第14話 吉沢の過去

 インテグレート・エクスペリエンス社のジェンソン・ブラウンという人物は、どこか言い知れない翳がある。初めて会った時から、吉沢由香はそう感じていた。

 人当たりのいい笑顔の奥に、なにかを隠している。以前、吉沢は対人関係でのトラブルで、立ち直れないほど痛い目を見たことがあった。その時から彼女は、そんな胡散臭い雰囲気には人一倍敏感だった。

 大学で人工知能の研究をしていた吉沢は、トップクラスの成績と気の利く性格、そして端麗な容姿によって、師事する教授にとても気に入られていた。その教授がケンブリッジ大学の教授と親しい仲で、教授のお供でイギリスに同行したことがあった。だからブラウンがカンタベリーの出身だと聞いた時、イギリスの話を振ってみた。しかしなぜか彼は、カンタベリーのことも、ケンブリッジについても語らなかった。実はその辺りのことはなにも知らないのではないかと思うほど、その様子はどこか不自然に思えた。

 それともうひとつ気になることがあった。インテグレート・エクスペリエンス社は、ベンチャー・キャピタルによる新興のゲームソフト会社だと聞いていた。これまではなんの実績も持っていないが、今回初めてゲームソフトを製作、販売するにあたり、VRLが開発した新しいVR技術を使うことで、エポック・メイキングな商品となるはずであった。IE社との取引にあたっては、本社の方に任せてあるから大丈夫だ。貴島所長からはそう聞いていた。しかし半年ほど前に発表されたそのホームページは、ごく形式的なものであり、また最近はその内容がまったく更新されていない。

 そのことが気になっていた吉沢だったが、高校の同窓会に出席した時、同級生の一人が起業して興信所を経営していることを聞いた。その旧友に相談してみると、身元調査ならお友達価格で引き受けると言われ、吉沢は個人的に調査を依頼していた。そして自宅に届いたその報告書の内容は、やはり吉沢の疑念を裏付けるものだった。

 それを見たのは、昨夜遅くに自宅に帰ってからだった。所長が有休休暇を取っていることはわかっていたが、興信所の報告書をできるだけ早く見てもらった方がいいと考えた吉沢は、次の朝一番に電話をかけた。そして直接話をすることとなった吉沢は、急いで貴島の元に向かった。


 六年前、吉沢は大学で人工知能の研究をしていた。貴島もその時は別の大学で脳の微弱電流を拾い出すセンサーと、脳の部位ごとに異なるそれを一般的な意味に変換するプログラムの研究をしていた。その内容に興味を持った吉沢が、共通の知人による紹介で貴島を訪ねたことがあり、それ以来ふたりの交流が始まった。

 目をかけてくれていた教授が急逝したことは、吉沢にとっても大きな不幸だった。亡くなった教授と敵対していたはずの教授が、その後の処遇について配慮してくれ、その教授の助手という地位を与えてくれた。不思議に思いながらも、吉沢は彼の好意に甘える形で大学での居場所を得た。しかしすぐにその研究室で情報漏洩のトラブルが発覚した。漏洩した情報自体、新米助手である吉沢の扱えるものではなかったが、大学において教授は絶対であった。結局その教授に政治的に利用された吉沢は、責任を取る形で辞職することになった。

 その話を知った貴島は激怒し、自分も協力するから訴えるように勧めてくれたが、吉沢はすでに闘う気力もない状態だった。大学を辞め、極度の人間不信に陥り、家に引きこもってしまっていた。

 ちょうどその時、貴島の研究を高く評価する企業から、新規事業として研究所を立ち上げる話が持ち込まれていた。その所長となった貴島は、自分の元に吉沢を引っ張って来ることで、彼女の人生に再び研究の道を開いた。それから六年、吉沢は貴島の助手として仕事をこなし、また自らの研究も続けることができた。吉沢にとって、貴島は人生の恩人であった。

 必ず所長の夢を実現させる。それこそがわたしにできるお返しだ。

 貴島の夢。それはVRとあらゆる人生の融合だった。仮想現実による人生の追体験。その遥かな夢を貴島の口から聞いた日から、その実現が吉沢の最大の目標になった。


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