1-2

 

 ダンジョン。それは人々の冒険心をくすぐる魔法の言葉。それがいつから存在している機構(システム)なのかはたぶん誰も知らない。


 「あー、地味に吹き抜けエリアの氷塊に損傷があるみたいだな……あいつら宝箱は全部無視する癖にこういうオブジェクトは壊していくんだよなー……まあたぶん火力が高すぎるだけだと思うけど……」


 ダンジョンの中枢、地下にある大結晶が映し出すホログラムを眺めながらエルハルトはぶつぶつと呟いていた。


 「うーむ、やっぱりだめかー」


 画面に映し出される“管理者権限がありません”の文字列はダンジョンマスターであるエルハルトですら、解決不可能の事象だった。


 「く……やっぱり悔しい……僕の魔法が全て使えたら……あんな奴ら……!」


 「――――あの……エルハルト様?」


 「――――!」


 おずおずとした口調の声に振り返ると、メアが薄暗いリスポの入り口で大結晶の淡い光を受けながら、エルハルトを見つめていた。


 「ああ、メアか………どうしたんだ?」


 「はい……!お取り込み中申し訳ございません……あの、もうそろそろ次のお客様がおいでになる時間ですが……その…………」


 「ああ、わかってる。損傷は残り一か所だけだ。あの氷塊は僕にしか直せない、メアはそれ以外の演出をチェックしておいてくれ」


 メアは何かまだ言いたいことがあるみたいだったが、それ以上は何も言わずにべコリとお礼をすると去っていった。メアは常にあんなおどおどとした態度だけど、仕事ぶりはこの館の中で最も優秀だった。姉のメイリはおろかエルハルトよりも。だから彼女が不必要として飲み込んだ言葉はきっと仕事には関係のない事だったのだろう。


 「あーそんな事どーでもいい!!」


 エルハルトは大結晶を操作して映し出したホログラムを“管理者権限がありません”の文字列ごと消し去った。


 「こんなの全部茶番なんだよ!それに…………」


 たとえその文字列を突破出来たところで、彼らに勝てる保証はない。彼らの技術と力量は日々常に進化し、成長し続けている。何故限りある彼らが着実に進化し続けられるのか……彼らの力はもうすでにこの世界を掌握しつつあった。エルハルトはため息を吐くとリスポの出口へ向かった。


 「ダンジョンの機構に守れられているのは僕たちの方かもしれないな――――」


 背中を向け、部屋を出ていこうとするエルハルトを、大結晶の不可思議な淡い灯りは無言で見送る。エルハルトはその灯りに振り向いて、もう一度ため息を吐いた。



 氷塊の損傷はエルハルトが手をかざすと一瞬の後に修復されて、元の淡い魔力の輝きを取り戻した。


 「一つでも設定と一致しない部分があると機能しないとか、これもしかしたら欠陥なんじゃないか?」


 エルハルトはダンジョンの経営に常に付きまとう、親切なようで不親切な、融通の利かない機能に文句をいった。不具合が修正されたダンジョンはその文句には答えず、ただ機械的にその炉に火を灯して、仕事を再開させた。

 修復を施した氷塊から冷気が流れ出し、エルハルトはその凍てつく冷気から逃れるように身を縮ませて、ぶるりと身震いした。


 「うー寒っ……早くボス部屋いこ」


 後はボス部屋に主を、入り口に攻略者を配置すれば、ダンジョン攻略の開始である。


 「えーと……今日のシフトは……」


 道すがらエルハルトは手元に、機構の簡易操作パネルを呼び出して、ダンジョンの現状を確認した。

 ダンジョンには変更不可のオブジェクトやギミック、敵配置が決められており、それを満たすことが出来なければダンジョンとして機能させることが出来ない。しかし一定の基準を満たすことが出来れば、ある程度はダンジョンマスターおよびダンジョン関係者によって、設定や敵配置の変更が許容されている…………らしい。


 「あれ?2F東廊下にスケルトンいねーじゃん。なんでこれで動いてんだ?」


 “らしい”というのは、たとえダンジョンマスターであってもそれらの許容値がいったいどれほどのものか完全には解明できていないからである。


 『おーい、スケルトンどこ行ったー?返事しろー?』


 『すいやせん!!今行きやすー!って、あれ?もう動いてる!?』


 ダンジョンは一度起動すると、攻略者以外の侵入が出来ない仕様となっている。無理に入ろうとすればその侵入者つまりスケルトンが攻略者と認定されて、彼が倒れるまで、次の攻略者が侵入できなくなるのだ。


 「ありゃ?これどうなってんだ」


 もちろんエネミーの配置や数もダンジョンの起動条件に含まれていた。それを満たしていない場合、ダンジョンはダンジョンとしての機構を動作させることが出来ない。

 ダンジョンの敵配置については長年の研究がなされているが、いまいちはっきりとした解答が得られていない。恐らく配置したエネミーの位置関係や強さによって、一個一個コストのようなものが計算されて、それがダンジョンごとに設定された基準以上且つ許容量以内に収まっていれば、正常に起動するのだろうと言われていたが、あまり詳しいことはわかっていない。エネミーとして配置される者達の健康状態や、コンディションにも左右され、更には周辺の環境によってもある程度左右されているようなので、その特定は困難を極めていた。ダンジョンが本当に冒険者を倒すために存在した時代ならまだしも、現代のような、ある種の娯楽施設のような存在となった今、ユーザーの公平性や満足度を高めたり、キャストの労働管理を行う上でその複雑さや再現性の低さが最も大きな障害となっているのは言うまでもなかった。

 しかし、それは長年ダンジョンマスターをやってきたエルハルトである。


 「なるほど…………わかった!さっきの冒険者たちは道中の宝箱を全スルーしていったわけだから……」


 原因を特定したエルハルトは念話を使ってその原因を呼び出す。


 『おい!!ミミック!!お前、今休憩のはずだろ!』


 『…………ぐぅ』


 『ん?――――あ、おい!!寝てんのか!?起きろ!休憩無しになっても良いのか!?』


 『…………むにゃ……あと5分……』


 『…………』


 こいつに休憩なんかいらないのではないか?エルハルトはそう思ったが、彼がミミックという種族である以上、休憩は必要不可欠だとエルハルトは思っていた。何故ならその性質上彼らが攻略者にスルーされる可能性は著しく低く、毎回無残な死を体験することになるからである。彼と同じく、毎回無残な死を体験しているエルハルトには、その辛さは痛い程わかった。


 「仕方ない……面倒だが、リスポまで行って一旦停止させるか……」


 攻略者が侵入するまでは、ダンジョンの機構はマスターの一存で大結晶から停止させることが出来る。だが――――


 『お客様、いらっしゃいました。手続きをしてしまって構わないでしょうか』


 『うん、良いよー』


 しかし、念話から聞こえるメアの声にエルハルトは一も二もなく即答し、その足を止めた。悲しいかな物事には優先順位がある。エルハルトにとってはミミックの休憩を飛ばすことより、メアの手を煩わせる方がよっぽど罪が大きかった。


 「起こさないでやろう。彼は死ぬほど疲れている――――」


 「――――もし訴えられたら負けますよ」


 ボス部屋で先に待ち構えていたメイリが扉の奥で先ほどの会話を聞いていたのか、そんなことをのたまった。


 「なあお前にもわかるだろ?それで負けるようなら法律が悪い」


 「ふっ……そうですね」


 これが世の闇。持つ者と持たざる者の格差…………



 ――――――…………



 「――――ば、馬鹿な………なんだこの力は……この僕が、こんな下等な種族に………うあああああ」


 ――…………


 「あいつら絶対あの攻略動画見てるよ!!だって全然メイリ狙ってなかったし!!バーサーカーだったし!!」


 「これも仕事ですから」


 「だから、お前はほとんど仕事してないだろ!!」


 持つ者と持たざる者…………これが格差…………


 「――――あの……すいません。僕、寝ちゃってたみたいで……」


 二人の会話におずおずと入ってきたのは、先ほど話の上に上がっていたミミックだった。しっかりと撃破されてぼろぼろになったミミックは、その長い手足を折りたたみながらエルハルトに謝罪する。彼は宝箱から手足が伸びて、自立行動できるタイプのミミックだった。はっきり言ってきもい。


 「うおおお!!…………てっ、ミミックか……あー、いいよ。すまんなこっちこそ起こしてあげられなくて。今日はもういいぞ帰って。疲れてるだろ?」


 「いや、本当すんません」


 「いいって、いいって。それより、お前ちゃんと寝てんのか?なにか悩みがあるんなら聞くぞ」


 エルハルトは先ほどの仕打ちに、少なからず罪悪感を感じていた。最近の若者は何かと繊細だと聞くし、ここはちゃんとフォローしておくべきだろう。


 「いや、プライベートの事なので、仕事は関係ないっすよ……?」


 「ああ、もちろん話したくないのならそれでいいが、もし話して楽になることならば、僕はいつでも付き合うぞ」


 「いやですね、その………おかげさまで、僕にも彼女が出来まして、その………」


 「ああ、それで――――?」


 しかし、労働を敷いているはずの、雇用者の心労を気にする者はそう多くは無いのではないだろうか。


  ――――――……


  ――……

 

 「――――エルハルト様!…………え?……その、今よろしかったでしょうか……?」


 「ああ――――……」


 エルハルトのいつも以上に荒んだ表情に、さしものメアもその可愛らしい顔をひきつらせた。


 「その……お客様がフォトオプションをご希望ですが………」


 上に立つ者にはそれなりの責務がある。それは積み重なって、雇用者の大きな重荷となっていくのだ。


 「…………その、よろしかった……でしょうか……」

 

 彼は疲れていた。何もかもが疲れていた。ダンジョンボスとしてボコられ続けるという、肉体的な苦痛、お抱えのメイドから常にもたらされるハラスメント、部下から永遠と聞かされる自虐風自慢――――今回の攻略者が今日最後の攻略者だった事も、彼にとっては不幸の一つだったかもしれない。玲瓏館では次の予約時間まで余裕がある場合には、サービスとして、希望者には攻略後に館内を観光することも許されている。その為に彼は救世主の到着まで、部下からの相談(拷問)にかれこれ一時間は耐える羽目になっていた。

 合わぬ焦点が定まり、救世主(メア)の到着に気付いたエルハルト。渇いた心は見る見るうちに潤い、永遠かと思われた責め苦からの解放に、胸の内から生の喜びが湧き上がってくるのを感じる。しかし――――

 

 「うん、わかったー。メアいつもありがとねっ!!」


 「え、エルハルト様……?」


 「おいたわしやエルハルト様……」


 もしかしたら救世主の到着がもう少しだけ早ければ彼は壊れずに済んだかもしれない。だが、それでメアを責めるのはお門違いだろう。この世界は過酷だ。このままこんな生活を続けていれば、いずれ彼はこうなっていたはずで、それは避けられぬことだったに違いない。

 壊れてしまった主に、二人のメイドは、一人は慌てふためき、一人はただ目を閉じて合掌した。


 ――――――……


 この世は残酷なほど不平等で、そしてそれと同時に残酷なほど平等だ。因果は概ね果たされ、起こるべきことしか起こらない。

 して、ここで皆さまはフォトオプションとはどんなものかお忘れではないだろうか。簡単に言えば、一緒に写真を撮る……ただそれだけ――――ただそれだけのはずだった。

 エルハルトが壊れたあの日。その後行われたフォトオプでは、そのまま壊れたままのニコニコ笑顔のエルハルトが収められた。もし時代が違えば彼はこんな辱めは受けなかったことだろう。しかしその画像は不幸なことに、珍しさとアホ面具合にSNSを通じて、拡散されまくり、そして最終的に――――ネットのフリー素材となった


 「全然、フリーじゃねえよ!!こいつら全員訴えてやる!!」


 「申し訳ございません。それは出来ません」


 「どうしてだよ!!」

 

 「私が許可出しちゃいました。てへ」

 

 「と゛お゛し゛て゛た゛よ゛お゛お゛お゛!!」


 “商業利用可。公序良俗に反しない範囲で各自ご利用くださいませ”


 その画像と共に投稿された一文は、紛れもなくメイリが管理するSNSアカウントの投稿であり、その後エルハルトの相談を受けた弁護士は「これで起訴するのはほとんど不可能でしょうね」と語った。


 「メイリ!!今度はお前を訴えてやるからな!!」


 ――――彼はこのアットホームな職場で愉快な従業員に囲まれて、幸せな日々を送っています。格差がある社会でもこれなら安心だね。頑張れエル様!負けるなエル様!いつかきっとその威厳を取り戻せるまで……?

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