拾得物

拾った。なんだかよくわからないけれど、ぼくはそれを「きれいだ」と思ったから。


夏休み、ぼくは家族といっしょにおかあさんの生家に来ていた。

時間を持てあましたぼくは、田んぼばかりが続くまっすぐの農道をあてもなく歩いていた。そこかしこに落ちているものは、ぼくが住んでいるまちよりもずっと少ない。だからだろうか、目に入ってくる草や花がとてもきらきらして見えた。

そのなかでもひときわきらきら見えるものが落ちていた。深く考えることはせず、ぼくの手のひらに収まるくらいのそれを手に取った。

指でつまんで目の高さまで持ち上げる。


──石、かな。


でこぼことした灰色を、つるりとした薄い水色のベールが囲んでいる。ぼくの手のなかで日光に照らされたそれは、雨あがりの青空を映した水たまりのようだった。なかに閉じ込められているのは、その水たまりに沈んでいる、なんの変哲もないどこにでもあるような石。


それを大事に手にぎゅっと握りしめたまま、ぼくは家に帰った。帰ってからもずっと、飽きもせずに手のひらのなかで転がして眺めていた。


「おまえ、それ、どうしたんだい?」


ぼくの手のなかにあるまん丸を見たばあちゃんが、不思議そうに聞いてきた。


「歩いていたら見つけて、拾った。なんだかとても、きれいだと思ったから」


ぼくはだらしなくごろりと寝転んだ姿勢のまま石をつまみ、ばあちゃんによく見えるように手を伸ばしながら答える。それを聞いたばあちゃんは、一度だけぱちりと瞬きをし、ぼくが差し出した石をじっと見つめる。

しばらくそうやっていたけれど、突然興味を失ったかのようにそれから目をそらしてひとことだけぼくに言った。


「そうか。でもこれからは、あんまりそういったものを拾うんじゃないよ」


これはいいのかな、とちらりと思ったけれど、ぼくは素直に「はい」と返事をした。変に口ごたえをして「いますぐ捨ててこい」って言われるのがいやだったから。



月日が流れ、僕はあっという間に大学生になっていた。もうすぐ就職して社会人になる。それと同時に長く住んだこの実家を出てひとりで暮らす。


引っ越しに向けて部屋のなかを少しずつ片付けていたけれど、もうほとんど荷造りも終わり、残すのはほんとうに普段から必要としているものばかりになっていた。

机のうえには数冊の参考書や実用書、ペン立て、幼い頃に家族揃って撮った写真が入っている写真立て、好きなゲームのキャラクターのフィギュア、そして──むかし拾った薄い水色のベールで囲まれた小さな石。


石は「置いている場所に傷がつかないように」と言ってばあちゃんがつくってくれた、薄い水色のなかに閉じ込められた石と同じ色の小さな座布団に載せて飾ってあった。

僕はこれを拾ったあのときからずっと、身近においていた。いまでもまだ、それを眺めては「きれいだ」と思う。


僕が実家を出るまであと数日、というときにばあちゃんが死んだ。桜が満開に咲いていた。ばあちゃんがあの世に行くまでの道に迷わないために、そこらじゅうに落ちているものから少しでも気を逸らして上を向いて歩けるように。

忙しい時期だけれど、もう僕のこの先の人生からばあちゃんがいなくなる。きちんと別れを告げる時間を惜しむ理由に、忙しさは含まれるべきではない。


葬儀を終えて帰宅した僕らの家族は、そこまでばあちゃんの死を悲しんでいなかった。もともと年末から体調が良くなく、入退院を繰り返していたから、みんなどこかで覚悟は決めていたんだと思う。それでも心に宿る悲しみは、それぞれ異なるものだから、あえて誰も何も言わなかった。


部屋に戻ってきた僕は、悲しいは悲しいけれどその悲しみの正体がよくわからず、机の前の椅子に座ってぼんやりしていた。ばあちゃんがつくってくれた座布団に置かれているはずの石を見やったとき、石がなくなっていることに気がついた。家を出るときには、たしかにあったのに。

留守のあいだ、小さな地震でもあって転がってしまっただろうか──それとも僕が家を出るときに慌てていて机を強く揺らしてしまったかもしれない。そう思って床を探す。

しかし、もうすぐこの部屋を出ていく僕がここに残している荷物はほとんどなく、探すほどのものではない。


──この世界のそこかしこに落ちているものは、思い出を込めた本人が生きている限り、どうしようもできずにそこに残り続ける──


僕は突然、その常識を思い出してはっとした。もしかして、あの石は、ばあちゃんの"思い出"だったのか──?

だとしたら、消えてしまった理由にも見当がつく。けれど、ばあちゃんはそれがじぶんの"思い出"だということをわかっていて、僕が持っていることを許していた──?


もう答えを聞くことのできないその問いと共に、僕がずっと「きれいだ」と思って大切にしていた石が消えてしまった薄暗い部屋のなかで、僕はただ立ち尽くしていた。






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