第2話 はじまりのつづき

 見習いオークショニアは新しい白手袋をはめ直すと、箱の中から絵をとりだした。

 慎重に、慎重に、絵に傷がつかないように注意しながら、見習いオークショニアは1枚、1枚の絵を見ていく。


 洗浄されて細かな線はクリアになった。

 でも、少しくすんだ色使いは、絵師の特徴としてちゃんと残っている。

 気になっていた絵の端のささくれは修復され、切り口はとても滑らかだ。

 消えて掠れかけていた部分や、小さな傷も違和感なく修復されている。


 どの絵もとても丁寧な筆使いで、細部まで書き込まれていた。

 それこそ、木の葉一枚、一枚まではっきりと描かれている。葉脈までわかるくらい緻密だ。


 修復師の見事な仕事ぶりに、見習いオークショニアは感嘆する。


 木の板に描かれているのは、大海原の絵、ジャングルの中を流れる大河の絵、針葉樹林が鬱蒼と生い茂る森の絵、だだっ広い草原の絵、木々が生い茂る中にひっそりと隠れるようにしてある遺跡の絵……。


 それはまるで、幼い頃に読んだ冒険活劇にでてくる背景のようだった。


「でも、ちょっと……マーヤ・オーギョスの絵にしては……」

「遠近が極端だろ?」


 中堅オークショニアは、受け取ったチェック原稿を机の引き出しの中へしまうと、精密ドライバーを使って箱のガラスをいじりはじめる。


「はい。どの絵も、不自然なまでに誇張した感じがありますね。端の方は少し歪んでいますし」

「大丈夫。大丈夫。贋作じゃないよ。マーヤ・オーギョスで間違いない。鑑定士だけでなく、懇意にしているマーヤ・オーギョスの研究者にも『問い合わせてみた』からね。これは透視図法による遠近表現を学び始めた頃の……修行時代の作品だそうだ」

「それはまた……貴重な作品ですね」

「そうだよ。だから、ちょっとした『仕込み』を色々とやっているんだよ」


 中堅オークショニアが意地の悪い笑みを浮かべる。

 下からライトを照らせば、立派な悪役顔だ。


 マーヤ・オーギョスは緻密な動植物を描いた画家で有名だが、絵に完璧を求めたゆえに、習作や若い頃の作品は、本人が作成するたびに破棄していた。そのため、公開数が極端に少ないのだ。


 木の板のようなものに描かれた小さな絵ではあっても、マーヤ・オーギョスの修行時代の作品だ。

 価値ある貴重な作品として扱われる可能性が高い。

 そうなれば、好事家だけでなく、ミュージアム関係者からも注目を浴びるだろう。


 機密保持の契約書を交わす鑑定依頼ではなく、世間話のネタ程度のノリで『問い合わせに対応した』マーヤ・オーギョスの研究者の口から、この情報は確実に広がっていくにちがいない。


 今は中堅オークショニアが担当しているが、もしかしたらベテランオークショニアの案件になるかもしれない。

 なのに、中堅オークショニアはとても嬉しそうだった。


「こらこら、ミナライくん。未熟な作品と決めつけるのはまだ早いよ。凸レンズの眼鏡越しだと、この歪みがいい塩梅になるんだからね」

「もしかして『眼鏡絵』ですか」

「そういうこと」


 『眼鏡絵』とは『のぞき眼鏡箱』という凸レンズをはめた箱を通して見る絵のことである。

 風景や建物内などを、透視図法を用いて遠近感を強調し、凸レンズ眼鏡で覗くと立体的に見えるのだ。

 精巧なものであれば、箱の中の世界に迷い込んだという錯覚を与えることができる。


「で、こっちが、本体となる『のぞき眼鏡箱』だね」


 手にしている黒い箱を見習いオークショニアに見せる。


「ちょっと……それは……この『眼鏡絵』用の『のぞき眼鏡箱』じゃありませんよね? 年代と世界軸が違っていますよ」

「うん。この『眼鏡絵』とこの『のぞき眼鏡箱』はセットじゃないよ。でもね、ちょうどこの『眼鏡絵』がぴったりと装着できるサイズの『のぞき眼鏡箱』が、『たまたま』あったのを思い出してね……ちょっと、調整中なんだよね」


 中堅オークショニアは、鼻歌をうたいながら、穴の部分をさらに調整していく。


「調整って……チュウケンさん、そんなことをしていいんですか? 勝手にいじって! その『のぞき眼鏡箱』って、次々々回の出品物ですよね? 出品者の許可はとっているんですか? オーナーは? ベテランさんは?」


 見習いオークショニアの声が大きくなる。


「う――ん。よい子は真似しちゃいけないコトだけどね。オレはもうオジサンだから、やっちゃってもいいんだよ」

「…………」


 ベテランオークショニアは外出中だ。今日は直帰すると言っていたので、オークションハウスには戻ってこないだろう。

 ザルダーズオーナーは、未亡人から依頼された出品物の確認のために、異世界に出張中だ。品数が多いとのことで、二、三日は帰ってこれない、と聞いている。


「ミナライくん、よく覚えておくんだ。ザルダーズは異世界を相手にするオークションだ。異なる世界と異なる世界の橋渡しを行う不思議な場所だ」


 精密ドライバーをくるくると手の中で回しながら、中堅オークショニアは言葉を続けた。


「その不思議な場所に、不思議な縁で集まったモノは、偶然ではない。必然なのだよ。必然と必然からは、謎が生まれる。だから、無視してはいけない! 謎には真摯な気持ちで向かい合わないと、謎に対して失礼だ!」

「…………」

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