第21話 提案
あいかわらず研究所のシステム室では、状況の変化をデータから読み取るしかなかった。しかし繋ぎっ放しにしてある佐久間航佑の携帯電話から、逐次詳しい状況の連絡を受けていた。
それによると、アキラとキジマの乗る戦車は、摺鉢山の下で膠着状態にあった。キジマの操縦で山の頂上のコンソールに近づこうとするのだが、四人の敵の攻撃を受け、逆にじりじりと圧し込まれていた。
摺鉢山の建物の武器庫に、RPGがまだいくつかあるようだ。コウスケのその報告を受けて、しばらく考え込んでいた吉沢が、意を決した目をして動いた。
「キジマさん、ヨシザワさんから入電。お願いします」
アキラが前方の敵をまとめて戦車砲で吹き飛ばした直後、そう言ったコウスケの声のあとに、音声がつながった。
「所長、ヨシザワです」
「ああ、聞こえている。どうした」
「戦況はかなりきびしいようですね」
「まあ、楽な状況ではないな。なんとかアキラだけでも、無事に戻さなくてはならないんだが、どうしても摺鉢山に登ることができないんだ」
「所長、これからわたしが、そちらに入ろうと思います」
その言葉に、キジマは耳を疑った。彼女が言うのだから、意味のあることだろう。そう思ったものの、キジマはその真意を量りかねた。
「きみがここに入っても、なんの役にも立つまい。ゲームはチェスしか知らないと言っていたし、平らな道でつまずくほど運動神経が悪かったじゃないか」
「わたしがわたしとしてそこに入るのではありません。あの例のAIとして中に入れば、システムにアクセスが可能となります。システムそのものに干渉することはできませんが、物理的にコンソールを操作することはできるはずです」
思いもしなかった彼女の言葉に、しばらく押し黙ったキジマだったが、その頭の中は目まぐるしく回転していた。確かにAIならシステムと直接つながっている。システムがAIを動かしているのだから、それは当然のことだ。そしてCVRSは脳神経と直接信号をやり取りするものなのだから、CVRS内の仮想の人格であるAIにつながれば、全ての状況を把握することも可能だろう。
しかし……。その先に考えが及んだ時、キジマの頭の中に嵐が吹き荒れた。それはAIの人格と、ヨシザワの人格が入り混じってしまうことを意味する。このAIは彼女が長い時間をかけて創り上げた特別なものだ。もちろん人間のような意識を持っているわけではないが、周囲の環境を把握し自ら判断をする能力は人間並みのものを持っている。そんなAIと融合した時、人は正気を保てるものなのだろうか。
いや、それは危険すぎる。そんなことはいままで考えたこともなかったし、だからシミュレートさえしたことはなかった。いくらヨシザワが人工知能の専門家で、このAIの設計者であるからと言って、彼女にもそれがどんな結果をもたらすものか、わかるはずがない。それはあまりにも、危険すぎる。
「非常におもしろい作戦だ」ようやく口を開いたキジマは、未熟な若者を諭す老人のような口調だった。「しかし私は、その提案を許可することはできない。ここは私がなんとかする」
リスから聞こえてくるのは、いつもの冷たささえ感じさせる落ち着いたヨシザワの声ではなかった。それはかすかに震えながらも、どこか吹っ切れたような明るさを伴った声だった。ようやく所長に恩返しができる。そう考えたその心は、もう決まっていた。
「敵に圧し切られるのは時間の問題だと、コウスケさんからはお聞きしています。そうなったら、ことは所長だけではすみません。アキラさんも無事に戻れないばかりか、おそろしいテロを阻止することもできなくなるのです」
確かに彼女の言う通りだ。キジマは次の言葉を見つけられなかった。
「所長、わたしなら大丈夫です」
気丈に振る舞う吉沢に、思わずキジマは大きな声を出した。
「許可できないと言っているだろう」
感情的なキジマに対し、吉沢はあくまで冷静だった。
「許可は不要です。これはわたしが独断で行うことです」
キジマには、その気持ちが痛いほどわかった。許可すれば、それは所長の責となる。だから彼女は、そう言っているのだ。しかしその作戦は、どう考えても無謀にしか思えなかった。
「なんであれ、ここの責任者は私だ。そしてこれは、きみの安全のためなんだ」
「こうなった以上、だれかが危険を冒さなくてはならないことは、所長が一番よくご存知のはずです。すでに所長はそうされました。次はわたしの番です。いまそれができるのは、わたし以外にいないのです」
私が迂闊だったばかりに、タカハラにつけ入られ、大事な研究を利用され、大勢の人の命まで脅かす事態になってしまった。そしてさらにヨシザワまで……。この私の命で済むのなら喜んで差し出すのだが、それではもうおさまらない。そう思って唇をかむキジマの耳に、またヨシザワの声が届く。
「コウスケさん、敵の攻撃の間合いを教えてください」
「コウスケ、ちょっと待て」
「所長、迷っている時間はありません。もうこうするしか、方法がないんです。それにはタイミングを合わさないと、危険が増すだけです。コウスケさん、お願い」
「さっきアキラが敵をまとめてやったから、いまやつらは摺鉢山の上だと思います。少なくとも二分、これまでの攻撃の間隔からすると三分ほどの時間があるはずです」
ためらいがちにコウスケがそう告げた。
「コウスケさん、ありがとう」
すべての準備は整っていたようで、すぐに前方に霧が立ち込め、人の影が浮かんだ。
「キジマさん、これは……」
これまでと違うその様子に、アキラの悲痛な声が響いた。
「クソッ、やっぱり無理なんだ」キジマは戦車の操向ハンドルを、力まかせに殴りつけた。
目の前に現れた霧は消えず、人影はぼんやりと揺れるだけで、いつまでたっても実体とはならなかった。
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