第2章 クリムゾンビースト

第8話 怪しい病院とサラリーマン

 夜の闇は、この街ではどちらかと言えば弱い存在だった。

 地方都市とは言え、その中で一、二を争う繁華街であるこの場所は、深夜に差し掛かる今でも、明かりも人もひしめいている。夜の闇はその端っこで、何とか自分の居場所を見つけて静かに佇んでいた。例えばそびえ立つビルの屋上などに。


 その闇の中に、さらに暗く人影が一つ立っていた。

 眼下に広がる真っ直ぐに伸びた大通りと、その両脇に並ぶビル、そして行きかう人や車を眺めながら、しかしその瞳はもっと別の何かを探していた。


 雲に隠れていた月が姿を現し、気まぐれにその影を照らす。

 そこには、長い赤髪をビル風にはためかせた長身の女性が立っていた。


「今日も見つからない・・・」


 彼女は当てが外れたことに焦りと憤りを見せ、それを振り払うように自らの決意を口にした。


「ゾンビは全て・・・・私が殺す」


 そして彼女はビルから飛び出し、ビルの影の中を縫うように夜の街に落ちて行った。


 ◆


「本当にここでゾンビを治してくれるんですか?」


 アピリス先生の病院を訪れたサラリーマン風のゾンビは、何度目かになる同じ質問を繰り返していた。


「ゾンビではないですが・・・その症状は治せます。安心してください」


 アピリス先生はにこやかに答えるが、その男は不安そうだ。

 ジョージさんより、もうちょっと年上のおじさんだろうか。多分30歳くらいだと思う。ゾンビなのでよく分からないが。ゾンビ症状が出てるのにスーツを着ている。


「本当ですよ!私も先生にゾンビを治してもらったんですから!」


 私は助け舟を出す。


「え、あなたもゾンビなんですか?・・・ゾンビが病院で働いてるんですか?」


「いや、私は働いてないですよ」


 ゾンビが働いている、という意味では、ジョージさんが働いているが。


「え、じゃああなたは何でこの病院にいるんですか?」


「え?えーと」


 何でと言われると何と答えればいいのだろうか。私が考え込んでいると、その男は病院の壁にあるテレビの映像が気になるようだ。私のおすすめのゾンビ映画が流れている。一応ジョージさんが再生を止めようとしているが、リモコンの停止ボタンが上手く効かないらしい。いろんな角度からリモコンを向けてボタンを押している。


「あ、ゾンビ映画を見に来たんです」


「本当にここ病院なんですか?」


 不安そうなくせに、ずいぶんハッキリと突っ込んでくる。


「ほ、本当に彼女は患者なんです。今日は経過観察に来ていて・・・」


「はぁ・・・・そうですか・・・・」


 いまいち納得していないようだが、彼は藁をもすがる気持ち、という感じで治療の話に移行した。


「それで、本当に治していただけるんでしょうか」


「まずは診察しましょう。えーと・・・・」


 アピリス先生がジョージさんの方を見ると、テレビと格闘するのが終わってこちらに近づいて来ていた。どうやらテレビをコンセントから抜いたようだ。


「はいはい・・・えーと、この治療は保険適用外ですけど大丈夫ですかね?」


 こういうのを聞くのはジョージさんの役目らしい。


「保険効かないんですか・・・。あの、どれくらいかかるんですか?」


 おお、ちゃんと先に料金を聞くとは。私と違って流石大人だ。


「100万円です」


「ええ!?」


「あ、あの、100万円が払えないなら、あなたがこの病気になった時の事を詳しく教えてもらえるだけでもいいですよ?」


「ええ!?無料って事ですか!?逆にそんなんで大丈夫なんですか!?」


「だ、大丈夫って?」


「やっぱり怪しい・・・。ここって本当にちゃんとした病院なんですか?医師免許とかあるんですか?」


「・・・・」

「・・・・」


 アピリス先生もジョージさんも黙ってしまった。

 え、ということは・・・。


「やっぱり偽物じゃないか!あんな変なサイトで騙して!」


 サラリーマンゾンビは急に怒りだして、止める間もなく帰ってしまった。


「えーと、医師免許?がないってことは・・・・。え、ここ、違法な病院だったの?」


 私がよく事態が飲み込めないまま問いかけると、アピリス先生は気まずそうにしている。代わりにジョージさんが応えてくれた。


「いや、そりゃあんな医学的に証明されてない病気の治療なんてしてるんだから、合法じゃないに決まってるでしょ。こういうのをって言うんだよね」


「ええー!!」


「と・・・とりあえず患者さんを追いかけましょう!早く治療してあげないと!」


 すごく気になるところだが、ひとまずアピリス先生の提案に従って、私たちは病院から出て先ほどのサラリーマンゾンビを探し始めた。


 ◆


 アピリス先生の病院は、繁華街のメイン通りから横道に入って、しばらく歩いたところにある雑居ビルに入っている。大名通りと呼ばれるその地域は、車1台分ほどの幅の道路がやや複雑に入り組んでいる。大昔は住宅街だったらしく、昔ながらの住宅も多少はあるが、現在は繁華街の勢力がこの地域まで広がってきて、主には飲食やファッションなどの小さな店舗や雑居ビルが並ぶストリートとなっている。

 今はまだ日が沈む前の夕方だが、ビルから出た道にはそれなりに人通りがあった。


 サラリーマンゾンビはすでに移動しているようで、すぐには見つけられない。


「ジョージさんはあっち探してください!私はこっちを!」


 アピリス先生が二手に分かれることを提案すと、ジョージさんは面倒くさそうではあるが、一応小走りで指示された方へ向かう。アピリス先生はその反対側に駆け出そうとするが・・・、その前に私の方を見る。


「あの、一応言いますけど、ニニカさんはついてこなくていいんですからね?」


「はーい、先生についていきます!」


 どうせそんな事を言われるだろうと思っていたので、私はにこやかに自分の意思を表明した。先生も、私の回答を予想していたのだろう、すぐに諦めて走り出した。


 私がアピリス先生達と出会ったあの事件から一週間ほど経った。その間、学校終わりなどを利用してすでに3回、病院に遊びに来ている。アピリス先生は毎回「来なくていい」と言うが、私は気にせずしつこく来ているので、そろそろ先生も私にこういうことを言っても無駄だと学習してくれたのだろう。


 私としてはゾンビに出会うために、アピリス先生の病院に入り浸らせてもらうつもりだ。幸いジョージさんは、私がいてもどうでもいいという感じなので問題ないだろう。あとは、できるだけアピリス先生の役に立って、この病院に自分の居場所を作ることだ。


 そういう下心もあっての事だが、そうでなくてもアピリス先生を一人で街中に放り出すのは心配でもあった。おそらく先生はこの街に来てあまり日が経っていないのだろう。(そもそも日本に来てからどれくらい日が経っているかも教えてくれない)外出時に道に迷ったという話を聞いたこともあるし、今もこの街に慣れた人の動き方ではない。どの道がどこに繋がっているかよく分かっていない様子だ。これでは人を探すのにも不都合だろう。


「とりあえず駅かバス停に行く確率が高いんじゃないですかね?こっちの道を探してみましょう!」


 幸い私はこの地域は昔からの馴染みだ。土地勘は十分ある。頼りになる様子を見せながら、道行く人を確認しながら小走りで進む。

 サラリーマンゾンビは、中肉中背、よれっとした紺色のスーツを着ていた。病院内ではとっていたが、顔の青緑色の肌を隠すためのマスクと帽子を持っていたので、今はそれらをつけているだろう。

 まだ日は落ちてないとはいえ、夕方にさしかかり少し薄暗くなってきているので、時間をかけると見つけにくくなる。それ以前に、繁華街に近づけば近づくほど、人も多くなるし行き先の選択肢は増えてしまう。急がないと。


「どうしましょう・・・このまま見失ったら・・・」


 アピリス先生が不安そうにつぶやく。このままゾンビ・・・アピリス先生からすると患者さん、が診察に来なくなって、症状が悪化することを真剣に心配しているのだろう。こういう優しいところが私は好きだ。



「あ!あそこ!」


 そんな事を考えながらでも、私の目はターゲットをしっかりと発見した。今立っている道から、さらにわき道に入った先に、例のサラリーマンゾンビがいた。

 偉いぞ私、と言いたいところだが、見つけられたのは偶然に助けられたからだ。


「おいテメェ、ぶつかっておいて、そのままどっか行く気じゃねぇだろうなぁ!?」


 なんとサラリーマンゾンビはやんちゃ系のお兄さんに絡まれていたのだ。揉めている大人2人がいれば、嫌でも目に付く。ちょうどその場に居合わせたのは幸運ではあるが、サラリーマンゾンビにとっては、こんな時に輩に絡まれるのは不運だろう。


「おい兄ちゃん、人に迷惑かけておいて詫びの一つも無いとはどういうことだ?帽子もマスクも取らねぇとは、失礼じゃねぇか!」


 サラリーマンゾンビに絡んでいるのは、金髪で体格のいい、派手なスーツを着た男だ。金髪のせいか年齢が分かりにくい。20代かも知れないし30代かも知れない。ヤクザっぽい見た目だ。この地域はいわゆるが多いという評判があるので、彼もそうなのかも。

 しかし、まさかヤクザも、今自分が因縁をつけている相手がゾンビだとは思わないだろう。


「いけない!行きましょう!」


 アピリス先生が駆け出す。

 そうだ、あの話の流れで帽子やマスクを無理やり取らされたら、ゾンビであることがバレてしまう。そうなったらどうなるか。周囲の人も含めてパニックが起こるだろうか。もしかしたらあのヤクザが恐怖のあまりゾンビに殴りかかってしまうかもしれない。


「や、やめてください・・・!」

「なんだぁ、てめぇ、その態度は」


 だが、サラリーマンゾンビがその場を離れようとするのを引き留めようと、ヤクザが乱暴な手つきで掴みかかった結果、アッサリと帽子とマスクが外れてしまった。


「あ!!!」


 サラリーマンゾンビが急いで顔を隠そうとするが、青緑色の肌がハッキリと見えてしまった。


 しまった、遅かった!


 アピリス先生と私は助け舟を出そうとさらに近づこうとする


 ――――だが、


「お、おい、兄ちゃん!大丈夫か!?顔色悪いぞ!?」


 先ほどまでの高圧的な口調から一変、ヤクザはうろたえながらサラリーマンゾンビを心配しだした。


「え?え?」


 サラリーマンゾンビも面食らっている。


「す、すまねぇ。もしかしてその・・・それで帽子やマスクをしてたのか?無理に取っちまって悪かったな。体調が悪いなら病院まで付き添おうか?救急車かタクシー呼ぼうか?」


「え?い、いや、大丈夫です。自分で帰れます・・・」


「そうか、もしかして付き合い長い病気なのか?いや・・・詮索するもよくないよな。本当にすまねぇな。気をつけて帰れよ」


 そう言ってヤクザは立ち去って行った。


 なんとまあ、ついさっきまで因縁つけていたヤクザとは思えない人道的対応っぷりだった。


 でも確かに、ゾンビな見た目だとしても、事情を知らなければそういう病気か体質なのかと思うのかも知れない。(というか、実際アピリス先生によるとなのだ)

 だとすると、そういうものを怖がったり騒ぎ立てたりするのは、今の時代はNGだ。配慮が足りない。昔だったらひどい言葉を浴びせられていたかも。そう考えると、昔よりはマシな時代になったのかも知れない。

 実際、周りで見ていた通行人もサラリーマンゾンビを見ても大騒ぎせず、ヤクザが離れると同時に通り過ぎて行った。意外とゾンビを見ても「そういうもんだ」と思ってスルーしてくれるのかも。


 思っていたようなピンチは起きなかったことに胸を撫でおろし、アピリス先生と私はサラリーマンゾンビに駆け寄った。


「大丈夫でしたか?」

「げ!?」


 だがサラリーマンゾンビはさっきのヤクザに対するのと同じように、イヤそうな顔をした。まあ彼からしたら、モグリの詐欺医者から逃げてきたら追いつかれた、という状況なので、仕方ないだろうが。


「とりあえず病院に戻ってください。ちゃんと説明しますから」

「ちょ、ちょっとやめてください。もういいですから・・・」


 2人の押し問答が始まろうとしている。

 だがその時――――。


「見つけたぞ」


 大きい声ではなかったが、不思議とよく通る声が私達に届いた。

 ハッと声の方向を3人同時に見る。

 私達の前方、まばらではあるが道行く人が気ままに動いているその中で、私達と向かい合った状態で、立ち止まっている人影があった。


 すらりと長い手足を長袖のスポーツウェアに包んでいる。キャップを目深にかぶり、そして、ストールを口元まで覆うようにつけているせいで顔は見えないが、恰好からして女性のようだ。すき間から覗く目は、真っ直ぐとサラリーマンゾンビの方を見ている。


「ひぃ!!」


 サラリーマンゾンビが悲鳴を上げ、いきなりその女の反対方向に逃げ出そうとする。


「え、ちょ、ちょっと!!」


 アピリス先生が慌てて引き留めようとするが、私は目の前の女から目を離せなかった。予感があったからだ。あれは――――


 そう思うや否や、女はキャップとストールをバッとはぎ取った。

 すると、長く赤い髪が踊るように飛び出す。

 そして・・・その顔、その肌は青緑色に染まっていた。


 ――――やっぱりゾンビだ!!


 その女ゾンビは私やアピリス先生が目に入っていないかのように、サラリーマンゾンビに向かって言い放った。


「今度こそ逃がさない。ゾンビは・・・私が殺す!!」

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