KAC20248 タイトル:気持ちが見える眼鏡 お題『めがね』

マサムネ

気持ちが見える眼鏡

 わたしには小学校二年生の息子がいる。

 彼は、よく言えば天真爛漫、悪く言えば空気が読めない。マイペースで、声は大きいし、こちらが怒っていようが不機嫌だろうが気にせず、いつもニコニコしている。

 それは悪いことではないのだが、学校でもクラスメイトに、何か気に食わないことでもしたのか、「あっち行け!」と言われても、「なんで? どうしたの?」と聞き続けトラブルになったことがある。正直なところ、普段接している母親のわたしでも、イラっとしてしまうことは多い。


 だから、もう少し空気を読んだり、他人の気持ちに気づくことが出来た方が良いのではないか、という心配をしていた。


 そんなある日、わたしは奇妙な夢を見た。


 黒いコートに黒い帽子をかぶった男が、枕元に立っていた。

「やあ」

 声を掛けられて飛び起きる。

 わたしたち家族は大きなベッドで、真ん中に息子がいて、両親でその子を挟むようにして寝ていた。わたし以外の二人が目を覚ます様子はない

 黒いコートの男は浮いており、その声にはわずかにエコーがかかったような響きが聞かれた。


 夢だ。


 わたしはそう認識した。

「そう、夢でいいよ。でも僕は一つあなたに商品の紹介をするために、こうして夢に現れたんだ」

 そう言って男は手に持っていた、これまた黒い鞄から、何かを取り出した。

「……めがね?」

「そう、眼鏡。これは相手の気持ちが見える眼鏡なんだ」

 わたしはその説明を聞いて、反射的に息子をみた。

「そうそう、あなたは息子さんのことで、何か心配をしているようだったから、そのことについて協力をしようと思ってね。でも安心して、押し売りをするつもりはないよ。そういうのは今の時代に合わないからね。一度あなたに使ってみてもらってね、体験してもらって、良いと思ったら、息子さんにどうかなっと思ってね」

「はあ」

 男は妙に生々しく、リアリティがあったが、話の内容は胡散臭い……というか、古今東西いろいろな小説や漫画、あるいは民話なんかでもありそうな、最終的に痛い目を見そうな内容であった。


「お、こちらを疑っていますね? あなたの周りに紫色のオーラが見えますよ」

 男は眼鏡を覗くようにしてこちらを見て言った。


「え?」

 わたしは自分の手足を見てみるが、何もオーラのようなものは見えない。いや、いまだかつて見たことがないのだから定かではないが、何となく『オーラ』ということばからイメージされるような、紫色の光、あるいは煙のようなものが自分の体から出ている様子はない。

「まあ、そのように警戒されるのは当然ですね。でも、そういう痛い目を見るのは昔の話です。そうならないように配慮はします。何にしろ体験してみて下さい」

 男はそう言うと、わたしが呆然としている間に、眼鏡をこちらに向けて、掛けてきた。

 抵抗する間もなく、眼鏡はわたしの顔に収まると、手を掛ける間もなく消えてしまった。

「ええ、すぐ消えてしまいます。あなたはいつも通り暮らしてください。嫌でも変化に気が付くはずです。ああ、本当に心配しないでください。あなたが困ってしまうようなことがあったら助けに来ます。では……」

 そうして、男は消えてしまった。



ジリリリリリリリリリリリリ―――


 目覚まし時計の音で、わたしは目を覚ました。

 先程まで見ていた夢の内容を思い出し、自分の顔を触るが、そこに眼鏡はなかった。

(何だったんだろうなあ……)

 そう思いながら、まだ寝ている二人よりも先にベッドから抜け出ると、朝の準備を始めた。


 洗濯機のスイッチを入れて、料理をして―――

「おはよう」

「あ、おはよう」

 家事をしている間に、夫が起きてきて、顔を洗って髭を剃り始めた。

 別にいつも通りのことだから、相手を一瞥することもなく料理を続けていたのだが―――

「痛っ!」

 夫の声に反射的に顔を向けた。

 電動髭剃りで皮膚を傷つけたのか、どこかに引っかかって髭が抜けたのか、顎をさすりながら、顔をしかめていた。


「え?」

 その夫の周囲に、何やら赤いモヤモヤとした何かが存在していた。


(これが、オーラ?)

 こちらが見ていることも気づかず髭剃りを再開した夫の赤いモヤモヤは、そのうちに緑色になり、表情もいつも通りの様子に戻っていた。

(痛みでイラっとして、それが赤色? 落ち着いたからは今は緑?)

 これが、夢の男が言っていた、相手の気持ちがオーラになって見えるということか!?

「うそ……」

「ん? どうした?」

 わたしの呟きに、夫が反応した。

「え? 別に―――ああ、しょうゆが残り少ないなと思っただけ……」

「あ、そう」

 夫はそのまま髭剃りを再開した。

「……おはよう」

 息子が起きてきた声が聞こえたため、わたしはその姿を確認した。

 まだ眠いからだろうか、モヤモヤと白いオーラを纏っていた。

(やっぱり、あの夢はただの夢じゃなかった)

 興奮と不安が同時に沸き上がったが、いまのところ実害はなさそうだったので、とりあえずは朝の忙しさに身を委ねることにした。


 息子のオーラは、白から緑色になり、ご飯を食べ始めると黄色になった。

 表情も笑顔だし、黄色は喜びの色なのだろう。

 夫もご飯を食べ始めるが、ずっと緑色だった。穏やかな状態ではあるのだろうが、別に喜んでもいないのだろう。その事実は少しわたしをイラっとさせた。何となく自分の身体を見たが、自分からは何色のモヤモヤも立ち上がっていなかった。自分のオーラは見えないということだろうか?


 夫が準備を整え家を出る頃には、濃い青色のオーラに変わっていた。

 ああ、仕事に行くのが憂鬱なのだろう。

「行ってきます」

 それでも、そう発する言葉は力強く、夫もいやいやながらも家族のために頑張っているのだなと、わたしに感じさせた。

 一方、息子は終始黄色いオーラを纏っている。

 わたしは、マイペースで食べるのに時間がかかり、食べ終わったかと思えば着替えもせずにテレビを見ている息子にイライラし始め、口うるさく急かし始める。

 それでも息子のオーラは黄色のまま。

「行ってきまーす!」

 ようやく出ていった息子の後ろ姿を見送って、わたしは大きなため息をついた。

「わたしが怒っているの分かってんのかなあ」

 思わず声も出てしまった。


 わたしも介護職員としてパート勤めをしているので、洗濯物と洗い物が終わったら家を出る。

 そして、職場に着いて仕事が始まると、目の前に広がる色とりどりのオーラに驚いた。

 利用者の高齢者も、働いている職員も、色とりどりのオーラを纏っている。

 夜勤明けの職員は眠そうな薄いグレー。

 出勤してきた若い職員は、元気な黄色の子もいれば、憂鬱な濃い青の子もいる。

 トイレに行きたそうな車いすの高齢者はソワソワと焦っているのか赤色のオーラ。

 若い男性職員に声を掛けられている高齢女性の利用者からは桃色のオーラ。

 食後の落ち着いた時間帯だったため、基本的には穏やかな緑色のオーラが多いとは言え、実際視覚を刺激する情報の多さに、少し戸惑ってしまった。


 ただ、確かに、ご利用者の感じていることがいつも以上に分かり、仕事としてはやりやすい部分もあった。同僚に対しても、今日の調子が一目瞭然であるため、困っていそうな職員には声を掛けたり、あるいはイライラしているときは間をおいてみたりと、気配りしやすさを感じるところではあった。


 しかし、それも午前中までだ。


「……疲れた」

 他人の感情を敏感に感じ取れてしまうというのは、こうも疲れるものかと、思い知ることになった。

 わたしは食堂でご飯を終えたら、休憩時間いっぱいスマホで適当なニュースを読み、他の同僚たちが目に入らないようにした。

 パート終了時間は2時。

 それまでは重い体を気合で動かし、相手のオーラの色が見えたところでそれに反応する元気もなく、何とか仕事を終え、帰宅した。


 ……だめだ、家事をする気も起きない。

 本来なら帰ってくる途中で買い物をして、部屋の掃除や片付けをしていると息子が帰ってくる時間になるのだが、今日は直帰しかできなかった。

 せめて一息つこうと、瞬間湯沸かし器でお湯を沸かし、日本茶をすすっていた。

 自分の身体を見てみたが、やはりオーラは見えない。

 もしも、いま自分からオーラが見えていたら何色なのだろう。

 きっと、濃いグレーか、いや、黒色までいってしまっているかもしれない。

「たっだいまー!!」

 その時、元気な声とともに息子が帰ってきた。

「お、おかえり………!」

 玄関を上がり、居間に入ってきた息子の姿を見て、わたしは愕然とした。


 オーラが、黄色を越えて、金色に輝いている。


 息子はランドセルを置くと、

「ゲームやっていい?」

 いつも通りの様子でわたしに聞いてきた。

 わたしは、思わず息子を抱きしめてしまった。

「どうしたの? ママ」

「ううん………学校は楽しかった?」

「うん!」

 そう答えた瞬間、彼の纏う金色のオーラが膨らんだ気がした。


 本当に楽しかったのだろう。


「……あなたはこのままでいいのね」

 天真爛漫。

 それがどんなに素晴らしいことか。

 周囲の気持ちに敏感であったら、きっとこの良さが失われてしまう。そんな気がした。


「ああ、はいはい、そっちに転びましたね。よかったよかった。そろそろこの眼鏡はいらないですね」


 そんな男の声が聞こえたかと思うと、ふと自分の顔周辺にあった何かがなくなった気がした。

 息子の身体から出ていた金色のオーラが見えなくなった

 あの声は昨日の夢に出てきた男のものだった。

 どうやら眼鏡を回収しに来たようだ。

「ねえ、いま誰かの声がした?」

「ううん、しなかったよ。それよりそろそろゲームしていい?」

「いいよ。あ、でもまず手を洗ってね」

「はーい」

 息子はいつも通り、元気な返事とともに洗面台で手を洗い始めた。


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