第15話 戦場へ

 ぼくだと言われても、リスに知り合いはいないアキラには、一瞬なんのことかわからなかった。しかしじっとそのかわいらしい姿を見つめていたアキラは、すぐにその正体に思い至った。

「コウスケなの?」そう聞くと、リスはまた言葉を発した。

「そう、コウスケだよ。アキラ、よく聞いて……」

 よく見るとそのリスは粗いポリゴンでできていて、完璧なまでの周囲の風景とはまったく違っていた。そのポリゴン・リスの小さな声が、切れ切れにアキラの耳に届いた。

「まずいことになりそうだ。できるだけ……、ここを……」

「えっ、なんて?」

 よく聞こえなくて、アキラはさらにリスに顔を近づけた。しかしリスの姿は電波障害でも起こしたテレビ画像のように、ブロックノイズがかかり、何度か明滅を繰り返したと思うと消失した。

 同時に周囲の景色が、霧に包まれたようにかすんだ。一瞬すべてが真っ白になったが、すぐにその霧は晴れた。

 アキラは目をしばたかせて周囲を見回した。さっきまでさわやかな青空の下、太陽がふりそそぐ緑の森のサーキットにいたはずなのに、いま目の前には未舗装の茶色の地面と、いくつかそっけないコンクリートの建物が見え、そしてその向こうには遠い海原が続いている。周囲のほとんどは海のようだが、下り坂の向こうには島影が見えている。どうやら島の端にある小高い山の上にいるようだ。

 周囲の様子の変化に驚きながら、確かにしばらく前ここに来たことがある気のするその景色を見回していると、アキラは背後に気配を感じた。振り返ると、いままで誰もいなかったはずの空間に、三人の兵士が立っている。そしてその少し離れたところから、一緒にテストを受けたコウスケと名乗るマッチョが歩いてくるのが見えた。びっくりして尻もちをついたアキラを、近づいてきた四人の兵士が見下ろし、そのひとり、偽コウスケが口を開いた。

「アキラ、急に予定が変わった。いきなりだが、これから最終段階に入る」

「最終段階って……」突然のことに戸惑うアキラに向かって、隣りの兵士がなにか言った。わずかなタイムラグがあって、その言葉がアキラの耳に届く。

「これから実戦を経験してもらう」

「実戦?」

「戦場を体験してもらうことで、プログラムの動きに慣れて、システムと無理なく融合するのだ」

「心配しなくていいよ。感覚的にはリアルだけど、これはすべてVRの中の出来事に過ぎないからね」偽コウスケがどこかで見たような笑顔を浮かべながら、アキラの不安を拭うように続ける。

「簡単にこれからのシナリオを伝えておくね。まずきみはこの島で、AIを相手に戦闘をしてもらう。この山を下りたところがきみの持ち場だ。北東の方角にある飛行場を占拠した敵が攻めてくる。その敵から飛行場を取り返すべく、まずは自陣を守ることが任務となる。このプログラムをこなすことで、きみの頭の中とシステムは限りなく完璧にシンクロするだろう。そのために一時的にきみの記憶は抑制されることになるけど、それによってこの世界は本当の現実と同じものとなるんだ」

「ちょっと待ってよ」アキラは思わず声を荒げた。「記憶が抑制されるってなんだよ。そんなことしたら、なにが現実かわからなくなるんじゃないのか?」

 CVRSのリアルさを知るアキラは、底知れぬ不安に身震いした。三人の兵士は無表情にアキラを見下ろしていたが、偽コウスケだけは笑顔を絶やさなかった。

「それがこのシステムの最終目標なんだよ。いままでの記憶に邪魔されることなく、VRの世界を満喫できるんだ。RPG(ロールプレイングゲーム)にしろ、FPS(ファーストパーソンシューティング)にしろ、ドライブシムにしろ、完全にその世界に没入できるわけだ」

 記憶をなくし、戦場に放り込まれる。以前どこかでそんな経験をしたことがある気がして、その不気味さに口を開きかける。しかしアキラが言葉を発する前に、さらにその説明が続いた。

「大丈夫だ。記憶がなくなるわけじゃない。そのプログラムが創り出す世界に関する情報のみを脳が知覚し、それ以外が抑制されるだけだ。プログラムが終了し元の世界に戻れば、記憶は戻る。なにも問題はない」

 四人の兵士を前にして、アキラが感じていたのは、恐怖と、不安と、そしてそれ以上の不満だった。なんだか聞いていたことと、違うんじゃないか。急に予定が変わって、最終段階ってなんだよ。それに……。

「問題ないのは、そっちだろ。こっちにとっては、問題だらけだ。だいたい、あんたはサクマコウスケじゃない」

 アキラのその言葉に、偽コウスケはちょっと困ったような目を隣に並ぶ三人に向けた。アキラはさらに追い詰めた。

「わかってるんだよ。あんたはタカハラさんなんだろ。一体どういうことなんだよ?」

 打算と虚飾に満ちたいつもの笑顔に、さらに尊大さが加わったように思えた。だが声の調子は変わらなかった。

「その方がいいと思ったんだけどな。まあ、仕方がない。入ってしまえば同じことだから、このまま最後までつきあってもらうよ」

 となりの兵士の方を向いた偽コウスケが、なにかささやいた。耳につけたマイクを通じて、兵士がどこかに連絡をしたようだった。

 一人と四人が向き合ったまま無言の一瞬が過ぎ、再び辺りを白い霧のような光が包んだ。


 気がつくとそこは、背丈より少し低い程度に地面を掘った溝の中だった。すぐにここがどこかわかる。これは塹壕で、ここは戦場だ。

 塹壕から少しだけ顔を出すと、そこには草原が広がっていた。振り返ると、背後には小高い山。その上には白い雲。

 ここが戦場で、これから戦闘が始まることはわかっていた。だがアキラには、自分が誰で、どこから来たのか、なにもわからなくなっていた。

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