第9話 晶の人生

 その夜、わたしは自室で考えた。これまでの投げやりな人生を、いま一度見つめ直していた。

 高校卒業後、わたしはフリーターとして職を転々とした。入学した時には大学進学を当然のように考えていたが、高校三年のわたしは人間嫌いを極めていた。やりたいと思うこともなく、ただ毎日を惰性で過ごしていた。

 進学するつもりはない。そう父に告げることは、相当な覚悟が要った。上昇志向の強い父は、きっと激怒するだろう。半分はそう考えて身構えたが、残りの半分はこの気持ちを父が理解してくれるのではないかとも思っていた。

 以前、わたしは父に禅寺に連れて行かれたことがあった。有無を言わさない強制に不満がないわけではなかったが、それによって自分が救われたことも事実だった。普段は必要最低限しか話さない父。しかし本当に助けが必要な時には手を差し伸べてくれるはずだ。そんな信頼感があった。

 わたしの宣言に、しばらく父は無言だった。しかし怒り出すことはなく、ゆっくりと時間をかけて話を聞いてくれた。そして納得したようだった。

 わたしも人の気持ちはわかる方だって思っていたけれど、この人にはかなわないな。

 じっと瞳の奥を覗き込んでしばらく話をしただけですべてを察した父を、わたしはその時そう思った。自分自身その心の内を完全に理解していたわけではなかったけれど、しかしあの時、父親がその進路を強制し望まない方向へと進んでいたとしたら、いまのように冷静に人生を考えることもできなかったのではないだろうか。

 おまえの本当にやりたいことはなんだ。

 そう聞かれても、答えられなかった。口ごもるわたしに、いままで真剣な顔をしていた父は、急にやさしくほほ笑んだ。

「そんなもの、おまえの歳でわからなくても不思議じゃない。だから四年間なにかを学びながら、ゆっくり考えると言うのもひとつの方法だと思う。しかしそうしたからと言って、その答えが得られるとは限らないし、もしかしたら一生わからないかもしれない。それならそれでいいんだ。ただひとつ忘れないでもらいたいのは、常に自分の気持ちに正直に、やりたいことはなにかを考えることだ。そうすれば流れがきた時に、そのチャンスをつかむことができる。あるいは結局、やりたいことなど、なにもできないままかもしれない。でも自分の人生を、自分のやりたいように望むこと。そうやって生きること。それこそが重要なんだ。結果がどうなるかは、運もあるだろう。でもその未来を夢見ること。自分の可能性に挑戦し続けること。それができれば少なくとも、その人生は不幸とは言えないはずだ。まあ、おまえの人生だ。好きにすればいい」

 一見、親としての責任を放棄したような台詞だったが、わたしにはわかっていた。それが傷ついた娘を、それ以上追い詰めないためのものであることを。

 チャンスをつかむことができる。その父の言葉が、また脳裏によみがえる。

これはチャンスなのだろうか。確かにこれは、この閉塞感だけの人生を打開する好機かもしれない。やりもしないうちから思い悩むより、挑戦してみるべきかもしれない。

 なによりこれは、自分のやりたいことだ。あの時、貴島さんはこう言った。私は単にすぐれたゲームプレイヤーを探しているのではありません。このシステムの可能性を広げる開発者として、一緒に頑張ってもらえる人を求めているのです。

 そう、この仕事は単にゲームの製作という枠を越えた、もっと大きな夢を与えてくれるものだ。CVRSというシステムがいかにすばらしいものであるか、貴島さんは聞かせてくれた。確かにあの体験を、ゲームだけではない多くの可能性へと広げることができれば、その努力は人生そのものの意味としての価値を持つだろう。実際ゲームはこのシステムの実現へのひとつの手段に過ぎない、と彼は言った。

 それに貴島さんは、わたしの採用に乗り気のようだ。どうしてわたしがあのシステムと相性がいいのかは簡単にはわからないそうだ。しかし彼は、今後の実用化への手掛かりを得るためにも協力してもらいたい、とそう言った。そして最後には、いつから来られますか、と聞かれた。

 これって、もう採用決定ではないか。その時はそう思った。いまお世話になっているガソリンスタンドに迷惑をかけることはできませんので、そちらとも相談の上でお答えさせていただきます。あまりに急な話だったものだから、即答することもできず、ひとまずはそう返答した。

 しかし研究所の正門まで送ってくれた高原さんの態度は、それとは少し違った。もう一度詳しいテストをした上で、その結果よって最終決定させていただきます。そう彼は言った。貴島さんと高原さんの温度差を疑問に思いながらも、自分自身が考える時間の欲しかったわたしは、了承してその場をあとにしたのだった。

ガソリンスタンドの責任者は、わたしが辞めることを渋った。わたし自身は、やはりVRLの仕事に惹かれるものを感じていたが、そちらの採否がはっきりしないものだから、最終決断は先延ばしとなっていた。


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