第5話 富士スピードウェイ

 研究所を出ると、晶は携帯から航佑にメールを送った。しばらくして返信があり、そのドライブの誘いは了承された。もちろんオンラインゲーム内のドライブである。

 レースゲームソフトのオンライン対戦を通じて、フレンドとなって約半年。腕は一流だが決して無理をしない航佑の落ち着いた走り方が晶の気に入り、いまでは個人的な会話もするようにもなっていた。お互い近くに住んでいることはわかったが、晶は敢えて直接会うことはしなかった。

 会えばきっとまた人間嫌いな性格が出てしまい、いい関係が壊れてしまう。そう思った晶は、実際に会ってみないかとの航佑の誘いをあいまいに断っていた。歳もあえて聞かなかったが、会話からなんとなく年下である気がしていた。ひとりっ子の晶には、弟でもできたような気分だった。ネットを通じた仮想の友人関係なら、きっと長続きする。その気持ちは航佑にもよくわかった。だからそれ以上の進展はなく、時々メールで連絡を取っては、気軽なオンラインゲームを共にする時間を楽しんでいた。

 夕食後、時間がくると晶はゲームを立ち上げた。すでに航佑は準備できていたようで、すぐにゲームが始まった。この日、晶が選んだコースは、富士スピードウェイ。F1レースも開催されたことのある、千四百七十五メートルもある長いメインストレートを持つ高速コースだ。コース幅も広く、ランオフエリアも十分にある。遠くに富士山を眺めることもできて、晶のお気に入りコースのひとつだった。

 晶の乗るインテグラ・タイプRは、コウスケの86(はちろく)より古いけれど、さすがにホンダVテックはパワーがあった。ドライブは航佑の方がうまいから、そのパワー差があって丁度いい感じだ。それに懸命にギリギリの走りで勝負するより、抜いたり抜かれたり、お互い譲りながら、余裕を持って走るのが常だった。晶はこの時間が大好きだった。

 後ろにインテRを従えたまま、2周目に入った航佑の86が1コーナーを抜け、2コーナーに向かってゆっくり下っていた。ボイスチャット用のヘッドセットからお互いの声がよく聞こえる。ゆっくりと走りながら1周目に今日あったことを伝えられた航佑も、その新型VRに興味を持ったようだ。

「バーチャル・リアリティー・ラボラトリー。VRLって言うんだけどね。名刺には仮想現実研究所って書いてあった」晶は興奮を抑え切れず、早く自分の体験したことを話したかった。「まあ、とにかくすごかったよ。なにもかも現実とまったく変わらないんだ。視覚や聴覚だけじゃなくて、触覚もリアルだし、匂いもね。とてもバーチャルとは思えなかったな」

「へぇー、それはすごいな。いい体験ができたね」100Rをインベタで回りながら、航佑はうらやましそうな声を出した。「ところでVR酔いは大丈夫だったの?」

「それが全然。終わって現実に戻った時に少しだけ違和感があったけれど、それもすぐに戻ったよ。なにしろ全感覚がVRの中に入ってるから、いままでのように視覚だけが動いて実際の体は動いてないっていう、感覚の不一致がないんだ。それでも多少の個人差はあるらしいんだけど、わたしの場合システムとのシンクロが非常にうまくいったそうで、めずらしいくらい相性がいいんだって」

「じゃあ、その開発スタッフに採用されるんじゃないかな」

「それはまだだよ。今度もう一回本格的なテストをして、それに合格したら採用されるそうなんだ。でもね……」

 そこで初めて晶の声が鈍った。コースは後半のテクニカルセクションに入っていた。ミラーの中にピッタリ着いてくるインテRを見ながら、航佑はやさしく尋ねた。

「なにか気になることでもあるの?」

「気になるっていうか、ちょっと心配なんだけれど、頭の中に直接作用するって、大丈夫なんだろうかって思うんだ。実際にはコードのいっぱいつながったヘルメット型のヘッドセットっていう装置を被るだけなんだけれど、そこから強力な電磁波かなにかが出ていたりしたら、どうなのかなぁ。航佑、どう思う?」

 そう言われれば確かに、外側から頭の内部の脳神経につながるとは、どういう仕組みなんだろうか。航佑もなんだか心配になって、最終コーナーで減速が遅れて大きく膨らんでしまう。コース外に飛び出した86を、きれいに立ち上がったインテRが抜いていく。

「うーん、そうだなぁ」コースに戻った航佑が全開加速し、晶はミラーの中で小さくなった86を待って少しアクセルを緩める。長い直線を二台が加速し、ストレートの中程でコースの左側を走るインテRの横を、スリップストリームから抜け出した86が一気に追い越した。その思い切りのよさとは真逆の声が、ヘッドセットから響いてくる。

「よくわからないけど……、まぁ一般の人を使ってテストするまでできあがってるんなら、いわゆるベータテストの段階だろうから、大丈夫なんじゃないの? 実際今日も大丈夫だったんでしょ?」

 ストレート・エンド。右に回り込む1コーナーに備えて86が減速し、晶は追突しないように、早目にブレーキをかける。

「でもスタッフの採用試験でもあるんだから、まだアルファ版かもよ。ところでさぁ」6速から一気に2速まで落としながら、晶は続ける。「その研究所の高原さんって人に、紹介したんだよ。わたしの先生のこと」

「先生って誰?」いぶかる航佑の声に、晶は思わず笑顔になる。

「わたしの先生って言ったら、航佑しかいないじゃん」

「えーっ」大きな声と同時に、パワーをかけ過ぎたか、1コーナーの立ち上がりで86のリアが大きく流れ、一瞬だけタイヤスモークに視界が遮られる。

「ぼくって、晶の先生なの?」

「そうだよ。だからそんなミスしてちゃダメだよ」クスクス笑いながら、晶はきれいに加速して、続く下りで航佑の前に出た。

「航佑だって、興味あるでしょ」そう聞く晶のミラーの中に、航佑はまたすっぽりと収まった。

「確かに。テストだけでも受けてみたいもんだな」

「そう言うと思ったよ。わたしよりずっとうまい友達がいるから紹介しますって、高原さんに話したんだ。そしたら高原さんも、会ってみましょうって言ってたよ。あとで高原さんのアドレス教えるから、連絡してみなよ」

「そうだなぁ。じゃあ、その前に、先生の腕前を見せてやるとするか」

 航佑はめずらしく意気込んだ声でそう言うと、アドバンコーナーでインをついて前に出た86が、猛然とダッシュする。あわててひとつギアを落とした晶も、離されないようにVテックを効かせて加速した。やっぱりレースもいいね。そう思った晶は、懸命に86のテールに食らいつきながら言う。

「ここからは真剣勝負だよ。負けたら先生の肩書は返上してもらうからね」


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