引
さがしもの
ドアにつけられた鈴がチリリンと鳴る。
その音を聞いたわたしは読んでいた本から顔を上げて入り口の方を見る。
そのさきに人の影を認め、声をかける。
「やあ、いらっしゃい。ゆっくり見ていきな」
そう言ってまた手元の本に目を落とす。
わたしの営むこのちいさなお店はいくらかの古本や食器、アクセサリーの類がそれなりに整ったかたちで陳列してある雑貨屋だ。
流行りが続々と更新されていく世の中と比較すればとくに目新しいものはなく、ただわたしが日々を読書に費やすついでにやっている道楽のようなもので、時々近所のひとが世間話のためにやってくる程度には客足はまばらだった。
来客のコツコツとした足音が静かな店内に響く──BGMのひとつでも流していればいいのかもしれないけれど、わたしはそれを好まなかった。
ただ周囲で自然と発生する生活音に囲まれているほうがよほど考え事は捗る、というのが持論だ。
「あの──すみません」
声をかけるには少々遠くはないか、という距離から、さきほどの来客がわたしに向かって話しかけてくる。とはいえ、ここにはわたししかいないからなんの問題もないのだけれど。
わたしはふたたび手元の本から顔をあげ、声のした方角に視線を投げる。
「なにか?」
何気ない、いつもと同じ調子で言ったはずだったけれど、その客は一瞬ひるんだ表情をした。
「えっと、あの、」
その客は男性だった。背はあまり高くない──中肉中背、20代半ばだろうか。
わたしは彼に視線を向けたままなにも言わず、ゆっくりと言葉の続きを待つ。
「──思い出を読んでくれるひとがいるって聞いてきました」
意を決したように、けれども顔は自身の足元を見ているのだろう、わたしの顔は見ずにうつむいたままで言った。
「だれに聞いたの」
「Aさんです。このまえ隣町のイベントで初めて知り合って、そこで聞きました」
胸の前で両手を合わせてぎゅっと握りしめるその姿は、どこか痛々しかった。
「まったく、彼女はほんとうにおしゃべりだねえ」
やれやれ、と思いながらわたしは、あたまのなかで屈託もなくケラケラと笑いながら「話しちゃった、ごめんね」という毎度おなじみのAさんを思い浮かべた。
「で、それを知ったあなたは、なぜわたしに会いに来ようと思ったの」
彼はまた、黙りこむ。好きなだけ黙っていたらいい。気持ちの整理はだれしも時間がかかるものだ──と思いつつ、きょう読んでしまいたい本があるんだけどなあと、わたしのあたまの片隅にその気持ちがちらつく。
「知りたい思い出があるんです」
「へえ、だれの」
「──だれのか、わからないんです」
「わからない?」
はい──そうちいさくつぶやいた彼の両手は、まだ握られたままだった。
「ぼくのもの、だったような気がする──けれどちがうかもしれない。どうしても確証が持てなくて」
「それを知ってあなたはどうするつもり」
「もういちど、取り戻したいんです」
ぱっと顔をあげてわたしをまっすぐ見た彼は、ここに来てからいちばん強く、そしてきっぱりとそう答えた。
「あなたのじゃなかったらどうするの」
「そのときはまた、探しに行きます」
さっきまでの弱々しい彼はどこへやら、そこには確固たる意思を持った眼差しの青年がいた。
「──ねんのため聞くけど、どうして捨てたの」
ああ、どうしてわたしは聞かなくてもいいことまで聞いてしまうんだろう──思い出を捨てる理由なんて尋ねたところでなんの解決にもならないことは、これまで何回も経験してきているというのに。けれどきっとそれは、わたしがこれから思い出を読むために必要としている情報なのかもしれない。
「ぼくが弱かったからです──でもあのときそうしなかったらきっとぼくはいまでもまだ、立ち直れていなかった、と思います」
そう──わたしはちいさくつぶやいた。
「わたしにその思い出を覗かれることについては、どう考えてるの。あなたがじぶんで持っていたくないって、それをいちどは捨てた。ほんとうだったらだれにも知られることがなく、あなただけが持っているはずだったものを、わたしに知られるのよ」
それを聞いた青年は唇をきゅっと結んだ。
そして「覚悟はできています」と静かに続ける。
「ぽっかり空いていることに、耐えられなくなったんです」
「うん」
「いままで生きてきたぼくと、これからもまだ生きていかなければいけないぼくが、その、捨ててしまった思い出で空いたスペースによって分断されているような気がするんです──さいきんはいつも、ずっと、何かが足りていないって思うようになって」
「あなたがこれまでに捨てた思い出は、それだけなの」
「はい」
「そう」
──そう。そういうことなら。
「それはどんなかたちをしているの。さあ、見せてごらんなさい」
わたしはその青年に向かって手を伸ばした。
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