第5話 かいけつへのもさく
「ワカテさん! ぼくの認識が間違っていました」
しばらくの沈黙の後、見習いオークショニアは拳を握りしめ、若手オークショニアを見上げる。
「チュウケンさんを助けるのではなく、すぐにでも連れ戻して、目録カタログの校正をしてもらわないといけません! このままでは、カタログを発行することができなくなります」
「…………」
「ワカテさん! 校正作業から逃げてしまったチュウケンさんを、急いで捕獲しましょう!」
「……わかりました」
若手オークショニアは苦笑を浮かべると、部屋の隅にある戸棚から糸玉を取りだす。
「それは?」
「アリアドネの糸玉ですよ?」
「いえ……それ、糸というよりは、綱ですね」
「命綱ともいいますね」
と言いながら、若手オークショニアは『アリアドネの糸玉』を見習いオークショニアの手の上に置く。
「…………はい?」
「その『アリアドネの糸玉』を腰に結んでください。解けないように、しっかりと結んでくださいね。身体もやい結びは知っていますか?」
「え……まあ、えっと……ぼくが結ぶんですか?」
太い『アリアドネの糸玉』……いや『アリアドネの命綱』を、見習いオークショニアはじっと見つめる。
迷宮探索において、迷わないために必要とされる帰還用アイテムが『アリアドネの糸玉』だ。
難易度の高い迷宮ほど丈夫な糸玉が必要となり、糸の太さが太くなっていく。
それは、一番太い『アリアドネの糸玉』だ。
見習いオークショニアの額から一滴の汗が流れ落ちる。
「ミナライくんが結んでください」
「ぼくが誰に結ぶんですか?」
「自分自身の腰に決まってるじゃないですか。チュウケンさんをミナライくんは、連れ戻すんですよね。ミナライくんが現場に行かないことには連れ戻せませんよ? ほどけないように、自己責任でしっかりと結んでくださいね」
若手オークショニアの説明に、見習いオークショニアはしぶしぶ頷く。
「まぁ……そうですけど……。ワカテさん、これ……命綱って言いましたよね?」
「ワールドダイバーでもない者が、絵の中に飛び込むんですから、命綱くらいは必要でしょう? 深みにはまったら、一生、絵の中から抜け出せなくなりますからね。絵のモチーフになりたいというのなら、止めはしません」
「いえ、つけます。命綱はぼくだけがつけるんですか? ワカテさんは?」
「ふたりとも絵の中に飛び込んだら、誰が引っ張り上げるのですか? 戻るルートも確保しておかないと駄目ですよ?」
「ぼ、ぼ、ぼくが! ぼくが、ぼくだけが、ひとりで飛び込むんですかあっ!」
『アリアドネの糸玉』もとい『アリアドネの命綱』が見習いオークショニアの手から転がり落ちる。
「ミナライくん、備品は大事に使ってください。『アリアドネの糸玉』は消耗品ですから、汚れると効力が落ちますよ?」
床の上をコロコロと転がっていく『アリアドネの命綱』を若手オークショニアが拾い上げる。
「こちらの世界にボラードとして残って、引っ張り上げる人間が必要でしょ?」
「あ……そうですね」
「それとも、ミナライくんが、わたしとチュウケンさんを引き上げるのですか?」
「……ぼくの能力じゃ無理です」
悲しげな目をしながら、見習いオークショニアは己の腰に『アリアドネの命綱』を結びつける。
そして、残りの糸玉いや、綱玉を若手オークショニアに渡した。
「離さないでくださいよ?」
「命綱を簡単に離すようでは、ボラード役は務まりませんよ」
呆れたような声で答えながら、若手オークショニアは己の左の指から黄金の指輪を外す。
「そんなに心配なら、互いの身につけたものを交換しておきましょう。命綱を強固にするおまじないです」
「わ、わかりました!」
見習いオークショニアは慌てて首からペンダンをを外して、若手オークショニアと身につけているものを交換する。
思い入れが強いもの、肌身離さず身につけているものほど、『おまじない』の効きがいい――生還率が高まる――と言われている。
「ほう。これは精巧なアミュレットですね。とてもよい品です」
見習いオークショニアから渡されたペンダントを一旦、手の中で転がしてから、若手オークショニアは首にかける。
「それは……父の形見だそうです。ところで、この指輪ですが、装着できないみたいです。ポケットに入れておくだけで大丈夫でしょうか?」
「これは母方に伝わっている伴侶に贈る指輪なので、左の薬指にしかはまらないんですよ」
若手オークショニアは見習いオークショニアの手から指輪を取り上げる。
嫌そうな顔をしている見習いオークショニアの左手をとり、薬指に指輪をはめる。
指輪はぴったりとはまった。
「この指輪……魔力の気配がびんびんしてますけど……婚約破棄イベントを行わないとはずれないってことはないですよね?」
「失礼な。この指輪はとても賢い指輪なんです。伴侶にはめたら、どちらかが死ぬか、指を切り落とすまで外せませんが、伴侶以外は簡単に外れますよ」
「……ずいぶん、重たい指輪ですね」
「そうですか? 3.5グラムですから、指輪としては軽い方だと思いますけど」
「いえ、ぼくが言っているのはその重さじゃないんですけど……」
若手オークショニアは『アリアドネの命綱』を手早くほどくと、自分の左薬指に綱を結びつけ、綱を手の平にくるくると巻きつける。
「準備はできました。それではミナライくん、『のぞき眼鏡箱』の中を覗いてください」
「え……もうですか?」
「そうですよ。準備はできましたからね」
見習いオークショニアはぶるんぶるんと首を横に振る。
「いや、ちょっと、心の準備が……」
「目録カタログが発行できなくてもいいんですか?」
若手オークショニアの突き放すようなセリフに涙ぐみながら、若手オークショニアは黒い『のぞき眼鏡箱』を手にする。
「ミナライくん」
「はい?」
「3分以内に、チュウケンさんに捕まってくださいね」
「え?」
「この長さの『アリアドネの命綱』では、3分以内に引き上げないと、切れてしまいます」
「えええええっっ! 命綱が切れるんですかあっ! 3分で切れてしまう綱って、命綱の意味がないじゃないですか!」
生命を預けるにしては心もとない綱だ。
見習いオークショニアの顔から一気に血の気が引く。
「大丈夫です。餌がよいので、入れ食いまちがいなしです。3分以内でチュウケンさんは捕獲できますよ。保証します」
「やけに自信満々ですが、その根拠は一体どの辺りに?」
「オークショニアとしての勘です」
「…………」
余計なことを質問したことに、見習いオークショニアは心の奥底から後悔する。
「頼みますから、綱は離さないでくださいよ。そして、ちゃんと、引き上げてくださいよ」
「大丈夫です。なので、大船に乗ったつもりで、マーヤ・オーギョスの生きた『眼鏡絵』を鑑賞してください」
「…………」
見習いオークショニアは口の中でなやらモゴモゴと言いながら、『のぞき眼鏡箱』の穴に目を当てる。
「わあ。すご……」
その言葉と『のぞき眼鏡箱』を残して、見習いオークショニアは姿を消した。
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