1-8

 「あー今日も床が冷たい……」


 暗がりに淡くぼおと光る大結晶の灯りを背に受けながら、今日もエルハルトはその謎石材の冷たさと、世の無常さを噛みしめていた。


 「お疲れ様でございます。エルハルト様」


 そして、いつものようにそんな主を遥か高みから見下ろす一人のメイド――――


 「だからいつもその角度で見下ろして来るの止めて?なんかみじめな気持ちになる」


 「これも仕事ですから」


 「いや、今日は休館日だよ!!ていうか今日は休みのはずだったのにどうしてこんな……」


 「安心してください。明日からしばらくはずっと休みですよ」


 「…………あ、そうだった……」


 「恐らく三か月ほどは営業停止でしょう」


 「いや、どうだろ……今回は放火、違法薬物使用だぞ。死人も出てる」


 「ああ、そうですね……では半年ほどでしょうか?」


 「まあそんなもんだな……ていうか僕たちが言うのもなんだが、刑期短すぎないか?……いや、彼らにとっては長い年月なのかもしれんが……」


 「まあ……そこら辺はミーシャさんたちが何とかするんでしょう。そもそも他の地域ではこんなことは日常茶飯事らしいですからね」


 「ああ、そうなのか……」


 「まあ、ボコられるべきダンジョンボスはそれくらいで良いんですよ。ダンジョンが稼働してないと、そこで働いてた人たちも、新しい職にありつけずにまた犯罪を犯してしまうかもしれませんしね。その為にいくらか政府から補助金も出るみたいですし、営業停止期間は短ければ短い程良いんでしょう。ダンジョンの封印を強めるための維持魔力量も馬鹿になりませんしね」


 「まあ、そうだよな、たとえダンジョンがネームドを封印しその力を吸収して稼働するものだとしても、吸収する魔力を増やして、封印を強めれば強めるほど奴らが制御権を得るための魔力は多く必要になるはずだからな……全く……世の中良くできてるよ」


 そう。ダンジョンの真の役割。それは過去に重大な罪を犯したネームドの監獄、永遠の命を持つ彼らをその地に封じこめ、力を削ぐための封印装置。それが現在ダンジョンと呼ばれるものが負っている使命だった。


 「まあ、うちはダンジョン経営型ネームド監獄のモデルケースとして一番初めに実施された。少し特殊な村ですからね。何よりここのエリアはミーシャさんが管轄ですし、ネームドの犯罪としては被害も少なく、しょっぱい罪状ですのでこれくらいが妥当なのではないですかね?」


 ダンジョンに囚われたネームドは各自の罪状やその多寡によって、行動制限を課せられる。エルハルトたちのように直近で罪を犯したネームドは、これまでの功績や罪状その他諸々を差し引いて、一定の謹慎期間が設けられ、その間はダンジョン内に監禁されるのだ。しかし逆に模範囚ともなれば、ダンジョン内で倒されると宝箱が出てくるという、古来からの謎システムを生かして、自らの監禁場所を娯楽施設のように経営し、日銭を稼ぐことも可能であり、更にはある程度のダンジョン経営実績を積み重ねることによって、人の住む村や町にまで指定された範囲内であれば出入りすることも可能だった。


 「なんか、しょっぱいって言われるとなんか癪に触るな――――まあ良い。奴らが良いのならそれでいいさ」


 「ええ、私たちにとってはそこまで長い年月ではありません。ダンジョン内の無視していた細かいタスクも少なくはないですし、謹慎期間と言えど、意外と忙しい日々になるかもしれませんね」 


 「はあ、でも自分で作っておいてなんだけど、なんで氷属性ベースのまま監獄にしちゃったんだろう。せっかく春が来たのにこれじゃあまた冬だよ。この制度を作る前だったら何とかなったかもしれないのに…………」

 

 そして何を隠そう、ダンジョンを改造し、その封印装置としての雛型を世界で初めて作ったのは、この冷たい謎石材の上でぶーたら不満を垂れている、エルハルト・フォン・シュヴァルツベルグその人だった。


 「でも創造主様(お母様)の遺したものは出来る限り手を加えたくないって、我が儘言ったのはエルハルト様ですよね」


 「ぐぬぬ…………元はと言えば、創造主様(母上)が悪いんだ。ボス戦の時のくそ長詠唱も、このくそ寒ダンジョンも、創造主様(母上)が『かっこいい!かっこいい!』って褒めそやすから……」


 しかし、彼の能力の大元を辿れば彼らの創造主たる“彼女”の影響が大きく、ダンジョンの大半の機構も彼女が手を加えたものであって、例えエルハルトであってもダンジョンの未知な部分や、制御不能な部分に介入することは極めて難しいと言わざるを得なかった。


 「ふっ…………黒歴史ですね」


 「う、うるさいっ!!良いんだよ!!もう創造主様(母上)には二度と会えないんだ。お前だって、このダンジョンが変わってしまったら嫌だろ?」


 「ええ、例えそれをしたのがエルハルト様だったとしても、ブチ切れますね」


 「え……こわ…………良かった…………変に変えなくて…………」


 エルハルトは身の危険を感じて、見下ろすメイリの足元から逃れた。


 「――…………」


 「――――…………」


 会話が途切れた。いつものやり取りなのに、離れた拍子に、二人の間に最近生まれてしまった、良くわからない、溝のようなものが二人の間を分かっているのが浮き彫りになって、二人の間に沈黙が流れた。メイリはエルハルトとの間に空いた、そのよくわからない距離間のようなものを察して、胸の奥がちくりと痛むのを感じた。


 「そういえば――――」

 

 その沈黙を破ったのはエルハルトの方だった。彼は冷たい床から立ち上がりながら、意を決したようにその話題に触れた。 


 「勇者ミーシャの事なのだが――――」


 「…………!!」


 そしてその話題は、今最も彼女が恐れていた話題だった。


 「ん?やっぱりお前も気になっていたか…………」


 「――――ええ……」


 メイリは主の言葉にそう相槌を打つ以外、選択肢は無かった。


 「――――お前はあいつのことについてどう思う?」


 「――――どう……とは……?」


 「お前も今日、あいつの様子を見て気が付いただろ?」


 「――――ええ……」


 「なら、お前はどう思った?お前の……意見を聞かせて欲しい」


 「――――わかり、ました……」


 (エルハルト様は迷っている……?私に意見を求めて彼の中で何が変わるというの……それとももしかしたら、知らない素振りをしていても、エルハルト様はもうとっくに私の気持ちには気付いていて、だから――――)


 メイリは自らの進むべき道の先に、いくつかの分かれ道があることを知った。それを見て足を止めたメイリは、ある一方にある、険しくも気高い荒野に目を引かれていた。きっとその道を行けば、自分はとても辛い目に会うだろう。水の気配が一切しないその道は果てしなく、その道を選べばきっと喉の渇きに苦しみながら、永遠とも思える時間を歩くことになる。


 ――――でもね、私わかっちゃったの、あの時……


 ミーシャの言葉だ。だがきっと彼女はその道を行く。


 ――――あなたも好きなんでしょ?エル君の事…………


 (そして私も――――)


 ――――私もね許せないの…………あなたと同じ。変われなくて苦しんでるのに、変わるのが怖い。一歩が踏み出せない。そんなの弱虫でしょ?勇者じゃない……!


 (――――私も彼女のように……)


 ――――私は変わるよ。自分もエル君も、あなたも、そして世界も、変えて見せる!その為に…………私はあなたに勝つね


 (――――変えられない……私はあなたみたいにはなれない……)


 メイリは自分の役割を思い出す。彼女はメイドだ。勇者ではない。主の助けとなり、主の幸福を自らの一番の幸福とするメイド――――その為に彼女は生まれ、生きて、それを自らのしるべとしてきた。だから――――


 (私はその道を選べない――――)


 「私は――――ミーシャさんは素晴らしい方だと思います――――いつも真っすぐで純真で…………明るくて、笑顔が素敵で……可愛らしくて――――」


 「…………うん」


 「いつも村の皆に慕われて、村の皆の事や仲間たちの事をいつも想っていて……だから誰からも受け入れられて……それだけじゃなくて、その……エルハルト様の事も誰よりも……想っていて…………だから――――」


 「…………うん」


 「彼女には幸せになる権利があると思います…………だから――――」


 ――――エルハルト様、彼女を必ず幸せにしてください


 だけど、そう続く言葉をメイリは自分の口から言うことが出来なかった。


 主は言葉を詰まらせてしまったメイドを辛抱強く待った。そして彼女の口からはこれ以上待っても語られない事を察すると――――


 「ぷっ…………はっはっは、はは…………お前やっぱりミーシャの事相当気に入ってるよな」


 と主はメイドの思い詰めたような表情を吹き飛ばす様に、高らかに笑い声を上げた。

 

 「…………え?いや…………私はそんなつもりで…………」

 

 「いや、照れなくていい…………ああ、僕も同意見だ。あいつは素晴らしいやつだ」


 「――――そう、ですよね…………」


 「ああ、そうだ。だから僕は今日後悔した。僕はあいつがあんなに思い詰めていたことを知らなかったし、その一端が僕にあることにこれまでとんと気が付かなかった」


 「――――そう、ですか…………なら……」


 「――――ああ」


 メイリは次に訪れるだろう、致命的な一言に人知れず、拳を握りしめた。


 「だから――――」


 「…………」




 「暇な時でいい。お前があいつに付き合ってやってくれないか?」




 「――――へ…………?」


 大結晶の灯りが淡く灯る暗がりに、世にも珍しい、メイリの気の抜けた声が響いた。


 「――――ああ……すまない。職務規定外の頼みであるとは僕も重々承知している…………だが、やはり僕はお前以外この責務を全うできそうな者を知らない。さっきのお前のミーシャに対する熱い想いを聞いて確信した」


 「…………」


 「ああ、わかってる。本来は僕が何とかしなくてはいけない事だ――――僕はもっと早く気付くべきだったんだ。僕は損得勘定だけで、僕とミーシャの関係をこれで良しとしていた。だがあいつは勇者であり、人の心がわかるやつだ。当然お互いに利があるとしても、自らの保身を他人に委ね、それがあまつさえその相手を悪者に仕立て上げることによって為されるなど、それが最も効果的だったとしても、あいつにとっては許されない事だろう。やはり奴は心の内では納得してはいなかったのだろうな」


 「ええ…………それはそうだと思いますが……だけど今更――」


 「ああ、僕も、今更か?と思ったよ。なんせこれまでずっとそれでやってきてたのだからな…………だが僕はあいつを舐めてた。そしてわからされた。あいつは勇者だ。あいつはどんな困難な問題であろうと、解決してしまう強い力と意思がある――――今日、あいつと話して良くわかったよ……あいつはずっと何とかしようと苦しんでたんだよ。僕の為に……僕は気付いてやるべきだった……まさか彼女が……昔は常に笑顔を絶やさず、話す話題も尽きないような、そんな、神に愛された天性の陽キャだった彼女が、今はお天気の話題しか出てこないほどに罪悪感に埋め尽くされているなんて…………なあ、メイリ、もう一度頼む……僕の代わりに彼女を救ってやって欲しい――――僕じゃだめなんだ……僕があいつの前に居ると、どうも彼女は正常ではいられなくなってしまうみたいなんだ」


 「…………」


 「きっとあいつも……メイリ、君を通して、僕がどれほどこの日々を大切に思っているかを彼女に理解してもらえば、きっと誤解は無くなる、わかりあうことが出来る――――そうだと思わないか……?」


 「…………」


 「やっぱりだめか……?確かに立場上困難は多い。恐らく根本的な問題の解消は難しいだろう……だが、お前もあいつのことをそこまで想っているのなら、きっと悪くなることはないと信じてる。悩みを分かち合い、共に成長す――――」


 「――――ました」


 「ることによって、少しでも――――え?何だって?」


 「わかったといっているでしょう。このブラックダンジョンマスター」


 「え?なんかそれちょっとかっこいいな」


 「では腐れ職権乱用上司」


 「あ、ごめん。普通にごめん。手当は僕のポケットマネーから出すから……さすがに今の時代に交際費なんて名目で経費は落ちんだろ?」


 「別に経費でいけますよ」


 「え?ああ、じゃあ」


 「いりません。私、接待とかそういうの嫌いですから。たとえ仕事だとしても、仲良くする人は自分で選びたいので」


 「え……なんかかっこいい……」


 「私個人としても彼女の事は気になっていましたし、良い機会だと思っただけです」


 「そ、そうか……じゃあ、すまんが頼む。だけど本当、無理はしなくていいからな。人それぞれ相性があるからな……」


 「――――少なくとも、好みは似通ってるとは思いますよ」


 「そ、そうか!さすが詳しいな……!というかお前ら元々付き合いがあったりするのか?」


 「いえ、全く。仕事以外では特に」


 「まあ、そうだよな。というかお前がメア以外と遊びに行くところなんて見たことないからな」


 「っ…………ハラスメントで訴えますよ」


 「ああ!!ごめんごめん!!」


 「そもそも……!!エルハルト様だって、遊びに行く友達なんていないじゃないですか」


 「い、いるわい…………!!その…………何人かは…………」


 「大体…………!エルハルト様はもう少し人の心の機微に詳しくなった方が良いかと存じます!そんなんだから……その―――」


 「わ、わかっとるわい!!そもそも僕たちの立場でそんなほいほい友達が出来るわけないだろ!!お前自分の言ってることをちゃんと理解しているのか?お前それ全部ブーメランだぞ!!」


 「ぐぬぬ…………!」


 プライベートを犠牲にした、仕事一筋うん百年の二人の悲しき争いに勝者は無く、二人の間にまた重苦しい沈黙が流れた。だけど――――


 「あ、エルハルト様――――」


 「――――ん、なんだ?」


 メイリは重苦しい空気を切り裂くように、二人の間にあった溝を越えて、エルハルトの元へ向かう。


 「ど、どうした?すまないさっきの事は――――」


 メイリは胸辺りにあるエルハルトの顔を覗き込んで――――


 「…………!――――ああ、すまない」


 「どういたしまして」


 メイリは懐から出したハンカチで、エルハルトの頬を拭った。

 メイドはいついかなる時も主の身だしなみを整えられるように、常にそばについてなくてはならない。

 

 「フォトオプの時もこれが出来んのかえ」


 「心苦しい限りですが、それも仕事ですので」


 メイリは勇者ではなくメイドだ。だからそれ以上にはなれないかもしれない。


 (でも、今だけは…………)


 「エルハルト様!お姉さま!」


 「ああ、メア――――うおっ…………ってどうしたんだ急に」


 並ぶ二人の間に飛び込んで来た幼い銀色の影は、心なしかいつもよりさらに小さく見えた。


 「いえっ……その……今日はなんだか二人の姿が遠くに見えて……」


 「……ごめんなさい、メア……でももう大丈夫だからね」


 「……メア……どうした?何かあったのか?」


 「あっ……エルハルト様……先ほどは申し訳ございませんでした」


 「ああ……そういうことか……あれは僕の指示だから、メアには何の落ち度もないよ。むしろあんな辛い指示を出してしまってすまなかった」


 「…………はい……」


 『なあメイリ、今日はお前がメアについてやってくれ』


 『ええ、もちろんそのつもりです』


 『ああ、頼むぞ。僕は明日までにメアにお詫びに何か出来ないか考えとくから』


 メイリはエルハルトの耳打ちにこくりと頷いて、メアの手のひらを握った。


 「さあ、メア、今日はもう寝ましょう」


 「はい……お姉さま……」


 「おやすみ、メア」


 「はい、おやすみなさい。エルハルト様」


 「では先に休息を取らせていただきます、エルハルト様」


 「ああ、メイリもおやすみ――――」


 エルハルトは連れ立って部屋を出る二人の背中を見送る。その直後、エルハルトは後ろで淡い光を放つ大結晶が、更にその輝きを増したのを感じた。


 「稼働したか…………」


 大結晶から生成された魔力が、ダンジョン全体を駆け巡って、その胎動を開始した。所定の謹慎期間が明けるまで、もう、エルハルトたちは自らの意志でダンジョンを出ることは叶わない。


 「うーさぶっ……」


 ダンジョンの炉に火が入ったことによって生み出された冷気が、エルハルトの骨身を軋ませた。


 「とりあえず僕も宿舎スペースに向かおう。あそこなら少しはましだ」


 エルハルトは冷たいけど暖かい、この氷の牢獄で一時の眠りについた。

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