第6話 さらなるしれん

 鑑賞する者がいなくなった『のぞき眼鏡箱』は、重力の法則にしたがって落下する。


「おっと!」


 若手オークショニアは慌てて落下途中の『のぞき眼鏡箱』をキャッチする。

 床の上に落として、次々々回に出品する『のぞき眼鏡箱』を壊すわけにはいかない。この時点で壊れてしまったら連帯責任が発生する。


「こんなことを毎回していたら、『のぞき眼鏡箱』が破損してしまう……」


 若手オークショニアの眉間にシワが寄る。

 次からは自分が『のぞき眼鏡箱』を持った方がいいだろう、と考え直す。


 それにしても、この『のぞき眼鏡箱』だが、中堅オークショニアがずいぶん『改造』してしまったようだ……。

 『のぞき眼鏡箱』を机の上に置きながら、原状復帰ができるのだろうか、と若手オークショニアは思った。だが、それは自分には関係ないことだと思い直す。


 若手オークショニアは気を取り直すと、懐から卒業祝いにもらった懐中時計をとりだした。

 『アリアドネの糸玉』の魔力状態でタイムリミットはわかるのだが、念のために機械が刻む時の流れでも、リミットを把握できるようにしておく。


 中堅オークショニアはどうでもよかったが、見習いオークショニアを絵の中で迷子にさせるのは……気の毒だ。


 若手オークショニアは感覚を研ぎ澄まし、見習いオークショニアの魔力を追いかける。自分に縁のある品を持たせたので、追跡作業は簡単だった。見失うはずがない。

 ほどなくして、純粋で混じり気の全くない、とても綺麗で素直な魔力の波動がひっかかる。捻くれまくった中堅オークショニアの癖の強い魔力と違って、ピュアでキラキラしている。すごくわかりやすくて見つけやすい。


 時計の秒針が1周と半分動いたところで、『アリアドネの糸玉』を握っていた左手に「ぐい」と引っ張られるような違和感を察知する。


 予想していたとおりだ。


 左手に力をこめ、右手も綱を握る。


「せ――え……」


 若手オークショニアは、腰を落とし、掛け声とともに思いっきり綱を引っ張る。

 ぐい、と両腕に負荷がかかり、若手オークショニアは歯を食いしばる。 

 釣り上げるには、反動と勢いが必要になる。


「……のっ!」


 と、同時に、天井からふたりの男が団子状態になって落ちてくる。


「いでっ!」

「うわわあわっ!」

「ぐはあっ!」


 どさり、と大きな音をたてて中堅オークショニアが床上に落ち、その上に見習いオークショニアが落ちてくる。


「イタタタ……」

「あ、ゴホっ! チュウケンさん、すみません! ゴホ。ゴホ。すぐにどきます」


 腰に『アリアドネの命綱』を結んでいる見習いオークショニアが慌てて立ち上がる。


「ワカテくん、もう少し、優しく引っ張ってくれないかな? そんなに、勢いをつけなくても、ワカテくんなら釣り上げることができるだろ?」

「ふたりぶんの重量ですと、これくらい勢いをつけないと無理です」


 中堅オークショニアは「イタタタ……」と腰をさすりながら、よろよろと立ち上がる。


「ミナライくんは、大丈夫だった? どこか痛いところはないかな?」

「ゴホ。だ、だ、だいじょうぶ……で……す。ゴホ」


 ゲホゲホとむせ返りながら、見習いオークショニアは返事をする。


「ふたりとも、ビショビショですね。後でちゃんと床を拭いておいてくださいよ」


 若手オークショニアの呆れた声に、中堅オークショニアは真顔で頷き返す。


「ああ。大海原の絵に飛び込んだからね。濡れちゃったよ。それよりも、ミナライくんが、俺の目の前に沈んできたのには、びっくりしたな。肝を冷やした」

「ぼ、ぼ、ぼく、泳げないんですぅ。死ぬかと思いました……」


 エグエグと見習いオークショニアは泣き始める。


「それは……災難でしたね」


 淡々とした声で、若手オークショニアは声をかける。

 もう少し、気の毒そうな声音は使えないのか、と、中堅オークショニアは心の中で呟く。


「絵の世界はどうでしたか?」


(おい、ワカテくん、今のミナライくんに、それを質問するかな?)


「お、お、お魚さんが……いっぱい、いっぱい……泳いでました……ぼくだけが泳げなくて……」


 見習いオークショニアの目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれ落ちる。


「あれは、マリフィア海溝だったな」


 泣いている見習いオークショニアにかわって、中堅オークショニアが答える。


「マリフィア海溝……」

「そう。で、これが、土産だ!」


 そう言うと、中堅オークショニアは作業机のうえに、とある物体を「べち――ん」とおいた。


「う、うわっ! ちょ、ちょっと、チュウケンさん、なんてことをするんですか! 神聖な作業台に、生きた魚類は置かないでください! 魚臭くなります!」

「活きのいいマンマブロウフィッシュだ!」


 白い風船のようにぷくっと膨れあがった魚がペチペチと作業机の上で暴れている。


「この白子は上手いぞ!」

「いや、ちょっと! チュウケンさん! マンマブロウフィッシュのような猛毒魚を持ち帰らないでください!」


 中堅オークショニアは笑いながら、自分の机の引き出しの中からロープをとりだすと、マンマブロウフィッシュをぐるぐると縛る。

 お縄になったマンマブロウフィッシュは、抵抗をやめて大人しくなった。


「さて、次は……」


 新しい白手袋をはめて、中堅オークショニアは木の板に描かれた別の絵を『のぞき眼鏡箱』に入れる。


「次って! いや! チュウケンさん! 先にカタログの校正をしてください!」

「いやいや、これは勢いと鮮度が大事だからね、一気にちゃっちまおう」

「一気にするのは、目録カタログの校正の方です!」

「心配しなくても大丈夫。この『眼鏡絵』を調べ終わってからするよ。謎は迅速に解決しないといけないからね。優先順位は『眼鏡絵』だ!」

「間違いを迅速に発見してください!」

「原稿の間違いは腐らないが、ナマモノは腐る!」


 精悍な笑みを浮かべながら、中堅オークショニアは胸を張って宣言する。

 若手オークショニアの冷え冷えとした視線にも平然としている。


「いや、違います! チュウケンさん! それは間違ってます!」


 見習いオークショニアが中堅オークショニアにすがりつく。

 泣いている場合ではない。

 なんとしても、中堅オークショニアの失踪を阻止しなければならない。


「ミナライくんは、マーヤ・オーギョスの肉筆画は観たくないの?」

「……………………みたいです」


 中堅オークショニアの切り返しに、見習いオークショニアはもじもじと答える。


「正直でよろしい」


 そう言うと、中堅オークショニアは海水で濡れた見習いオークショニアの頭をぐりぐりと撫でる。


 なにを思ったのか、中堅オークショニアは首からペンダントチェーンを外すと、見習いオークショニアの首にかけた。

 チェーンには金の指輪が通されている。


「すぐに合流できるおまじないだ。俺が産まれたときに、祖母からもらった」

「あ……ぼくのは……」


 若手オークショニアの方を見る。

 首の辺りに手を当て、若手オークショニアが軽く頷く。


「一番、大事なものは、ボラード役に預けてろ。俺はこっちのを預かろうか」


 そう言うと、中堅オークショニアは見習いオークショニアの蝶ネクタイをするりと抜き取り、手早く自分の左手首に巻きつけた。

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