドが作ったという事実は必ず秘匿されなければならない。そうでなければ、ダンジョンという名の牢獄は途端に彼らの信頼を失い、世界はまた混沌の中に陥るだろう。


 「ほっほっほ…………良くないのう」


 「…………今更何を言っても無駄か…………良く知ってるな爺さん。貴様何者だ……?」


 「それこそ今更じゃよ。この村に寄り付くもんは大体が訳アリじゃ…………でも安心しとくれ。わしにその事実をばらまく気は無いし、そもそも、こんな辺境の老いぼれが、まさか“ネームドが自分たちを縛り付ける鎖を自分たちで作った”なんてたわ言を言いふらしたところで誰も信じん」


 「そう……だろうか…………」


 「まあ、そうでなくても、わしにそのつもりはない。何なら、今すぐわしを殺すか?お前さんたちと違って、わしらには確実な口封じがあるんじゃからの」


 「そんなことはしない。それではせっかく苦労して牢獄を作った意味がない」


 「ほほ…………わしはその答えだけで十分じゃ――――エル坊や、さっきお前さんはわしらとお前さんたちとは違うと言ったな…………わしはそうは思わん。少なくともエル坊、お前さんはわしらと同じじゃ、同じ心を持っとるとわしは思っておる」


 「何故……そう思う」


 「ほっほっほ……悩んでおるのかえ?――――確かにお前さんたちとわしらは根本的に違う生き物じゃ、恐らく成り立ちも違う。知っとるか、わしらはこの脳みそに皺を刻み付けることによって記憶を“記録”するんじゃ――まあ比喩表現じゃけどな、じゃが大体その認識で間違いはない――だから、わしらには限界がある。わしらを構成する細胞という最小単位は一つ一つが死へ向かっておって、目まぐるしく生と死を繰り返すことによって、わしらは全体の形を保っておる。そして逆に局地的に変化させて、“違い”を作り、それを“記憶”とするのじゃ」


 「ああ」


 「ほっほっほ。さすがに物知りじゃのう……しかし、お前さんたちは違う。全てが神に作られたときのままじゃ。老いもせず、成長もしない。常に一定じゃ――――なあエル坊や、もし知っていたら教えて欲しいのじゃが、お前さんたちはどうやって、その記憶を記録しとるんかえ?何を元にその一定を保つ?」


 「――――すまない、それは僕にもわからない」


 「ほっほっほ……お前さんたちにわからないのなら、わしらにわかるわけはないのう……まあこの世界の成り立ちを考えれば、自ずと一つの仮説にたどり着くんじゃが、神々が去った今となっては、お前さんたちにわからないのなら、もう他にそれを確かめる術はない……この世界は神に見放されたんじゃ…………そして――――」


 「…………」

 

 「――――神々が去った今、もうお前さんたちは魂を無くした抜け殻同然じゃ――――」


 「…………」


 「――――そうわしは思っとった。わしは今までそう思って、お前さんたちの事を見下しておった…………造られた生命、造られた心――――神の一存で定められたその心を、疑うでもなく、抗うでもなく、日々惰性のように生きるお前さんたちをな――――じゃが、わしはここ数日、お前さんと話して、何かが違うと思ったんじゃ…………いや、何も違わんかったといった方が良いか――――神の一存で生み出され、神の敷いたレールの上を惰性で走っているのは、お前さんたちだけではない。恐らくわしらも同じなんじゃ。そう見えないのはわしらの心が神の居場所を遠く離れて、わしらの目が、耳が、そこまで見通せなくなっただけにすぎん――――」


 「すまない、爺さん。もう少しわかりやすく言ってくれ」


 「ほっほっほ……これはすまんかったのう……まあ、つまり、端的に言えば、わしはお前さんの事が良くわからんくなったんじゃ」


 「――――わかりやすく……といったはずだが?」


 「ふむう……十分分かりやすいと思うがのう……じゃから、つまり……お前さんはわしが知っとる他のネームドと違うと言いたかったんじゃ。わしらと同じ、複雑な心を持っとる」


 「…………」


 「成り立ちは違えど、わしらは同じじゃ。恐らく、わしらはお前さんとだけじゃなく、他のネームド(者)達ともこうして、対等に話すことが出来るはずなんじゃ。そう出来ないのは今はお互いに人間の事を良く知らないだけじゃと――わしは思う……」


 そこまで言って、翁は大きく息をついた。知者である彼であっても、その言葉の端には若干の惑いが滲んでいた。


 「さすが含蓄があるな爺さん――――……僕もお前のような賢い者が世に増えていくことを願ってる。そうすれば僕たちは日々退屈することはなくなるだろうからな」


 「ああ、わしもお前さんのような者がお前さんたちの中にに増えていくことを願っておるぞ――――……あと、わしは爺さんではない」


 「――――……いや、爺さんだろ」


 「ソフォス――それがわしの名じゃ」


 「…………!!――――なるほど…………覚えたぞソフォス……ソフォス爺」


 「ほっほっほ、エル坊、わしと話したこの時間はお前さんにとっては砂粒のようなものじゃろう?それをお前さんは覚えておくことはできるんかえ?」


 「ああ、忘れないさ。僕はまだ若いからね」


 「ほっほっほ。そうじゃった、そうじゃった――――」


 (ふっ…………良く笑う爺だ)


 エルハルトはその彼を形作っただろう、母屋(酒場)を見上げた。エルハルトの魔法で氷漬けにされたその酒場は、もうすっかり元通りになって、むしろ匠(エルハルト)の技によって所々、見えぬところで利便性が増して、以前より数段居心地の良い酒場となっていた。


 「それにしても――――ほっほっほ…………建て直しがこんなに早く終わるなんてのう!しかも玲瓏館(お前さん)の全額負担!――――まったく、長生きはするもんだわい!」


 ダンジョン経営で磨かれた建築、およびデザイン技術はエルハルトをもう匠といっても良い程の腕前へと向上させ、彼の駆使する熟練の建築技法(魔法)は驚異の超短期工程を実現した。


 「ああ……せっかく最近余裕が出てきたと思ったのに……しばらくは節約だな……」


 「ほっほっほ…………全くすまんのう。こっちはうはうはじゃのに」


 「しかも結局謹慎期間は短くならないみたいだし、もうこれじゃあ完全にボランティアだよ」


 「当たり前じゃろ。それで短くなったら、わざと建物を壊す奴が現れるに決まっとる」


 「やっぱ頭いいな、爺さん」


 「ソフォスじゃ」


 「悪知恵が働く、がめついソフォス爺」


 「ほっほっほっほっほ」

 

 悪態をつきながらも、好々爺らしく笑い声をあげるソフォス爺を見て、不思議と胸の内から暖かいものがこみ上げてくるのを感じるエルハルトなのだった――――まあ、懐は寒くなったけどね!


 ――――――――


 ――――


 ――…………



 「あーー疲れた…………家一軒建てるのってこんなに疲れるっけな…………最近、別館の方も老朽化が目立つし、そろそろ手を入れる時期かな……」


 新生“のんべるく”の最終確認から帰還したエルハルトは、ダンジョンの談話室に置かれたソファにどかっと身を投げ出した。


 「それにあの爺さん――――」


 エルハルトは神妙な表情で語る、ソフォス爺のやけに澄んだ瞳を思い出した。


 「――――――……なんか、話長くてほとんど何言ってるかよくわかんなかったな。ていうかあいつら毎日細胞生まれ変わってるってマジ……?次の日あったらほぼ別人ってこと……?え、こわ……」


 ダンジョンの決して気のせいじゃない寒さに、エルハルトはソファの上でぶるりと身を震わせた。部屋の反対側でメイリがマッチをこすって、暖炉に火を入れる姿が見えた。


 (――――それに僕たちの秘密も知ってたし、本当に何もんだよ、あの爺さん…………いやソフォス爺……)


 彼が決して悪人でないことは、この数日、短いながらも彼と一緒に過ごしたエルハルトは理解していたが――――


“――――神の一存で定められたその心を、疑うでもなく、抗うでもなく、日々惰性のように生きるお前さんたちをな――――”


 (――――……違うんだよソフォス爺……自分の存在を、その意味を、疑わなかったネームドはいない。少なくとも僕は知らない。皆、何かしら悩みを抱えて、それでも自らの使命を、自分自身を無くさないように日々必死に生きているんだ。彼らは……あの賢い爺さんでも、僕たちの事を知らない――――……僕だけじゃないんだよ、爺さん――――)


 “――――ソフォス――それがわしの名じゃ”


 (でも僕だって何も知らなかった。彼らにも名前があること、生きてきた軌跡があること、それぞれに生きる意味があること、もしくはそれを探していること……彼らも生きてるんだ。当たり前の事のはずなのに、僕はこの長い時間の中で、彼らの名前すら知ろうとしなかった……僕は知らないことが多すぎる)


 「ああ゛~~~」


 「どうしたんですか?エルハルト様山羊みたいな声出して……またネットミームになっちゃいますよ?」


 「お前が何もしなければならないんだよ」


 「ごめんなさい…………」


 「あれ……?今回はやけに素直だな――――って、おい、お前今なに隠した!!」


 「別に何も録ってませんよ。ぐでハルト様~ってタイトルなんかつけてませんから」


 「おい、ふざけるな!それ絶対ネットに流すなよ?」


 「えっ…………それって……俺とお前だけの秘密なってこと……?――トゥンク……」


 「――トゥンク……じゃねえよ!!誰もそんなこと言ってねえよ!!でもそういうことだよ!!頼むよ…………あと、僕の一人称は僕だ!!」


 それなりにヘビーな仕事をこなしてきたと思って帰ってくれば、息つく暇もなく、ライトな恐喝が待ってる職場にエルハルトは辟易しながら、大きくため息をついた。


 「それはそうとエルハルト様――――お茶が出来上がりました」


 「え?ああ、ありがとう――――」


 そして思い出したかのようにメイドの仕事をするメイリ。彼女の淹れてくれる紅茶は結構美味しい。だけど、彼女の気分次第なのか、それがエルハルトに提供されるタイミングは不定期で、どうも主人の都合を推し量っている様子も無さそうだった。そして大抵エルハルトが紅茶を飲みたいタイミングではなかった。


 (なんでメイリは毎回毎回、僕を困らせてくるんだろう……思えば僕は彼女について余り深く考えたことがなかったな……いや、大体は面白がってるだけだと思うけど…………もしかしたらメイリもミーシャみたいにストレスが溜まって、それを僕にぶつけざるを得ないだけなのかもしれない)


 エルハルトの推測は、大体は惜しい所までいくが、いつも肝心なところで鼻っ面が折れて、対岸に届かない。


 「なあ、メイリ…………なんか仕事で困ってる事とかないか…………?」


 「?…………いや、いつも困ってるのはエルハルト様の方では……?」

 

 「いや、自覚あるんかい。いつも困らせてる自覚はあるんかい」


 「――まあ、強いて言うのであれば、メアが書類仕事でもう少し人手が欲しいって言ってましたね。ほら、あの……何でしたっけ、ドワーフの……ああ、トキコさん――――……ええ、もう定年なんですって。だから謹慎明けに戻ってこられないみたいで――――」


 「おう、そうか…………じゃあまた新しく人を雇わんとな…………謹慎が明けた後すぐに面接をセッティング出来るように後からミーシャに頼んでおこう……謹慎で出たキャストの欠員も補充しないといかんしな、まあ丁度いいだろう――――って……じゃなくて!…………お前だよ!お前自身は何か悩みとかないのか?」


 「――――……悩みは……まあ無いことも無いのですが……主にプライベートの事ですし、何より腐れ職権乱用上司様のおかげで新たな交流が生まれまして、それで現在のところは大分解消されております」


 メイリは“腐れ職権乱用上司”という言葉を殊更に強調していった。


 「いや、すまんかった…………まあ、結果的に上手く行ったようで、なによりだよ…………はは…………というか今気づいたが、どうしたんだ、そのHP……ピコンピコン言ってないか……?」


 「…………気にしないでください。可憐な少女とゴリラという単語が奇跡的にマッチしただけですから」


 「?――――でもすまないな……僕も魔力が制限されてるから、治してやる余裕がないんだ。さっきまでミーシャと一緒だったろ?治してもらえば良かったのに…………」


 「いえ…………せっかく仲良くなれたのに、彼女が新たに獲得した衝撃の属性についての事実を突きつけて、負い目を負わせるわけにはいきませんから……それにミーシャさんもそれどころじゃなかっただろうし……」


 「――――まあ、良くわからんが、ベッドで寝ればすぐ治るだろ。まあ今回は魔力制限中で運が無かったと思え」


 「ええ…………」


 今回はありったけの魔力で大結晶(リスポ)送りだけは避けることが出来たメイリの勝利といっても良さそうだった。


 (魔力制限中とはいえメイリがこんなになるなんて……よっぽど大変なことがあったんだな……ミーシャが一緒だったとはいえ、僕は彼女の主なのに何もしてやれなかった……こいつの事ももっと見てやる必要があるな……僕はずっと一緒にいたメイリの事さえ知らないんだ……)


 思えばエルハルトは普段メイリが何をしているかあまりよく知らなかった。


 「なあ、それはそれとして、お前って普段何してるんだ」


 「申し訳ございません……プライベートの事は……」


 「いや、すまない……プライベートの事じゃなくて、仕事の話」


 そう、エルハルトは知らなかった。彼女が日中、ダンジョンボス以外の仕事の何を受け持っているのか。もちろんエルハルトは彼女とボス戦では(一応)一緒に仕事をしているが、その他の時間については、ダンジョンの管理にかまけて、あまり気を回せていなかった。


 「――――……申し訳ございません……プライベートの事は……」


 「いや、プライベートじゃないが、勤務時間中だが」


 「…………私だってあれこれ忙しいんですよ……」


 「いや、分かってる。ダンジョンの仕事は山積みだからな……具体的にって言われてもあまりすっとは出てこないだろう。でも一つ一つ思い出してみてくれないか?そのどれかがもしかしたらメイリの負担になってるかもしれない」


 エルハルトが真っすぐの視線でメイリを捉えて、その沈黙と眼差しがメイリの退路を断った。


 「…………えーと…………その……仕事って言ってもいろいろ……?ですからね……」


 「ああ、もちろんだ。思い出せる限りでいいんだ」


 「えーと……んー…………えっと……仲間の救援に向かったり……?」


 「うん」


 「(人理を)……修復したり……?」


 「ん?……うん」


 「(宇宙を)……開拓したり……?」


 「ん?」


 「樹脂が溢れないようにしたり……?」


 「ん?……何の話だ?」


 「……私だって忙しいんですよ!!!!事務所に戻ればプロデューサー!て笑顔で迎え入れてくれるアイドルがいるし!トレセンに行けば『トレーナー、トレーナー』って次のトレーニングの指示を待つ愛馬がいるし……世界はキャンサーに襲われて、人類滅亡の危機だし、最近は可愛い生徒を持つ先生にもなって……忙しいんですよ!!!!私だって!!!!」


 「ああ……なんかすまん……って……それ本当に玲瓏館の仕事なのか……?」


 「もちろんでございます」


 メイリは保身のために嘘をついた。秒で嘘をついた。


 「そうか……僕がその中で助けになれそうなことは……?」


 「一個も、一つたりともございません!!私はこれらの職務を重い、とても重い責任感を持って従事しております」


 「自分で重い責任感とか言うか……?」


 「――とにかく!!ご心配痛みいる所存でございます。ですがそれはいらぬお世話というもの――――」


 「お、おう」


 「そして、申し訳ございませんが、私はHPがピコンピコンうるさいですのでこれにて失礼させていただきます」


 「あ、ああ……引き留めてすまなかった――おやすみ」


 「ええ、おやすみなさいませエルハルト様――――」


 メイリはHPがピコンピコン言っているとは思えない程の素早さで、休憩スペースを去っていった。たぶん瀕死になると素早さが上がるもちものでもつけていたのだろう。


 「僕もまだまだだな…………」


 エルハルトは少し温くなってしまった紅茶に口を付けながら、そう呟いた。


 「この味が楽しめなくなってしまう前に、あいつをちゃんと見ておかないと――――」


 ようやく暖まり始めた談話室の片隅で、エルハルトはメイリが入れてくれたカップと暖炉の暖かみを噛み締める。それを逃さないようにエルハルトは強くカップを握りしめた。


――――――……


 後日、サボりが主人にバレたメイリは、反省文の提出に加えて、玲瓏館経営首脳陣の投票によって、三か月間、一割の減給が言い渡された。

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