第3話 まえぶれ
中堅オークショニアにものすごく真剣な表情で熱く語られたが、生真面目な見習いオークショニアは、どういう反応をしてよいのかわからなかった。
返答に困ったときは、薄っぺらい言葉で取り繕うよりも沈黙するといい、とベテランオークショニアは教えてくれた。
だから、見習いオークショニアは黙った。
中堅オークショニアがさきほどから熱心にいじっていたガラスは凸レンズだ。おそらく、角度と位置調整を行って焦点を合わせようとしていたのだろう。
凸レンズと遠近法の組み合わせにより、『眼鏡絵』をセットした『のぞき眼鏡箱』の中を覗くと、絵が立体的に見えてきて、三次元の世界のような奥行きを感じることができるのだ。
『のぞき眼鏡箱』と『眼鏡絵』は、世界によっては名称が異なることもあるが、その仕組みはマーヤ・オーギョスが存在した世界だけでなく、多くの世界に存在していた。
世界の文化レベルによっては、芸術作品というよりは、見世物玩具、建造物内部の記録用といった実用性の高い装置というカテゴリに分類されていたりする。
どこぞの世界では、『眼鏡絵』の自動作成道具が開発され、めざとい不動産王がその技術に注目し、ビジネスに導入した。
その結果、実際に現場に赴かなくても、店舗内で住宅の内見ができるようになり、業績がアップしたという面白い話もある。
自動作成道具を開発しようと思うくらいだから、『眼鏡絵』は手描きではなく、量産できることが原則だ。
版画が最も原始的な方法だ。文明レベル、魔法レベルの高い世界では、機械撮影、機械印刷であったり、念写や複製魔法で『眼鏡絵』を作成している。
複製画が大量に出回っているので、なにか特別な理由でもない限り、『眼鏡絵』の取引価格は安くなる傾向が強い。
「若い頃のマーヤ・オーギョスは『眼鏡絵』の原画作成で稼いでいたっていうからね。でもね、これはね……」
ふふふ。と嬉しそうに中堅オークショニアは笑う。いや、「ふっふっふっ」という、なにかよからぬことを企む悪者のような含み笑いだった。
精悍で、野性味あふれるすごく魅力的な笑みだ。
なのに、やっている作業は精密作業。
「この『眼鏡絵』はね……普及版の版画原画とかじゃなくて、マーヤ・オーギョスの『肉筆画』なんだよね。1点ものだよ!」
「え――――っ」
見習いオークショニアは心底、嫌そうな声をだす。反射的に腰が引けてしまった。
なぜ、中堅オークショニアが喜んでいるのかわからない。
「なんだ? なんだ? ずいぶん、嫌そうな反応だなぁ。ちょっと傷つくぞ。マーヤ・オーギョスだって、傷ついているぞ。今頃、草葉の陰で泣いているんじゃないか」
苦笑しながら、中堅オークショニアは、箱の中から一番上にあった絵を抜き取り、 『のぞき眼鏡箱』の側面にある細い切込みの中に、『眼鏡絵』を挿入する。
修復されたばかりの『眼鏡絵』は、滑らかな動きで黒色の箱の中へと消えていった。
「おお! ジャストサイズ!」
と、無邪気に喜ぶ中堅オークショニア。
「チュウケンさん、あのマーヤ・オーギョスの『肉筆画』でしょ?」
「そうだよ。ミナライくん。あのマーヤ・オーギョスの『肉筆画』だよ! ワクワクするねぇ」
「チュウケンさん、あのリアルゴーストで有名なマーヤ・オーギョスの『肉筆画』ですよ!」
見習いオークショニアは慌てふためくが、中堅オークショニアは落ち着いた様子で調整作業をつづける。
マーヤ・オーギョスの絵といえば、描いた幽霊の絵があまりにもリアルで、盗みに入った盗賊がその絵を見て気絶して捕まったとか、昼になると寝る幽霊の絵とか、間仕切り壁に描いた虎の絵が夜になると抜け出して暴れたとか、枯れた木が、春になったら花を咲かせる扉絵とか、涙を流し続ける少女の絵……いろいろと、いろいろと、ものすごくいっぱい、問題作品を世に送り出している要注意絵師なのだ。
それを知らない中堅オークショニアではない。
なのに、なぜ、こんなに平然と……というか、嬉しそうにしているのか!
ピントが合わないのか、中堅オークショニアは何度も穴を覗いては、精密ドライバーで調整を繰り返している。
見習いオークショニアはひきつった笑顔を浮かべながら、さらに一歩、中堅オークショニアから離れようと後退する。
「ミナライくん、よそ見しないで、よく見ててよね。この特殊な凸レンズをだね……」
「え? とくしゅ?」
中堅オークショニアの説明に、見習いオークショニアの口から「ひやああっ」という悲鳴があがる。
「うん。そうだよ。驚いた? これはね……ふふふ。高密度魔力ガラスを使って、特殊工法で磨き上げた特殊な凸レンズだよ。これも偶然、サイズがピッタリなレンズが偶然にもあってね。付け替えてみたんだ。楽しみだね――」
「いや、チュウケンさん、その特殊すぎるレンズ、やめた方がいいですよ! いや、絶対にやめるべきです。せめて普通の凸レンズにしましょう!」
どのレンズを取り出して『のぞき眼鏡箱』に使ったのかは、聞きたくない。知りたくないし、教えてほしくもない。
とりあえず、この作業は危険すぎる、と見習いオークショニアは思った。
しかし、中堅オークショニアは見習いオークショニアの制止する声を無視し、『のぞき眼鏡箱』を目の高さへと持ち上げる。
「特殊な凸レンズをこの穴にはめ込んで、こうやって、のぞき穴から『眼鏡絵』を見るとだね、まるで絵の中に入り込んだかのような臨場感がぁ……」
「チュウケンさ――ん!」
不意に中堅オークショニアの声が途切れる。
そして、空中に残された『のぞき眼鏡箱』が、ゆっくりと落下をはじめる。
「わっ! まずい!」
見習いオークショニアは慌てて手を伸ばし、『のぞき眼鏡箱』を空中でキャッチする。
貴重な『のぞき眼鏡箱』は、床上に叩きつけられるという最悪の事態をまぬがれた。
だが……。
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