1-3
「って、訴えられるわけねーじゃん」
エルハルトは自室の書斎机に突っ伏し、心底疲れ切った顔で独りごちた。
エルハルトは――有り得ない事ではあるが――もしあの姉妹が、この玲瓏館を去ってしまったらと少しだけ想像を巡らせて、すぐにそれを中断させた。あの姉妹に居なくなられたら、玲瓏館はすぐに立ち行かなくなるだろうことは、火を見るよりも明らかだった。
「あー、やめやめ!!馬鹿らしい。別にフリー素材だっていいじゃないか、どうせすぐ飽きるさ」
エルハルトは自分のプライドと姉妹がいなくなることに起こる様々な煩わしい出来事を天秤に掛けて、あっさりプライドが敗れ去るのを見届けた。
「それに――――」
ドアがコンコンと二回ノックされて、聞き慣れた声が聞こえた。
「エルハルト様、少しよろしいでしょうか」
「ああ、入れ」
見慣れた長身と銀色の髪が扉を開けて入ってくる。エルハルトはその姿を生まれてからずっと見てきた。今更その姿がなくなれば一体自分がどうなってしまうのか想像もつかなかった。
「ん?いかがなさいましたか?エルハルト様、なんだか今日は目線がいやらしいような………」
「本当に訴えるぞ」
「ひ、ひどい………この前の事はちゃんと謝ったのに………やはり私はもう用済みだとでもいうのですか………?」
「いや、用があるから困ってんだよ!ていうか用があるのはお前の方だろ!」
「あ、そうでした。エルハルト様こちらをご覧ください――――」
「――――切り替え早いな。羨ましいよ………」
「ご覧の通り、またしてもサブオプ問題が浮上しております。どうやら最近玲瓏館のドロップ率が偏っているらしく………」
メイリが手に持ったタブレットの画面をエルハルトに見せる。
「んーー、そんなこと言われてもな………」
「“エルハルト様フリー素材にされて激オコか。悪質なダンジョンのサブオプガチャの実態――”」
「やっぱお前が原因じゃねえか!!ていうか何だよこの三流記事!!ダンジョンのボスドロップはマスターですら関与できないことぐらい常識だろ!!」
「ええ、そのはずですが、ランダムドロップという性質上、この記事を鵜呑みにしてしまっている者も多いようです」
メイリは画面を下にスクロールして、地獄のコメント欄を映し出した。
“そんな………エル様信じてたのに”
“知ってた。未だにダンジョン産の装備に頼るとか馬鹿のすること”
“やっぱネームドの人たちって怪しいよね。絶対「やってる」よね”
“エル様かわいい掘りたい”
“少し顔が良いからって、調子乗りすぎよな、このまま消えて欲しい”
“えるださいめいりかっこいい”
「………なんというか、世も末だな………」
「ええ、でもこのまま大きな騒ぎとなれば、公式としては何か声明を出さなくてはならないかもしれません。他のダンジョン関係者から圧力が掛かりそうなので………」
「ええ………?なんかあれだろ?こういう時って逆になんか言うと駄目なんだろ?」
「ええ、そうなんですが、ダンジョン関係者はその性質上、ネームドの方が多く、まだネット文化に適応できていない方が多いんです」
「あーもう、めんどくさいなあ――――んー…………わかった。とりあえずお前はダンジョンのボスドロップに関する論文を引用してSNSでそれとなく発信しとけ。もちろんモブ………いやネームド以外の者が書いた論文でな」
一昔前までは、ネームド以外の限りある者たちを総称して“モブ”と呼んでいたが、今ではそれは差別用語として認定され、おいそれと人前で使えなくなってしまった。今では世の大部分は彼らのものだ。彼らが多数派であるならば、区別されるべきは我々の方で、故に彼らを区別する言葉は今は必要なかった。すっごい不便。
「はあ………つーか何なんだよあの宝箱。ボコられると宝箱が出てくる仕組みってやっぱ終わってるよ――――」
「これも仕事ですから」
「まあな、平和になった世の中じゃあ、他の仕事は僕たちには荷が重すぎる」
ダンジョンはネームド、それ以外に関わらず、大戦期を生き延びた軍人や冒険者や魔物、その子孫たちの受け皿となっていた。もちろん人の世に溶け込んで、それぞれの居場所を見つけた者たちもいる。しかし、倒れても死なず、生き返ることの出来るダンジョンの機構はその中に入れなかった者たちには都合が良すぎる存在だった。
「はあ、後はやっぱあいつしかいねえな………」
しかし、生きる世界は違えど、この地続きの世界ではそれらは頻繁に交差して、様々な厄介な問題と掛け替えのない出会いを生み出す。今エルハルトたちはその厄介な問題を解決するために橋渡しとなる存在が必要だった。
トゥルルルル………トゥルルルル………
魔法で念話を繋ぎ、彼女の応答を待つ。彼女はその役目を負う存在だった。彼女は世界の共存を夢見て、今その夢の中にいる。
………ガチャ
『え、エル君!?あ………もしもし?珍しいね、エル君の方から掛けてきてくれるなんて』
『ああ、久しぶりだなミーシャ。今ちょっと時間あるか?』
かつて勇者と呼ばれた冒険者、ミーシャ。きっと彼女ならば人の世にそれなりの伝手があるだろう。
『うん!大丈夫だよ!!』
『ああ、助かる。いきなりで悪いんだが、玲瓏館のボスドロップ問題が話題になっていることは知っているか?』
『え?なにそれ――――……あ、うん――――えっ!?今更!?』
どうやら彼女は今一人ではないらしい。しかも念話をスピーカーモードにしている。やはり陽キャは生きている世界が違う。だがしかし、念話は基本的には許可したものにしか聞こえないし、エルハルトもミーシャのことはよく知っている仲なので、彼としてもそれについて今更とやかく言うつもりもなかった。
『そうだ。だからお前の伝手を使って、それなりの公共機関から今一度公式な声明を出せないか打診をしてみてくれないか。もし関わりたくなかったら人を紹介してくれるだけでもいい。礼ならする』
『え………ああ、なんだそういうことか………うん、良いよ。エル君だったら………とりあえず私の方で心当たりを当たってみるね』
ミーシャはエルハルトの依頼を快く承諾をしたものの、心なしかその声にいつもの元気はない。
『すまない、助かる。その代わり礼は弾むぞ、何でも言え』
『え、いいよ、礼なんてそんな――――………え!?いや、それは大胆すぎじゃない!?いや、何でもとはいったけどさ――――』
エルハルトは念話越しに行われる会話に何か嫌な予感を覚えたが、何も言わず彼女たちの談合が終わるのを待った。
『ごめんねエル君、待たせちゃって――――それでなんだけどね、せっかくだから、その……えーと……何でもお願い、聞いてくれるんだよね』
『ああ、そうだと言っている。早く言え』
『ああ、ごめんごめん……!えーと、それでなんだけどね………この間村に新しくできたカフェがあるんだけど………エル君は知ってる………?』
『知らん、それがどうした。早く言え』
『ああ!ごめんね………!言うから………!えーと、そこに………私を………連れてって欲しいなあ………なんて………だめかな………?」
『は?』
『ああ!ごめん!うそうそ!冗談!やっぱ駄目だよね!そのカフェカップル限定のメニューがあって、受付の時にカップルですって言わなくちゃいけなくてそれで今だとカフェの中がカップルだらけになっててもし私がエル君と行ったらほんとにカップルに見えちゃってそしたら知り合いに見られて、「あ、あの二人付き合ったんだー」てなっちゃって第一私達そういうんじゃないけど限定メニューを食べるために仕方なくっていうか、あーでもこういうのなんか楽しいよねってなってそれでそんなの駄目だよ無理無理そんなの恥ずかしすぎる駄目――――』
『ああ、なんかよくわからんが、それぐらいなら別にいいぞ』
『え、いいの………?』
エルハルトは正直もうすでにちょっとめんどくさくなっていた。
『ああ、正直よく聞き取れなかったが、お前がなにか悩みを抱えているのはわかった。お前には貸しがある。僕でよければ力になろう』
『えー!?ほんとに!?良いの!?うれしい!―――いや、最近エル君と話せてなくて――――』
『ああ、いいぞ。少しくらい高くても奢ってやる』
『えーそんなの悪いよ』
『これは謝礼ではなかったのか……まあ、良い。さっさと段取りを決めよう』
『あ!そういえばそうだった………!じゃ、じゃあ今度の………えーと、いつが良い?玲瓏館お休みの日の方が良いよね?』
『ああ、それなら次の月曜日だ』
『月曜日………月曜日ね、わかった!!ごめんね、長くなっちゃって』
『いや、いい』
『じゃ………じゃあね。えーと………楽しみだねっ。あ、まだ時間はわからないから、また前日に連絡するね、えーと――――』
『ああ、委細承知した。僕も当日を楽しみにしている。じゃあ切るぞ。またな』
『うん、またね――――』
ブツッ………ツー、ツー
「はあ………長い………」
「エルハルト様………」
「ああ、メイリ、まだいたのか」
「っ………エルハルト様、長時間のお念話お楽しみになられて何よりでございます」
「ああ、そうだ、今勇者ミーシャと念話して、先ほどの件について彼女の伝手で何とかならないか掛け合っていたんだ」
「へーそうですか、それにしては楽しそうに会話をなさっていましたので、それはそれは上手くいったのでしょう」
「ああ、彼女が打診して公的な機関から声明が出れば、いずれ事態は沈下していくだろう」
「それはようござんした。主様のご心労が減って何よりでございます」
「なんか口調がおかしいぞメイリ………」
「そんな事よりエルハルト様………今度の月曜日なのですが――――」
「ああ、そうだ、月曜日――――さっきの件とは直接関係は無いんだが、見返りとしてミーシャを新しくできたカフェかなんかに連れていくことになった。だから少し家を開けるぞ」
「――――………そう………ですか」
「もし僕に用があるのなら、すまないがその後にしてくれないか。それほど時間も掛からないだろうしな」
「………いいえ、結構です。大した用事ではありませんでしたので………」
「………そうか?別日でも構わないと思うが………ああ、それか良かったらお前も一緒に来るか?お前も今回は大変だったろうし、二人まとめて奢るぞ」
「――――――…………」
「ん?どうした?遠慮はいらないぞ」
「いいえ!結構です!私たちに気にせず、二人っきりでカップル限定メニューをお楽しみくださいませ!!」
そういうとメイリは少し荒っぽく扉を開けるとそのまま、すたすたと立ち去ってしまった。
「なんだ?そういえばあいつも限定メニューがどうだかって言ってた気がするな………メイリも食べたかったのかな。なら素直にそう言えばいいのに」
素直とは遠くかけ離れたエルハルトはそういって、どこか寂しさを感じる自室の扉を見つめた。
――――――…………
――――……
――……
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