第4話 じけんはっせい

「わ、わ、ワカテさん! 大変です!」


 見習いオークショニアは声を張り上げて、机に向かっていた若手オークショニアを呼ぶ。


「ミナライくん、どうしましたか? 騒がしいですよ。ベテランさんが不在だからといって、羽目をはずされては困ります。静かにしましょう」


 読んでいた原稿から目を離すと、若手オークショニアは、青い顔をしている見習いオークショニアを睨みつける。


「いえ。だって……」

「言い訳、反論は見苦しいですよ」


 冷たい声、冷たい視線が、見習いオークショニアに浴びせられる。


「す、すみません。取り乱してしまいました」


 黒い箱を手に抱えたまま、見習いオークショニアはペコリと頭を下げる。


「……それで、ミナライくんはなにを慌てているのですか?」

「それが……チュウケンさんが、いきなり消えてしまったんです!」


 見習いオークショニアの言葉に、若手オークショニアは眉根を寄せる。


「さっきまで、ここで『のぞき眼鏡箱』をいじっていたのに、いきなり忽然と消えてしまいまったんです!」


 そう、中堅オークショニアは、見習いオークショニアがいる前で、いきなり消滅してしまったのだ。

 なんの前触れもなく、忽然と消え去ってしまった。

 驚くのが普通なのだが、若手オークショニアは平然とした態度をくずさない。


「また、サボりですか……」


 長い溜息とともに発せられた信じられない言葉。

 見習いオークショニアは目をまるくして仰天する。


「さ、サボりではないですよ。『のぞき眼鏡箱』を覗いていたら、チュウケンさんが急に消えてしまったんです!」


 信じてください! と若手オークショニアに詰め寄りたいところだが、異世界の不思議な品物を競売にかけ、異世界の人々を相手にするオークショニアは、いかなるときも冷静沈着であらねばならない。


「大丈夫です。そんなに慌てることはないですよ。チュウケンさんは、十中八九、マーヤ・オーギョスの『眼鏡絵』の中に飛ばされたのでしょう」

「ええええっっ! た、大変だ! 遭難事件ですか! 絵に誘拐されてしまったんですか!」


 驚く見習いオークショニアから『のぞき眼鏡箱』を取り上げると、若手オークショニアは箱をくるくると回転させながら、六面の様子を観察する。


「心配しなくても大丈夫です」

「いや、ワカテさん、全然、大丈夫じゃないですよ! もうちょっと心配しましょうよ! もっと慌てましょうよ! ひとがひとり、跡形もなく消えてしまったんですよ!」


 若手オークショニアは面倒くさそうにため息をついた。


「ミナライくんはまだ日が浅いから知らないでしょうが、チュウケンさんは、作品の世界に自ら飛び込んで、仕事をサボるヒトなんですよ」

「え…………? え? 作品の世界に自ら飛び込む? ワールドダイバーですか?」

「ええ。アート作品限定のワールドダイバーですよ。チュウケンさんの場合は、困ったことに確信犯です」


 絶句する見習いオークショニアを、若手オークショニアは憐れむような視線で見つめる。


「アート作品限定のワールドダイバー? なんで、そんな能力のあるヒトがオークショニアをやっているんですか? 普通は鑑定士ですよね?」

「おや。それに関しては意見が合いましたね。奇遇なことに、わたしもそう思います」


 ワールドダイバーといえば、呪文や魔法陣といった触媒や媒体などの力を借りずに特定の異世界に介在し、自力で元の世界に戻ることができる能力の持ち主のことを言う。


 アート作品に潜ることができれば、その作品背景などを知ることができるので、その能力の持ち主は鑑定士になることが多いのだが……。


「これくらいの規模の異世界なら、チュウケンさんなら5日も彷徨えば飽きて帰ってきますよ。心配するだけ損です。そういうことをするのが好きなヒトなのです。しかも、そこらの冒険者よりもはるかに強いので、異世界の危険生物と遭遇しても大丈夫です」

「…………」


 若手オークショニアは、手にしていた黒い箱を中堅オークショニアの机の上に置く。


「とりあえず、『のぞき眼鏡箱』から『眼鏡絵』を取り出さないようにしておいたら十分でしょう」

「……いや! だめですよ! ワカテさん。チュウケンさんを探さないと! チュウケンさんを『眼鏡絵』の中から助けないと!」

「ミナライくん、わたしの話を聞いていましたか?」


 若手オークショニアは大仰にため息をつくと、眉間に指を当てる。


「もちろん、聞いていました」

「だったら、チュウケンさんを探す必要はありません」

「いえ、戻ってくるのを5日も待っていたら、再校のチェックができません! 目録カタログの発行が遅れてしまいます!」

「…………」


 若手オークショニアは目をしばたたかせる。


「制作会社の営業さんから聞いたんですが、制作現場の担当者が社長と喧嘩して、引き継ぎもなしに辞めてしまって、現場はてんてこ舞いだそうですよ!」

「……だから、今回の初稿のミスが多かったのですか? 修正が反映されていない箇所もたくさんありますし。『、』ではなく、『,』で統一するように、と指示を書いたら、その部分の『、』しか修正されていなかったんですよ。全く……」


 腕を組み、若手オークショニアはしばらく考え込む。


「そうですね。そのとおりですね。では、ミナライくん、がんばってくださいね」


 軽く見習いオークショニアの肩を叩く。


「え? ワカテさんは?」

「校正の続きをします。今回は三校で校了にならないかもしれませんから」


 いや、自分が言いたかったことはそこじゃない! と、見習いオークショニアは心の中だけで悲鳴をあげる。


「いや……。チュウケンさんは、ワカテさんの先輩ですよ? 先輩が消えてしまったのに、のんびり校正をやっている場合じゃないですよ!」

「そうですか。もう、校正はする必要がない、ということですか」

「え? いや、校正ももちろん……3日以内にやっていただかないと困るんですが、わたしひとりで、どうやってチュウケンさんを助けろと?」


 若手オークショニアは、見習いオークショニアの主張を黙って聞く。


「そもそも、チュウケンさんは、後輩に助けて欲しいとは思っていないでしょう。自力で戻ることができますからね。ワールドダイバーであっても、潜り込みやすい作品と、弾かれて潜れない作品があるそうで……チャンスは逃さないヒトですからね。今頃、マーヤ・オーギョスの『眼鏡絵』の世界を堪能してますよ」

「…………」

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