第16話 乗っ取り1

 到着した吉沢から興信所からの報告書を見せてもらっていると、白井室長から貴島の携帯に電話があった。なんだって今朝はこんなに電話ばかりかかってくるんだ。嘆息しながら電話に出たものの、その内容に貴島は先ほどの吉沢の報告以上に驚かされることとなった。不安そうな眼差しで見つめる吉沢に、すぐに研究所に行くことを伝えて電話を切った貴島はその内容を話して聞かせた。

「大変なことになった。システムが……、CVRSの全システムが……」

 貴島の態度にいやな予感が現実となったことを悟った吉沢は、平常心を見失い言葉の出ない貴島を落ち着かせるように、しっかりとその目を見つめて促した。

「システムがどうしたんですか? ダウンしたのですか?」

「いや、稼働しているが、こちらからのコントロールをまったく受け付けないそうだ。どうやら、乗っ取られたようだ」

 その意味が理解できず、吉沢はただその言葉を繰り返した。

「乗っ取られた? 乗っ取られたって……」

「クラッカーだ。どこかで誰かが我々のシステムをコントロールしていて、研究所からは手も足も出ない状況らしい」

 おそるおそる吉沢の口が開いた。

「いま、中には誰か入っているんですか?」

「プレイヤー候補の上杉晶くんと、高原くんが入っているそうだ。状況のモニターはできるそうだが、なぜかシステムの安全装置がキャンセルされているらしい」

「所長、すぐに向かいましょう」


 二十分後に研究所に到着したふたりが目にしたのは、泊まり込みでCVRSの完成にかかっていた所員たちが、どうにもできずに雁首を並べている姿だった。改めて白井室長から報告を受けた貴島は、ショックのあまり一時停止してしまいそうな思考をなんとか動かそうと集中した。

 これは非常に具合の悪い状況だぞ。どこかに突破口は見つけられないだろうか。目を閉じたまま考え込む貴島の頭の中を読み取るように、白井が続けた。

「現状のままでは、ふたりを連れ戻すことができません。どうしたらいいでしょうか」

 どうしたらと言われても、コントロールが手元にない状況では、なにをすることもできない。コンピュータの電源を切る時にシャットダウンの手順が必要である以上に、CVRSはきちんとログアウトしてからでないと装置からの切り離しができない。もし安全装置が作動しない状況で下手に電源でも落とそうものなら、ダイレクトにつながっている信号の影響を、脳神経がモロに受けることになる。そうなったらふたりの脳に、重大な損傷を与えてしまう可能性があるのだ。

 稼働中にシステムが乗っ取られるなどあり得ないはずだし、なぜ安全装置が解除されているのかも不明だ。疑問だらけの現状だが、ただ手をこまねいているわけにはいかない。大きく息を吐いた貴島はようやく目を開いた。

「とりあえず電源だ。通常電源が切れることはないと思うが、念の為にもう一度、無停電装置と自家発電機の確認をしてくれ」

「それはもうすでに確認済みです」

 室長の補佐に当たっている長田昭信が即答した。

「中の詳しい状況はどうなっている?」

「映像は見えませんが、サーバ内のデータをテキストとして読み取って、大まかな内部状況を把握しております。田中くん」

 モニターを監視し続けている田中が、顔はそのままに口だけ動かした。

「現在稼働中のCVRSですが、五人の反応が確認できます。こちらからログインしている高原、上杉の端末二台の他に、三台の端末が接続中。いまモニターに表示されている情報から、グーグルを使用していると思われます」

「グーグルだと?」

 プログラムの文字の並んだモニターを見つめていた貴島は、眉を持ち上げてデータを読んでいる田中をにらんだ。

「その件に関しては、グーグルと交渉に当たっていた長田さんが詳しいかと」

 貴島の鋭い目が田中から移動すると、長田は困ったように顔をしかめた。

「ええ、しかし正式契約はまだ先の予定です。いまのところは開発用に仮契約で使用しており、グーグル・マップのデータを元にゲーム用にマップをいくつか作りました。さっきまで使われていたドイツのサーキットマップは現実と寸分たがわないリアルタイプの方ですが、三十分ほど前にマップがシューティングゲーム用のデフォルメタイプに変更され、それと同時にこちらのコントロールが奪われたようです」

「それで、いまの場所はどこだ?」

 プログラムの文字の並んだモニターを見つめていた貴島は、眉を持ち上げてデータを読んでいる田中に再び視線を戻した。

「マップのデータによると、北緯二十四度四十五分二十九秒、東経百四十一度十七分十四秒、東京都小笠原村、硫黄島です」 

「硫黄島?」

 貴島は田中をにらんだままそう繰り返した。しかし彼はモニターから目を逸らすことなく、ただうなずいただけだった。代わりに長田が答えた。

「硫黄島は第二次大戦の激戦地であり、資料も豊富なためFPSに利用するには最適で、これまでにもいくつものゲームがリリースされています。IEはホームページの製品情報にもその場所を掲載していました」

 無言で腕組みしたままの貴島に、吉沢が暗い顔で続けた。

「中にいる未確認の三人ですが、IEの者と考えて間違えないでしょう」

 画面をスクロールさせながら、貴島は小さくうなずいた。

「もちろん、そうだろう。接続できる端末はここに三台と予備機の二台、他はIEに送った三台だけしかないんだからな」

「ではクラッキングは、IEの仕業ということになるのでしょうか」

 貴島を見つめた吉沢が、不安げにつぶやく。

「さっきブラウンが電話で、早く引き渡してくれと言ってきていたのだが、途中で連絡があってそれ以上話せなかった。引き渡しがいつになるかわからないと見たIEが、予定を変更して強引な行動に出たのだろうか」

「しかしそこまでして、彼らはなにを急いでいるのでしょうか」

「わからん。でもなにか我々の知らない目的があるのかもしれない」

 その時、朝永がシステム室にやってきて、遠慮がちに貴島に声をかけた。

「すみません、貴島所長。お電話がかかっています」

 飛び上がるように振り向いた貴島は、かみつくように朝永に尋ねた。

「IEのブラウンさんかね?」

 その勢いに怯えたように一歩下がった朝永は、小さな声で答えた。

「いえ、先日プレイヤー候補の面接を受けに来られた、佐久間さんです」

 くるりと朝永に背を向けてまたモニターに向き直った貴島は、そのまま冷たく言い放った。

「いまはそれどころじゃないんだ。また来年にでもかけ直してもらってくれ」

「これだけは伝えてもらいたいと言われたんですが……」

 ライオンに向かうウサギのような朝永は、それでも勇気を振り絞って伝えるべきことを伝えようとした。貴島は返事をしなかったが、朝永は続けた。

「現在の緊急事態に対処するため、また上杉さんを無事に取り戻すために、どうしてもお話しがしたい。そう佐久間さんはおっしゃっています」

 今度はゆっくりと、貴島はその顔を朝永に向けた。そして先物取引を持ちかけてきた詐欺師でも見るような目をして聞いた。

「どうして彼が、我々の現状を知っているのかね?」

「詳しいことはわかりかねますが、佐久間さんは重要ななにかを知っているそうです。そしてその対処法についての相談がしたいとおっしゃっていました」

 ますます小さくなる朝永の声だったが、その言葉に貴島は、道に迷った子供のような視線を辺りにさまよわせた。

「所長」

 貴島がハッとしたように声の主を見ると、そこには吉沢のまっすぐな視線が彼を見つめていた。

「佐久間さんのお話を聞くべきでしょう」

 ようやく自分自身を取り戻したように、貴島は二、三度うなずいた。

「私の部屋で取ろう」

 そう応えると、佐久間からの電話に出るために、駆け足で所長室へと向かった。

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