第6話 戦場の予知夢2
スパイク・ミサイルによって戦車が撃破されると、バラバラと敵の歩兵が藪の中に逃げて行くのが見えた。緊張と不安が和らぐ放心したような空気が、辺りに流れる。
ホッと息を吐いて、空を見上げる。青い空にところどころ白い雲が浮かんでいる。目を下ろすと、岩のちらばる草原に藪が散在している。そしてそのずっと向こうに見えるのは、滑走路だ。海風が藪を揺らし、頬を撫でる。
ここはどこ?
ふと頭をよぎった疑問に、言い知れぬ不安が重なる。
この不安はなんだろう? 知っているはずのことを思い出せない、そんな不安。こんなところには来たことがない。知っている場所ではない。
でもここは明らかに戦場だ。自分はこんなところで、なにをしているのだろう。なぜ戦争に参加しているのだろう。どうして兵器の使い方や知識を持っているのだろう。
なにかを知っているはずだ。そして重要ななにかを忘れている気がする。
出し抜けに気がつく。その重要ななにかこそ、この疑問と不安のすべての答えなのだと。
では、と心を落ち着けて、考えてみる。
自分はどこから来たのだろう? 思い出せない。
どこに住んでいたのだろう? 思い出せない。
名前は? 年齢は? 性別は? 矢継ぎ早に思いつくすべての問いに、なにひとつ答えられない。
自分は何者で、なぜここにいるのか。
その手掛かりを探すように辺りを見回すと、少し離れたところに誰かが立っている。よく見るとそれは、先ほど鬼のような顔でスパイクを撃てと命じた曹長だ。しかしいま遠い地平にその目を向けた彼は、まるで案山子(かかし)のように見える。妙に静まり返った戦場を、潮の香りのする風が吹き抜ける。また急に不安が押し寄せてきて、どうしたものかと藪の向こうに視線を向ける。
「さっきは、ありがとう」
後ろから声を掛けられ振り向くと、戦車にRPGをぶっ放したあの兵士がいた。階級は同じ二等陸士だ。
「大丈夫だった?」その勇気に感心しながら、彼の無事が本当にうれしかった。
「ああ、きみのおかげで助かったよ」そう言ってフレンドリーに笑い、手にした双眼鏡で遠くを見る。彼なら教えてくれるかもしれない。
「あの、聞きたいことがあるんだけれど」
「なんだい」
その柔らかな表情は、向こうに立つ案山子の曹長とは全然違う。あの曹長はまるで人形のようだから、聞いても無駄な気がする。
「ここはどこ?」
「ここは戦場に決まってるじゃないか」前方を索敵しながら、彼は当然のことのように答える。
「いや、そう言う意味じゃなくて、日本とかアメリカとか、地理的な場所はどこなのだろうか?」
一瞬、目の前の二等陸士の動きが止まる。そしてゆっくりと、不思議そうな目をこちらに向けた。
「それはこの戦闘とは、なんの関係もないことだ」
それだけ言うとまた、彼は静かに双眼鏡をのぞき込む。その横顔に再び、不安が頭をもたげる。
「ここがどこであるかは、重要だと思うよ。場所によって、戦術も変わってくるかもしれないし」
小さな子供を相手に話すような口調で、彼は前を向いたまま口を開いた。
「きみは不思議なことが気になるんだなぁ。そんなことを考えていては、戦闘に集中できないだろう」
不機嫌に黙り込んだ態度が気になったかのように、彼は双眼鏡から目を外すと、やさしい眼差しでこちらを見た。
「あのなぁ」さらにその口調を和らげながら続ける。「ここがどこかなんて、おれも知らないんだ。誰も知らないし、知る必要もない」
「しかし……」そんなバカなと思いながらも、質問を替えてみる。「ではあなたは誰で、わたしは何者?」
また一瞬、彼の動きが止まり、またすぐにそのやさしい表情のままその先を続けた。
「記憶喪失みたいなことを言わないでくれ。おれはこの部隊の二等陸士だ。そしてきみもまた同じく二等陸士だ。それ以上のことは、誰も知らないし、知る必要もないことだ」
妙な会話に首を傾げながらも、表情には出さないようにした。
「ではわたしはここに配属される前、どこにいたのだろうか」
「そんなことはこの戦場で、必要なことではない。ここは戦場で、きみは兵士だ。ここでしっかり自分の仕事をすれば、それでいいんだ」
そう言うと、彼はくるりと背を向け、そのまま歩いて行こうとする。
「ちょっと待って」
二等陸士は足を止め、ゆっくりと振り向いた。同じようなやさしい表情に、ホッとして続ける。
「どうしてここではなにもかも、わからないことばかりなんだろうか。どこで生まれたのかもわからない。自分の名前も、住所も覚えていない。どうやってこの戦場に来たのか、それもわからない。本当にわたしは、記憶喪失なんだろうか」
ほとんど半泣きになって訴えると、彼の動きがまた、完全に止まった。だがすぐに、なにかがカチリとつながったように、その面にさらにやさしい表情が浮かんだ。
「いつだって、人生とはそういうものだ。誰にも本当のことなど、わからないものだ。この世界にしたって、どんなものかなんて誰も知らないじゃないか。この草原を抜けて、あの海を越えて、その先になにがあるのか。多分、そこにはまた陸地があり、草原があるのだろう。そしてそこに兵士がいれば、そこが戦場となるのだろう。世の中、そんなものだ。ラプターに乗って月まで飛んで行ったとしても、世界はそこで終わりじゃない。さらにその先になにがあるのか。そんなことは誰にもわからないし、わかる必要もない。それがわかるのは、神だけだ」
F―22がいくら優れていたって、戦闘機じゃ宇宙には出られない。そう思いながら、また背を向けてしまう前に急いで質問する。
「では神は、実在するのだろうか」
一瞬の間をおいて、彼は少し驚いたような顔をした。
「あたりまえじゃないか。神がいなければ、いったいどうして、この世界ができたと言うのだ。そしてこの戦闘の勝敗も、また神のご意思だ。我々はただ、そのご意思に沿うように、与えられた任務を懸命にこなすことしかできないのだ。そう思うだろう?」
話すにつれて慈悲を深めていくようにそう語ると、最後に計算しつくされたような完璧な笑顔を浮かべた。
「それでは、神のご加護のあらんことを」
小さくうなずいた彼は、牧師のような顔をして去って行った。神を持ち出されてはそれ以上を聞くこともできず、ただその後ろ姿を見送るしかなかった。
――神――。このキーワードが、すべての謎の免罪符なのだろうか。
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