1-6
「――――――……」
扉の先に映し出される、もはや懐かしささえ覚える光景に、エルハルトは何十年かぶりの仕事の時間が来たことを知った。
「――――ははは!勇者ミーシャ!!派手にやってくれたようだな!!」
「エル君……」
ミーシャは血塗れの剣を握って立ち尽くしながら、悲しそうな顔で声高に笑うエルハルトを見て、そして彼の名前を呟いた。
「ふむ。人を魔獣化させる薬……か……今は禁止されている……から入手にかなり手間取ったのだぞ!!」
人を魔獣化させる薬。モブにしか効果を及ぼさないが、その効果は絶大で、一時的にネームドに匹敵するほどの力を得られる薬である。だがその力の代償は致命的で、一度魔獣化してしまった人間は元に戻ることは出来ず、一般的にはその後は理性すらも失い、獣へと成り下がる。そうなってしまった人間はもう人では無い。故に彼女の処置は適切で、彼女にとってはそれ以外の選択肢は無かっただろう。
ミーシャが立ち尽くす、その下にある無残な肉片は恐らく元は人間だったものだ。そしてそれは家を燃やした、あの男のものだろう。
「ほら!見ろ!!そこのご婦人を!!恐怖で顔が引きつっているじゃないか!!ああ!!なんと惨い!!貴様がやったのだぞ!!勇者ミーシャ!!」
正義は為された。しかし、その圧倒的な力による征伐は、見る者に恐怖と畏怖の感情を抱かせる。誰もが悪人ではないが、完全な善人というわけでもない。しかし、エルハルトとそして村の人々は知っていた。彼女が純然たる善であることを。
遠巻きに見ていたギャラリーがざわつき、ひそひそと思い思いにその身の内を語る。
“そんな、あんなに可愛い娘なのに……あれは……ちょっと怖いわ”
”ああ、あんな化け物にこの村は守られていたのか……”
「っ――――……」
化け物――――その言葉を耳にしたミーシャの表情をエルハルトは何度も見てきたが、何度見てもエルハルトはその表情に慣れることはなかった。
(ミーシャ…………少しだけ我慢してくれ、そうすれば…………)
「さあ…………!これが勇者の正体だ…………!!目を覚ませ愚民ども…………!!目を覚ましその手で立ち上がるのだ…………!!そしてこの女を――――」
“そ、そうだ…………あいつの言う通りだ。もうネームドが起こす厄介事にはうんざりだ…………”
“こんな奴らがいる世界で生きていけるわけが無い…………”
“数ならこっちの方が何倍だって多いんだ…………”
そう、それはこの世界が持つ歪み――――圧倒的な格差、力…………不滅のネームドと限りある人類の隔絶された決して越えられぬ壁――――
それらの歪みは自ずと対立を生み、そして血が流れる。
最初はそれぞれが大切なもの守るため、そして次には大切なものを奪われた憎しみのため、そしてその次にはその奪われたものに奪われた憎しみが続いて、最後には……いや最後は無い、その連鎖には終わりがない。
潜在的な火種は常に存在し、きっと誰か、例えば人々の中からこの世界の歪みを何とかしようとする、とても良い人が現れたのなら、その火は瞬く間に燃え上がって、この世界を焼き尽くすだろう。
「だからこの僕と共に――――」
(だから僕がその“良い人”の手柄をあらかじめ横取りする――――)
「みんな何言ってるんだよ!!!」
(だけど僕は“良い人”ではないから――――)
「ミーシャは勇者なんだ!!僕たちを守ってくれるヒーローなんだぞ!!」
(この世の中は「何を言ったか」じゃない。「誰が言ったか」だ)
正義は勝つ。そんなの子供のころから誰でも知ってることだ。例えどんなに悪者が正論を言おうとも、元が悪だったら、正義には勝てない――――
「私知ってるもん!!あのエルってやつ、悪いやつなんでしょ?お母さんが言ってたもん!!なんか確率操作してるって!!」
(ふっ……全く良い教育してやがる)
だけど時が経てば、知ってても忘れてしまうものなのかもしれない。そのどこの誰とも知れない子供達の心からの叫びは、きっとその忘れてた記憶を呼び覚ます、朝焼けの光そのものだった。光は途絶えない――――
“そ、そうだ、そうだ!!やることがせこいんだよ!!エルハルト!!”
“そうか、あいつどっかで見たことあると思ったらエル様じゃねえか!!”
“こんなみみっちいことしやがって!!やっちまえ!!ミーシャさん!!”
“あいつが全部悪いんだ!!ミーシャさん!!そんな言葉に惑わされないで!!”
“負けるなミーシャ!!”
いつの時代になっても、彼らの清い魂は美しいものだ。純粋で無垢なその心がこの劇を成り立たせる。流れは決した。後は仕事を果たすのみである。
しかしミーシャはまだ悲しみをその顔に刻んだまま、エルハルトを見つめていた。
「どうした!!早く掛かってこい!!」
「エル君……私……私……」
(あれ?なんか雰囲気おかしくない?)
いつもだったら、ここから彼女の必殺剣が炸裂して、エルハルトは問答無用でダンジョンに転送され、そこから何か月かの謹慎生活が始まるのである。
だが――――
(おーい!!早くしろって!!久しぶりすぎて流れ忘れたかー?)
「エル君……私、嫌だよ……こんなの間違ってるよ!」
(おーい!!何言ってんだー!!)
「エル君私ね――――」
「ど、どうしたー!!掛かってこいー!!」
エルハルトは湧き出でる不安をかき消すように声を張り上げた。
「エル君――――私ね……ずっと言おうと思ってた…………でも言えなかった」
「ど、どうしたー!!」
ミーシャの顔は真剣で、その風格はまさに勇者。悪を打ち払い、人々を魔より救う、救世主――――
「でもね――――言うよ――――今ここで君に――――
私ね――――
エル君――――私は君のことが――――」
「――――あなたから来ないのならばこちらから行かせていただきます!!」
「…………!!…………メイリさ――――うぐっ」
“ミーシャさん!!”
“そんな……ミーシャさんが!!”
唐突に空から降ってきた銀のメイドがその大きな獲物(ハルバード)でミーシャの腹を叩ききって、彼女をエルハルトの後方の氷漬けとなって、建て替えがほぼ運命づけられた酒場へと器用に弾き飛ばした。
「め、メイリ!?…………お、遅かったじゃないか我が眷属…………」
「はい、申し訳ございません。今日はオフだったもので――――さあ!!立ちなさい!!勇者ミーシャ!!あなたはこんなものでは倒れないでしょう?」
エルハルトは唐突に現れたメイリに駆け寄って、急いで念話を繋いだ。
『おい、やりすぎじゃないか?メイリ?ミーシャの奴なかなか瓦礫から立ち上がってこないぞ?』
『大丈夫ですよ、エルハルト様、彼女の強さはあなたも良くご存じでしょう?』
『まあ、それはそうだが……』
『――――……そんなに彼女が大切ですか……?』
『そりゃそうだろ。あいつがいなくなったら俺たちは玲瓏館に居られなくなるんだぞ?』
『ふっ…………エルハルト様は変わりませんね』
『……?なんかちょっとおかしいぞメイリ、なんか変なものでも食ったか?』
『ええ、甘いパフェをたーくさん』
『そ、そうか……』
「――――ちょっと!!ちょっと!!派手にやってくれちゃったねー!」
「――――あーもしもし?え?やっぱ来たくない?えー、そんな事言わずにさー……え?例の件?あー、まー、いつも通りだよーだから安心しなってー…………え?いや、嘘じゃないって――――あ!もしもし?もしもーし?」
中々瓦礫の中から起き上がってこないミーシャを心配したのかどうかはわからないが、彼女の仲間の一味である、クエリとリアはその緩い雰囲気のまま、颯爽?と観客の中から、舞台の上に上がった。
「やっぱ来れないって?」
「うーん…………最近ますます家からでなくなってるからねー、ミーシャもあんなんだし……」
「えー?せっかくの久々の晴れ舞台なのに?」
「まあ、ほっときなって、元々こういうの苦手なタイプだと思うし……」
「――――あの…………もうそろそろよろしいでしょうか?」
一緒に食事に行ってくれない娘と親のような会話に痺れを切らしたメイリが、二人の会話に割りこんだ。
「あーごめんごめん。ほら!クエリっちも一応あの瓦礫の中に回復魔法ぶち込んどいて、どうせそんな仕事ないでしょ?」
「えーなんかもっと目立つ役くれよー、最近女の子に勇者パーティの一人って言っても信じてもらえないんだよー」
「そんなん、知らんわ!」
「き、貴様ら!!いつもそうやってわらわらと出て来やがって!!もっと真面目にやれ!!」
ちょっと雰囲気が緩くなり始めた現場に危機感を抱いたエルハルトは、次々と襲い来る予想外の展開に少し焦りながら、これ以上状況が悪くならないように声を張り上げた。
「あーごめんごめんー――――お?うちらの姫はやっとお目覚めかなー?」
瓦礫の中からふらふらと立ち上がったミーシャの姿は例え回復魔法を掛けられた後と言えど、恐ろしい程に健在で、メイリの一撃などまるでなかったかのようにそこに立ち尽くしていた。
“あっ!!ミーシャが立った!!”
“ミーシャさん頑張れ!!”
“がんばれ!ミーシャ!負けるな!ミーシャ!”
“ミーシャたんがんばえー”
再び立ち上がったヒーローに観客が沸き立つ。
「ああ!欲しい!あの歓声が俺にも欲しい!!」
「あー、やっぱミーシャは人気だねー。実はこの前アーティストデビューしてみないかって、某メジャーレーベルから誘いがあったんだよね……」
「え?まじ?いやー今月厳しかったんだよねー」
「うーるーせーー!!!御託はいい!!さっさと始めるぞ!!行けっ!!メイリ!!!」
緩んだ空気を常時醸し出す二人に、本格的に危機感を覚えたエルハルトは我慢できずメイリを差し向けた。
主の命を受けて二人に突撃するメイリ、しかしその道を阻んだ者がいた。
「…………!ミーシャ……さん……」
「メイリさん、さっきはありがとね。私の背中を押してくれて」
「……ええ……どういたしまして…………」
「でもね、私わかっちゃったの、あの時……」
剣と斧槍が交差し、弾ける。二人は距離を取り、そしてもう一度近づく。
「あなたも好きなんでしょ?エル君の事…………」
「…………!!」
ついに幕が切って落とされた演劇に観客のボルテージは一気に最高潮になる。
「私もね許せないの…………あなたと同じ。変われなくて苦しんでるのに、変わるのが怖い。一歩が踏み出せない。そんなの弱虫でしょ?勇者じゃない……!」
ミーシャは目にも止まらぬ連撃をメイリの斧槍に叩きつける。
「おーなんかすごい盛り上がってるねー!もうちょっと声のボリューム上げてくれれば完璧なんだけどなー、何話してるか全然聞こえないや――――てか、なんかマジすぎね……?ちょっと怖いんですけど……」
「ミーち…………」
そして激しい打ち合いの末、決着の時が訪れる。
「くっ――――…………」
「私は変わるよ。自分もエル君も、あなたも、そして世界も、変えて見せる!その為に…………私はあなたに勝つね」
「…………元から……そのつもりです……ぐっ……」
ミーシャが持つ両刃の剣がメイリの胸を刺し貫いた。
「め、メイリっ!!?」
「おー、なんかすっごい白熱してたねー。ていうかやっぱマジすぎね?なんかちょっと怖かったんですけど……これじゃあCD売れないよ……」
「――――――…………さーあ、後はエル君だけだねー、ってこっちも邪魔しない方がいいか……」
メイリの胸元に致命的な損傷を負わせたミーシャは、彼女が粒子となって玲瓏館に転送されていく様子を見届けてからまた再び歩き出した。
“うおー!!あのメイリさんを一撃!?”
“すごいぞーー!!かっこいいぞーー!!”
“後は親玉のショタだけだ!!わからせろ!!”
激しい打ち合いの末、圧倒的な力で勝利を勝ち取ったミーシャに、観客は沸き立ち、彼女の勝利を確信する。
「勇者ミーシャ!!よくぞ我が眷属を打ち倒した!だが貴様ももうここで終わりだ!!」
「うん…………私はもう終わり……」
しかし、彼女の様子がどこかおかしい。
「な、何を言っている?」
「エル君…………!」
「なっ……何を!!」
熱気に満ちていた劇場が一瞬にして静まり返る。
「え!?どういうこと!?」
「あーあ……やっちゃったねー……」
ミーシャの予想外の行動に観客がざわつく。
“ミーシャさん!?”
“どうしたの!?もしかして、負けちゃったの!?”
“いや、あれはどう見ても抱き着いてるようにしか……”
“いや、そんなわけ……ほんまや!!”
“ああ、ミーシャさん……あのショタ羨ま――いや!許せん!!”
観客はまさに阿鼻叫喚。
それもそのはず。勇者ミーシャは驚いたことに、ふらふらと仇敵であるはずのエルハルトに近づいて行ったと思ったら、そのまま彼に抱き着いたのだから――――
「…………」
「エル君、私と逃げよう?私の強さは知ってるよね?だから大丈夫。エル君は何も心配しなくてもいいからね」
「…………」
「だから少しの間我慢して――――」
ミーシャはエルハルトを一時的に行動不能にするために、右手に魔力を込めて、それをエルハルトの首筋に忍び込ませた。劇が……終わる――――
「ミーシャ…………?」
「うん?」
「勇者ミーシャ……貴様はそれでいいのか?」
「うん……良いよ……エル君の為だったら世界を敵に回してもいい」
「――――違うだろ……」
ミーシャの手が止まる。エルハルトの言葉が、その揺らぎが、彼女の本質的な部分に触れて、それを止めた。エルハルトにとってはその時間だけで十分だった。
「…………」
「貴様は勇者だろ――――」
「えっ…………?嘘…………!?エル君!?」
“あれ?なんかエル様透けてね?”
“ん?あっ、ほんとだ”
“え、何あれ、どういうこと?”
“馬鹿野郎!ミーシャさんが勝ったんだよ!!”
“え!?ミーシャ勝ったの!?やったー!!”
“ふむ……そういうことですか……”
“おい、どういうことだ説明しろ!!”
「おお!!ミーちの研究してた新技をここで使いますかー!!さすがミーち!!あれじゃあさすがのエル君も敵わないねー」
「え!?どういうこと!?あれ、ただの――――いでででで……だから耳は引っ張らないで」
エルハルトの体が致命的な損傷を負ったことによって、粒子となり、玲瓏館の地下にある大結晶へと運ばれていく。
「そう……か……メアちゃん、君が……」
ミーシャは観客の中に紛れる、幼い銀色の刺客を見つけて、この不可思議な現象に納得した。
「まあ、そういうことだ」
「エル君……どうして……」
「それは僕の台詞だ。お前は勇者だろ?お前は僕と逃げて、あの笑顔を取り戻せるか?世界の敵になってお前は本当に心の底から笑えるか?」
「私にとってはエル君が……一番……」
「それは嘘だ――――」
「嘘じゃな――――」
「あと、すまない。僕もお前に嘘をついていた。さっき話してくれたあの木の下での会話、僕も覚えていたんだ――あの頃からお前のことは気に掛っていたんだ……すまない。もっと早くに気付いてやるべきだった、僕の方からお前に言うべきだった」
「そ、そんな……エル君はなにも悪くないよ……私が勝手に……」
「もう二度とずっと眠ったままでいたいなんて言うな。お前は人の中で生きるべきだ。お前には大切なものがたくさんあるのだろう?あの日、亡き友に涙を流す、お前の姿を見た。何故お前が世界を救えたのか、何故ここまで頑張れて来れたのか、何故僕がお前を必要としているのか、もう一度考えてみろ」
「え、る、君……」
「それと、安心しろ僕はこの生活を気に入ってるんだ。お前やメイリ、メア、玲瓏館のみんなの笑う顔が見れるから……それだけで――――ぐっ」
「エル君!!」
「僕は守りたいんだこの生活を。お前とメイリとメアと、それと玲瓏館のみんなの為に、僕はお前を失うわけにはいかない――――僕は我が儘なんだ。自分が欲しいものは全て手に入れる。だから僕はその為ならなんだってする。本当は嫌だけど、やられ役も何度だってやってやる。何度馬鹿にされたって、何度痛い目見たって――――」
「エル君……」
「それが僕の美学だ。勇者ミーシャ、例えお前にだってそれは邪魔させない――――」
エルハルトはそう言い残すと、淡く光る粒子となって、ミーシャの腕の中から姿を消した。ミーシャはその温もりが消えてなくなるまで、じっと俯いて地面を見つめていた。
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