閲読師
流行遅れの品々ばかりがならぶ雑貨屋を営んでいるわたしのほんとうの仕事は「思い出を読むこと」──通称「
ざんねんながら、国やどこかの機関から発行される明確な資格などは存在しない。
「思い出を読むこと」ができるのは、ある日突然、その辺に打ち捨てられているだれかの「思い出」に引っぱられることがその要因となる。
おそらくこの世界で閲読師を名乗っているひとは全員、それぞれちがったかたちで"閲読師にならざるを得ない"と悟る日が訪れる。
もちろん、閲読師というものに憧れた"自称・閲読師"も掃いて捨てるほどいる。そういった"自称"のひとびとは決まって、ひと通りも「思い出」も多い場所で「その思い出を読みます」なんてでかでかと書いたセンスの欠片もない看板やのぼりを掲げていたりする。
ほんとうの閲読師はそんな場所に長く留まっていることなどできない。
それでも"自称・閲読師"がいたるところにはびこっているのは、純粋に「閲読師という職業が稼げるから」だった。いったい「思い出を読んでほしい」という人間にそれぞれどういった事情があるのかは知らないけれど、ひとの心をたやすく覗きたがるような閲読師は信用できない、とわたしは考えている──そうじゃなければ、こんなふうに回りくどい、口コミでしかわたしが閲読師だと知ることができないしがない雑貨屋なんて営んでいない。
きっとほとんどの「本物の閲読師」は、わたしのように他人から、その辺に落ちている「思い出」から離れて隠れて生活しているだろう。それほどまでこの世界で「思い出を読ことができる」という能力は特殊だった。
最初に言ったように、閲読師は捨てられている「思い出」に引っぱられる──それはその感覚を知らないひとからしたら不思議なものだろうけれど、いたるところに打ち捨てられている「思い出」が多ければ多いほど、引っぱられる確率があがる。
引っぱられる──それは「強制的に見せられる」と言ったほうがより感覚には近いかもしれない。
わたしが初めて「思い出」に引っぱられたとき、それは家族と共にひとの多い街を歩いていたときだった。
この世界では、ひとが多い街イコール捨てられている「思い出」が多いのが常識──なぜならそれらは、隠す必要がない。
なぜ隠す必要がないか、それは閲読師以外にはそれらがどんなものを孕んでそこに置かれているかを知る術がなく、傍からみたときにはそれがどんなものだとしても、たいていの人間には"ただのゴミ"にしか見えないことがおおきな要因となっている。それに──その辺に捨てられている思い出をほいほい読むような閲読師もいない。
また、捨てられたそれらを景観のためにきれいにしようと片付けたところで、ひと通りが多い場所は"捨てやすさ"からいつまで経っても捨てられる「思い出」が絶たない。そしてその場所に執着している「思い出」はいつの間にかそこに戻ってきてしまう、というとても厄介な性質を持っている。
とにかく、そんなものばかりであふれている場所だったとしてもひとはそこに集まる──愚かなものだ。
そう、話がそれてしまったけれどわたしはそのような街を家族と共に歩いていた。わたしの意志は関係なく、遊びに連れてこられたから、という理由だけで。
それでもわたしは、だいすきな兄と姉にはさまれ、それぞれに手をあずけてごきげんだった。
ついさきほど初めて食べさせてもらった洋菓子──それがなんだったかはもう忘れてしまった──がおいしかったのもわたしがとっても上機嫌な理由のひとつだった。
その頃のわたしにとって「思い出」がそこらじゅうに転がっている景色というのは、ほかのひとたちと同様になんとも思っていなかった──あの瞬間までは。
突然、わたしの視界に強い光が飛び込んできて目の前が真っ白になり、わたしは思わず目をつむる。
「うっ」
うめきながら兄と姉の手をぎゅっと握る。
「どうしたの?」
ふたりがわたしに話しかける声が聞こえるけれど、視界を奪った光はまだ消えていない。
おにいちゃんとおねえちゃんはなんともないのかな──
そう思ったとき、はじめてわたしは"あたまのなかに映像が流れ込んでくる"ということを体験した。
そしてそのままわたしの身体は、わたしの意識を失った。
はっと目が覚めたとき、ここはどこだろう──と思った。あたりを見回すとそこは見慣れた景色で、どうやらわたしは家のリビングに敷かれた布団のうえに横たえられているようだった。
あたまがぼんやりとし、それ以上のことは考えられなかった。ひとつわかったことは、この場所はわたしにとって安全な場所だということ。それだけがわかればもう、じゅうぶんだった。
「あら、目が覚めたの」
聞き慣れた母の声。わたしは声のした方を見やる。
「急に倒れたからびっくりしちゃった。救急車を呼ぼうかっておとうさんと話したのだけれど、とくにつらそうな様子はなかったからすぐに帰ってきたの。どこか具合の悪いところはない?」
そう話しながら母はゆっくりわたしに近づき、かがんでからやさしくあたまを撫でる。
「おにいちゃんとおねえちゃんは」
「ふたりはいま、じぶんたちの部屋にいるわ」
「なんともないの」
「元気よ」
それを聞いて、わたしはほっとした。
「だれかのおもいでがみえた」
「えっ」とちいさく声に出し、母がわたしに触れていたその手を止める。
「なにかがつよく、ぴかってひかって、まぶしくて、わたし、めをつぶったの」
あのときのまぶしさを思い出し、わたしはふたたび目を閉じる。
「いろんなばめんが、みえた」
流れ込んできたそれらの情景が目の裏に蘇る──それに付随して体感した、様々な情報も。
「ゆめかなっておもった、けど、これはちがうって。うれしくて、かなしくて、わたしのじゃないけど、でもだれかのたくさんのきもちが、そこにあった」
それらを反芻して思い出したわたしの目から、温かい涙があふれだす。
「おかあさん、あれはいったい、なあに──」
おそらくそのとき、母はわたしのその体験を聞いてそれが「閲読師」と呼ばれるひとびと特有の能力であることに気がついたのだろう。
「ゆっくり休みなさい」
そういってわたしの問いかけには答えず、わたしがまた眠るまでそばにいてくれた。
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