1-5


 「お姉さま……その……よろしかったのですか?」


 いつもより早足で歩く姉の背中を、妹は離されぬよう追いかけて、帰路の、村の外れ辺りに至ったところで、ようやく落ちてきた姉の歩幅に追いついて、その背中に声を掛けることが出来た。


 「何の事かしら。限定パフェは全部食べたでしょ?余り長居するのはお店に迷惑だわ」


 「いえ、そのことではなくて……」


 「では何かしら」


 「えーと……その――――」


 「メアには……わからないでしょう?」


 「えっ?う、うん……でも……」


 「――――――………ごめんなさい。私って最低ね……」


 「………」


 村の外れの玲瓏館への帰り道。山の入り口の小高い見晴らしのいい丘。そこに一本の一際目立つ、樹齢が何千年とあるような大木が、ぽつねんと立っていた。


 「あの木……」


 「え?」


 「あの木……そういえばあの木の下でエルハルト様が村を眺めていたことがあったような気がするわ……」


 「ええ……あの場所は、エルハルト様のお気に入りの場所みたいですよ」


 「そう……そう、だったの――――……私……全然知らないじゃない」


 そう、何も知らないのだ。エルハルトの事もそして自分の事も。メイリは自分がなぜこんなに悲しい気持ちになっているのか、半分も理解していなかった。


 「私の世界はエルハルト様とメアとそしてあの玲瓏館だけ。でもそれすらも私は何も知らなかった……」


 メイリはエルハルトが眺めた景色を、同じ場所に立って、同じ景色を見ようとした。何の代わり映えもしない長閑な村。村の中心にかけてぽつぽつと増える家々。古風な景観と装飾を保ったありきたりな田舎の風景。それはミーシャとその仲間たちが、守り、繋いできたものだ。でもメイリにわかるのはそれぐらいだった。メイリは彼がどんな気持ちでこの村を眺め、そして、どんな気持ちで彼女の事を想っていたのか、何一つわからなかった。


 「――――エルハルト様……」


 「――――――…………はっ!!…………お姉さま大変ですっ!!あそこ!!火が!火事ですよ!」


 メアの声と同時にメイリもその素朴ながらも美しい村に一つの汚点がもくもくと立ち上がっていたのが見えた。美しい絵画に溢したインクのように景色を染める灰色のくすみ――――

 

 「…………!!――――行くわよメア!」


 「はい!」


 (あの場所は……)


 

 ――――――…………


 ――――……


 ――……

  


 「おーこんな時に何事だい?」


 「んー、隣のお店で何かトラブルみたいだねー」


 「ああ、あの老夫婦がやってる、老舗の」


 「酒場のー……なんて言ったっけ?」


 「“のんべるく”?」


 「あー、それそれー」


 「あっ、もうミーシャ行っちゃったみたいだよ」


 「あの娘お金払ったんかなー」


 「あっ、エル君がちゃんとお会計してる」


 「なんかやたらとスマートな、あの子」


 しかもキャッシュレス決済だった。P〇yP〇yだった。


 「……あの子いつの間にあんなにスマホを使えるように……」


 「――――おっと、俺たちもこうしちゃいられねーぜ」


 「そうだねー、まあ、私たちは出る幕ないかもだけどー」


 「なにいってんだ?見物に行くんだよ。もしかしたら二人の進展にワンチャンあるかもだろ?」


 「……邪悪かよこいつ」



――――――…………


 

 「おい!ミーシャ!どうなってる!」


 「うん、こいつがお店に火つけたみたい。エル君、悪いんだけど消火と救助、手伝ってくれない?」


 「……おいおい、はえーよ。なんか心配して損した」


 エルハルトが店の会計を終え、ミーシャの元へ駆けつけると、もうすでに犯人の男はミーシャの手で半殺しの憂き目にあって、地面にへばりついていた。


 「へへ……さすがにネームド様。お強いこったな、でもよー、俺たちだってこのままやられている訳にはいかないんだぜ」


 「ごめんエル君、先に救助と消火お願いできるかな、たぶん中にまだ人がいるはず。こいつ、まだ何か隠してそうだから、私はこいつの相手をする」


 「……ああ、わかった」


 男の不穏な雰囲気を敏感に察知したミーシャは、警戒を怠らず、手元の剣を構えて男に向き合った。

 エルハルトはその姿に一抹の不安を覚えたが、その不安を振り払ってミーシャに言われた通りに、まだぼやの範疇に収まる酒場を目指した。


 「おーい!!誰かいるかー!!いるなら返事しろ―!!」


 「こ、ここだ……」


 「待ってろ!今行く!」


 エルハルトは厨房の奥から聞こえてくる、か細い声を聞きつけると、自らに耐火の魔法を掛けて、一際火の気が激しい、その声の元へ向かった。


 「うおっ、さすがに暑いな、だがっ」


 厨房の扉を開け、燃え盛る熱波に押されたエルハルトであったものの、瞬間的に唱えた氷魔法を火の元にぶつけると途端に火の勢いは弱まった。


 「――――救助が先か……」


 しかし、火の勢いを完全に食い止めるにはもっと強力な魔法が必要だった。だが完全に鎮火するほどの魔法を放てば、救助者にその魔法の影響が及ぶかもしれなかった。


 「おーい、何処だ!」


 「こっちだ!早くきてくれ!婆さんが!」


 「ここか!アイシクル!!」


 どうやら引火した戸棚が道を塞いで、奥の部屋に閉じ込められてしまったようだった。エルハルトは燃える戸棚に小規模の氷魔法をあてて凍らせ、続く魔法でそれを粉砕した。


 「おい!大丈夫か!」


 「おい!婆さん!!助けが来たぞ!」


 「ごほごほっ……あんたは大げさなんだよ……ちょっとふらついただけじゃないか」


 「じゃが、婆さん……わしは――――」


 「――――無事みたいだな……ふむ、丁度いい――――おいお前らそこから動くなよ」


 エルハルトは円形の範囲バリアを老夫婦の周りに展開すると、店の鎮火を行うために、長ったらしい詠唱とともに、より大きな魔力の生成を始めた。


 「おお、息が軽くなったわい……」


 「おお!本当か婆さん!……あんた若いのにやるのう!」


 「完全に気分が良くなるまでは喋るな!その円の中に居る限り安全だ」


 エルハルトは詠唱を一時中断してそういうと、急いで残りの呪文を言い終わり、魔力を解き放った。


 「氷獄に沈め!!アイスゲフェングニス!!」


 エルハルトの足元からゆっくりと広がる絶対零度の氷風が酒場を氷尽くさんと侵略し、それらはたちまち酒場の厨房を、燃え盛る炎を覆って氷の世界に変えてゆく。


 「――――すまないな。この酒場はもう建て替えだ」


 「いんえ、確かにこの店に思い出はいっぱいあるけんど、命あっての物種ですからのう」


 「ああ、元は火をつけたあいつが悪いんじゃ」


 「そうか……こうなってしまっては僕の魔法が無いと建て替えは難しい。落ち着いたら玲瓏館に連絡をくれ。少しぐらいは手伝ってやる」


 その言葉に合点がいった老夫婦は、透き通った防護フィールドの内側からその少年の横顔をまじまじと眺めた。


 「ああ、そうか……あんたは!!」


 「そうかえ……どっかで見たことあると思っとった」


 「さあ、もう終わる。立てるか?」


 「なんかあんた噂と全然違うけんど、あれはキャラつくっとんのかい?」


 「う、うるさいな!そんなに元気ならさっさと立て!――――……ほらこれで氷の上を歩いても大丈夫だ」


 エルハルトは老夫婦に耐氷の魔法を掛けて、先を促した。


 「おお、ありがとうなあ、助かったわい」


 「すまないねえ、このお礼はなんと――――………!!…………おお!こりゃあ綺麗なこった……最後に店が化粧しとるみたいだねえ」


 厨房から出て店内のフロアを見た老婦は、きらびやかに氷の装飾が施された店内を見て感嘆の声を上げた。


 「無駄口叩かずにさっさと歩け。燃えて柱が弱くなってるかも知れない。まだ危険だ」


 「ほれ若いのにそんな固いこと言いなさんな」


 「いや、お前らよりはたぶん年上だと思うが」


 「ああ、そうじゃったそうじゃった」


 どこか飄々とした雰囲気を持つ翁たちに、年甲斐も無く振り回されるエルハルトは改めて、彼らの成長の早さを思い知った。

 エルハルトと老夫婦はフロアを通り抜け、酒場の入り口に立つ。そこでふとエルハルトは何やら胸の内に引っ掛かるものを覚えた。


 「はあ……なんかやっぱり嫌な予感がするな」


 「確かになんか静かじゃのう」


 「そういえばあの男はどうなったんじゃ?あの男、店を売らないと燃やすぞって……それで本当に燃えしおったんじゃ」


 「なるほどな」


 「それで本当に燃やす奴がおるかい!!って、なあ婆さん」


 「ん-ちげえねえ」


 今回の事件は、最近はめっきり見なくなった地上げ関連の事件のようだ。この村ではミーシャ達のおかげでそういった反社会的な組織は軒並み苦しい立場にある。根絶されきっていないのは、恐らく彼らの慈悲、もしくは社会的に彼らの居場所を無くす方がデメリットが大きいと判断したからだろう。


 「とりあえず出るぞ」


 店の扉を開けて外に出る。

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