第4話 謎の洋館(バイオハザード風)

 手の中ではS&W M19が、ズシリとした重みと鈍い輝きを放っている。足音を忍ばせながら、板張りの廊下をゆっくりと進む。忍び込んだ洋館は、昼間でも薄暗くひんやりと湿った空気がただよっていた。

 この洋館のどこかに、出口に続く隠し扉があるはずだ。

 薄暗い廊下には、左に二つ、右に一つのドアが見える。手前にある左手のドアに手をかけ、そのノブを回す。蝶番のきしみに、心臓がギッと縮む。それほど広くない部屋には、小さな一組のテーブルと椅子が置かれているだけだ。窓には遮光のカーテンがひかれて、その隙間からのかすかな光が室内を照らしている。

 すばやく確認するが、薄暗い部屋に人影はない。壁には不気味にほほ笑む若い女の油絵が掛っているだけで、家具らしいものはない。静かに部屋に侵入し、壁を押してみたり、絵を持ち上げてその後ろを覗く。なにもない。

 忍び足で部屋を出ると、音を立てないように注意しながらドアを戻す。右手に銃を構えながら、またゆっくりと進む。次のドアもそっと開けてみる。同じような造りの部屋、奥の戸棚にはたくさんの本が並んでいる。

 と、その時。廊下の奥の方からかすかに物音が聞こえた。ドアを戻し、そのまま向かいのドアを素通りする。物音はさらにその奥からしているようだ。廊下の突き当たりにドアはなく、ぼんやりと光る空間が口を開けている。耳を澄ますと、音は確かにそこから聞こえてくる。

 細心の注意を払いながら板張りの廊下を歩き、そっと中をのぞく。部屋の中央に大きな木製のテーブル。壁には鍋がかかり、大きな食器棚が見える。ここは食堂だ。そしてシンクの手前にむこう向きの二人の人影が見える。一人は熊のような大男。その横に小柄な女性が立ち、シンクに向かってなにやら手を動かし、そしてその手を口元に持っていっている。なにか食っているのか。部屋の左手にある窓からの昼下がりの日差しが、農家の夫婦らしい後ろ姿を照らし出している。

 いや、もう一人いる。二人の間、その腰より低いところで両手を挙げているのは彼らの子供だろうか。女がその手から子供の口に、なにか与えているのが見える。

 距離7メートル。周囲を確認。この三人以外だれもいない。ここには先に進むことのできるドアもない行き止まりだ。このままそっとやり過ごすことができれば、それに越したことはない。そう考えてゆっくりと足を戻したその時。

 ギィ、と足元で床板が鳴った。

 サッと小柄な女の首が回る。血走ったその目が、こちらを捉える。ギェーッと踏みつぶされたヒキガエルのような声が、大きく開いた女の口から発せられる。その口からは真っ赤な血が垂れているのは見ることができたが、それ以上のことはよくわからなかった。となりの大男が体ごとこちらに向き直ったのだ。

 右手に三十センチはある包丁を持ち、左手にはこれまた血で染まった人間の腕が握られている。腕は肩の関節から切り取られ、血が滴っている。大男が獣のように吠えると、窓からの昼下がりの日差しに照らされて、口の中の細かい肉片が飛び散るのがはっきりと見えた。

 逃げるか、闘うか。考える暇もなく、大男が左手を振った。肘でくの字に曲がった切り取られた腕が、赤い滴を撒き散らしながらブーメランのように回転しながら飛んでくる。しかしそれは大きく右に逸れ食堂入り口の壁にぶつかり、そしてドタリと重たげな音を立てて落ちた。床の上でグニャリとうねる肉の柔らかさに、一瞬吐き気を覚える。

 くるりと背を向けると、いま歩いてきた板張りの廊下が、薄暗い光の中に延びている。向かって右手の二つのドアはもう確認しているから、あとは左側のドアだけだ。そう考えると同時に、左手のドアに飛びついてそのノブを一気に引く。しかし鍵がかかっているのか、ドアはピクリともしない。食堂に鍵が隠されているのだろうか。しかしそうだとすると、まずあの怪物ふたりを倒さなくてはいけない。それよりも……。

 銃を握る右手に左手を添え、その銃口を鍵穴に向けると引き金を引く。雷が落ちたのかと思うような大音響と同時に、ノブごと吹き飛んだドアに大きな穴が開く。そこから見える部屋からは、窓がないのか電球色の光が漏れてくる。

 グェーッ。ドアを開くと同時に、また不気味な叫び声が響くが、それはさっきよりずっと近くから聞こえてきた。振り向くと、大男がシンクの前からすでにテーブルのこちら側に回って来ているではないか。反射的に右腕だけで撃った1発は、腕ごと吹き飛ばされそうな反動に跳ね上げられ、背後の食器棚のガラスを砕いただけだった。

 距離3メートル。残弾は4発。冷静に状況を確認しながら、今度は慎重に両手で支えて腰を落とす。包丁を振り上げ重い足音を響かせて迫って来る大男の額に照準を合わせると、引き金に力を込めた。血しぶきをまき散らせ頭を半分吹き飛ばされた大男が、走ってきた勢いで足元に倒れ込む。

 女はこの包丁で、などと悠長なことを考えている余裕はなかった。目のすみに女の動きを感じてとっさに頭を下げる。その上の空気を切り裂き、同時に開いたドアがガツンと音を立てた。見ると女の投げた包丁が突き刺さっている。猿のようにテーブル飛び越え、目の前に迫った小柄な女の動きは恐ろしく速い。血まみれの両手でつかみかかって来られて、必死に薄暗い部屋に転がり込む。ドアに激突してひっくり返った女は、すぐに体勢を立て直しこちらに向き直る。直後に手の中のマグナムが火を噴いた。

 二人を仕留め、ホッと一息ついて部屋を見回す。天井から吊るされた石油ランプがぼんやりと辺りを照らしている。ランプは入り口付近と中ほど、そして部屋の奥の三カ所にある。部屋の壁のスイッチを入れると、中央のシャンデリアがまばゆく輝く。ゆっくりと進みながら、その部屋を調べる。テーブルが真ん中に置かれ、その周囲に椅子が置かれている。壁際の戸棚には、酒の瓶が並んでいる。戸棚を開けてみるが、別段変わったものではない。部屋の奥には暖炉が見える。

 外からの物音に、ハッと思い出す。そう言えば、子供がいたはずだ。嫌な予感に包まれながらドアから顔を出すと、すぐそこにその子供はいた。いや、さっき見たのは子供だったはずだが、いまそれはすっかり一人前の体形になっている。こちらに半ば背を向けた姿勢で倒れた大男の半分残った頭蓋骨の中に顔を突っ込み、白っぽい脳ミソをズルズルと吸っている。あまりのグロさに本当に吐きそうになり、次の行動が遅れる。栄養を補給すると大きくなるのだろう。見る見るその身体は膨れ上がり、あっと言う間に大男と同じかそれ以上に成長する。

 まずい。こいつがラスボスか。

 向こうを向いているうちにと、その背のど真ん中に弾丸を打ち込む。しかしボヨンとその身体はゴムのように震えただけで、跳ね返された弾が天井に大きな穴を開けた。ゆっくりと子供がこちらに向き直る。顔はあどけないままだが、目は獲物を狙う肉食動物のように鋭い。

 残弾1。こいつには銃は効かない。恐らく包丁も刃が立たないだろう。そう考えて素早く振り向くと、部屋の中を見回す。輝くシャンデリアが目に入るが、きっとこれではない。天井からぶら下がっている頼りない光を放つ石油ランプ。テーブルの前から引き出した椅子に乗ると、そのランプを手に取る。

 大きな子供はギラギラした目でこちらを睨みながら、ゆっくりと近づいて来る。その身体にランプを投げつける。ガシャンとホヤのガラスが割れ、パッと炎が広がる。悲鳴が上がり、大きな身体が火に包まれる。すぐに椅子から飛び降り、部屋の中央のテーブルに跳び上がる。続けざまに残るふたつのランプを命中させると、苦しそうに身悶えするその身体が溶け始めた。燃え上がる怪物に最後の一発をお見舞いすると、膨れた身体は風船に針を刺したように弾けて四散した。

 なんとか敵を殲滅し、周囲を見回す。やはりあの暖炉が怪しい。

 屈み込んでその中をのぞく。思った通り、やはり暖炉はダミーだ。使われた跡もなく、その奥の壁が扉のようだ。グッと力を入れて押すと、ガタリとなにかが外れて鉄板の扉が奥に引き込まれる。

 狭く薄暗いトンネルに潜り込む。すぐに立って歩けるほどに広がった空間を、壁に手を当ててゆっくり進む。しだいに壁自体が発光するように明るさを増す。どこかかび臭い湿った空気を吸いながら思う。

 なんて完成度だ。これが仮想現実の世界だなんて信じられない。ここまで完璧に単なるデータを脳に認識させるとは、これは確かに革新的な技術だな。トンネルを進みながらここに誘われたときの言葉がよみがえり、その認識を新たにした。

 一歩進むごとに、壁はますます明るさを増し、やがて前方が白く輝いたと思うと、その光にすべてが包まれる。


「お疲れさま」

 そう声が掛り、一瞬辺りが暗転した。そして誰かが頭にかぶった端末を外そうとしている。両手を使ってその動きを手伝った晶は、自分が研究所のVRルームと呼ばれる薄暗い部屋のシートに座っているのを思い出した。

 頭部から端末が外されると、目の前には高原が立っているのが見える。手にしたヘルメット型の端末を、高原は晶の座るシートの側面の所定の位置に戻した。

「どうだった?」

 そう尋ねられたが、晶はすぐに返答できなかった。まるで違う世界から、一瞬でこの世界に戻ったようだ。ついさっきまでいたあの洋館が、このフカフカのシートの上だったとは、どうしても信じられない。だがそれが新型VRなのだ。頭の中でそのことは十分に承知しているはずだが、すべての感覚が違う世界を体験した直後では、その経験こそが現実に思えた。晶は両手で顔を洗うように擦ると、二、三度まばたきをして、ゆっくりシートから立ち上がった。徐々にこの目の前の世界が感じられる。

「大丈夫?」

 心配そうな高原の顔が見えた。辺りを見回してから、ピョンピョンと飛び跳ねてみる。

「もう大丈夫」晶は真顔でうなずいた。「すごい体験をさせてもらいました」

 その反応に、高原がまた作り物めいた笑いを浮かべた。

「そうだろう。しかし戻ってすぐに立ち上がれるなんて、上杉さんが初めてだな」

「他の人はそうじゃないんですか? VR酔いってやつ?」

「まあ、酔いの一種だね。ひどい人は一時間もフラフラしていたよ。大丈夫なら、こっちに来てもらえるかな」

 分厚いドアを開けてVRルームを出た高原は、晶を従えて階段を上がると一階のシステム室に向かった。

「どうしてVRルームは地下なの?」

 来た時に聞きそびれた疑問を晶が口にすると、高原は振り向いて笑顔で答えた。

「CVRSのセンサーが、脳の微弱電流以外の影響を受けるのを防ぐためだったんだ。VRルームは地階で窓がなく、完全遮音、電波暗室となっているし、地磁気のシールド性もある」

「ほー、それはすごい」

「でもいまは技術的にクリアされたからどこでもいいんだけど、それでもより深い没入感のためには周囲に他の器機や人のいない場所がいいからここを使っているんだ」

 晶が感心しているうちに、システム室に到着した。中では何人もの所員が、画面を見ながらキーボードを叩いたり、プリントアウトした用紙をチェックしたりしている。部屋を奥まで進み、高原が所長室と書かれたドアをノックする。返事がありドアを開けると、大きな机の向こうの立派な椅子に座った白衣の紳士が、電話で話をしていた。部屋に入った高原と晶に目を向けると、軽く手を上げた。すぐに話は終わり静かに受話器を置いて立ち上がった五十がらみの男は、背は高いが細身でずいぶん神経質そうに見える。

「プレイヤー候補の方をお連れしました。いまCVRSのテストプログラムを終了したところです」

 高原の言葉に、白衣の男がうなずく。

「所長の貴島です」ニコリともせずそう名乗ると、晶に前の椅子を勧めた。

「上杉と申します」ペコリと頭を下げてから、晶は椅子に座った。

 高原からタブレットを手渡された貴島は、その画面を眺めながらしきりと首をひねっている。

「いまのテスト結果で、CVRSと彼女のリンクレートは九十六パーセントとなっているようだが……」

「ええ、非常に高い数値です。しかも接続時間は、わずか八分二十四秒でしかありません。今回が初めてであることを考えると、彼女なら短時間のうちに百パーセントのリンクが可能だろうと思われます」

 高原がそう答えると、貴島はまた信じられないように首をひねった。そしてその目を、タブレットから晶に移した。それは繕うことも、おもねることもない、ただ目の前の人間の真の姿を見抜こうとする、まっすぐな視線だった。

「いかがでしたか?」

 そう貴島に聞かれた晶は、いつもの心の鎧が剥がれていくような気がした。その目を通して、その心の底を垣間見たように思えた。そこにあったのは科学者の探究心であり、この現実のずっと高いところにある理想だった。社会という穢れを通さない、純粋な精神世界だった。

 それは一瞬の直観であり、晶自身そのことをはっきりと意識したわけではなかった。言葉ではなく心で、漠然とそれを感じ取ったに過ぎなかった。しかしその瞬間、晶は無意識に貴島に好感を持っていた。それがなぜかということまで詳しく考えなくとも、それで彼女が少しだけ他人に打ち解けるには十分だった。

「はい。とてもすごくて、なにもかも現実とまったく区別がつきませんでした。光も、音も、感触も、すべてが完璧でした。とにかく、本当にすごい体験でした」

 その感動を真剣に、必死に伝えようとした。かつて晶がこんなに素直だったのは、物心つく以前のことだったかもしれない。

 そんな晶を見て、貴島がクスリと笑った。高い山の雪が、春の日差しにわずかに緩んだような、かすかな笑顔だった。しかしそれは、高原とはまったく質の違うものだった。だから晶も、一緒になって笑った。


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