第2話 ゲームイベント

  人いきれのする会場の片すみに逃れた上杉晶(うえすぎあきら)は、肩の荷を下ろしたような気分にホッと息をついた。

 新作レースゲームのお披露目の会場。プロのゲーマーやeスポーツ選手権の優勝者、そして開発関係者も交えたエキシビジョン・マッチが開催されているのをただ見学していた晶は、予定していたひとりが欠席したために、急遽飛び入りの参加者として舞台に引っ張り上げられた。断り切れず、仕方なく参加した晶は、大勢の観客の注目の中、GT500クラスを使った鈴鹿サーキット3ラップレースにおいて、素人とは思えない落ち着いた試合運びで優勝を飾ったのだった。

 航佑(こうすけ)は来ていないかな。

 この日はバイトだと聞いていた。でも、やっぱり探してしまう。三度の飯よりゲームが好きなのは航佑も同じだから、もしかしたら来ているのではないか。そう思って晶は、辺りを見回した。

 オンラインゲームのチャットではよく話をするけれど、実際には一度も会ったことはない。だから名前以外は顔も歳も知らないのに、会えばわかる気がするのはなぜだろう。声の感じと会話から、多分同世代だろうな。優勝の記念品を手に、ぼんやりとそんなことを考えながら、晶は行き交う人を眺めていた。

 それにしても昨夜は妙な夢を見たな。

 やたらとリアルな夢で、本当に実際の体験のように思える。なぜか戦闘の真っただ中に放り込まれて、なにもわからずに懸命に戦う夢だった。戦車砲の衝撃が皮膚感覚としてよみがえり、思わず身震いする。

「すみません。ちょっと、いいですか」

 航佑を探しながら昨夜の夢を思い出していた晶にそう声をかけてきたのは、三十前後の男だった。

 リクルートスーツのような紺色の背広はとても着こなしているようには見えないけれど、にこやかな笑顔は営業マンのようだ。

「はい、なんでしょう」

 レースの緊張から解放された晶は、めずらしく愛想よく応えた。

「ボク、こういうものです」

 そう言って男は、一枚の名刺を差し出した。

「仮想現実研究所 高原真治(たかはらしんじ)、さん」

 晶が渡された名刺を読み上げると、その高原という男は、うれしそうにうなずきながらほほ笑んだ。

「いまのレース、拝見しました。最後尾スタートからトップチェッカーなんて、すごいですね」

 レースの緊張も興奮も、ゆっくり冷めてきていた。ほめられてうれしいという気持ちより、その笑顔の裏になにが隠されているのかと身構えてしまうわたしは、やはり心底人間嫌いなのだろうか。晶はそう考え、またいつものように無愛想な顔に戻った。

「たまたまうまく走れただけだし、他の人がたまたまうまく走れなかっただけです」

 別に謙遜したわけではなく、晶は本当にそう思っていた。クルマはウエイトとパワーの調整をされて全車イコール・コンディションになっていたし、前を走る人たちがやり合って自滅したのだから。

「いえいえ、ボクはちゃんと見ていましたよ。このカオスとも言える混戦の中で、あなたはずっと冷静だった。スタートはよかったのに、1コーナーで無理をすることもなく、ここで接触のあった1台を抜いています」

 どうやらレース経過をメモしていたようだ。手の中のノートを見ながら、男は楽しそうに話しを続ける。

「1周目はそのまま様子をみていたようだけど、2周目に入ると積極的にプレッシャーをかけ続けて、デグナーで飛び出した前車をパス。130Rで追いついた1台は、シケインの飛び込みで前に出たね。ここの思い切りのよさはすごかったよ。これでもう3位だ。それから……」

「あの」晶はそろそろイライラし始めていた。「レース展開は覚えています。たったいま自分が走ったんだから」

 空気が読めないのか思い込みが激しいのか、不満の色を映したそのまなざしをスルーして男の冗舌が加速する。

「ああ、そうだよね。でも本当にすごかったのはここからだった。トップ争いをする手練れの2台の後ろにピッタリつけたまま、ずっとチャンスを待っていたあの最終ラップ、そこにボクはあなたの才能を見たんだ。いくつもの大会で優勝経験のあるトップ2の隙を伺いながらも、時に開いたインを突く素振りを見せる飛び入りの女の子の激しい走りに、観客の誰もが気づき出した。異様な雰囲気に包まれ始めたその場の空気が、チャンピオンたちにも影響を与えたのかもしれないね。それまで流石と唸らせる動きを見せていた2台が、スプーンでサイド・バイ・サイドから接触してしまったんだから。それによって押し出された1台を、あなたは難なくクリア。そして立ち上がりの悪かった先頭は、バックストレートでトウを使って軽くぶっちぎった。最後尾スタートの素人が名の知れたゲーマーを抜き去ってトップに立った時、会場全体がどれほど興奮したことか。それはあの大歓声で十分伝わっていたはずだけど、それでもあなたは落ち着きを失わずに、そのあとを完璧に走り切ったんだ」

 長々と先ほどのレースを解説した男は、感慨深そうに笑顔のままうなずいた。しかしその長広舌に彩られた熱い思いは、目の前の相手にまったく伝わらなかったようだ。白けた表情を繕うこともなく、晶は物憂げに問う。

「それで?」

 その不遜な態度に、さすがに期待する反応と違うと気づいたようで、男のテンションが下がっていく。

「ええ、要するに……、あなたはこの荒れたレースの間、ずっと冷静だったわけだ。あのクルマの動きを見れば、もちろんその腕が確かなものであることはわかっています。その上で、メンタルも素晴らしい……と思うんですよ」

 晶はため息とともに、男を見て言った。「本題を」

 ほめられてうれしくない人間はいない。多少の誇張があっても、持ち上げてやればどんな相手も簡単に丸め込めると思っていた。しかし今回、それはそううまくはいかなかったようだ。そのことに気づいて、そのわざとらしい笑顔が引っ込む。そして真面目な顔になった男は、ようやくその話を切り出した。

「今日ボクは、ゲームプレイヤーのスカウトに来たんだ。うちの研究所で新しいゲームの製作をすることになっていてね。新型VRだよ」

「なんとかいう大企業の子会社が、エポック・メイキングな技術によって驚くようなバーチャル・リアリティを研究しているってそんな噂を聞いたことがあるけれど、そのことですか」

「知ってたの? アメリカのインテグレート・エクスペリエンス社って新興のゲームメーカーが、FPS(ファーストパーソンシューティング)ゲームを売り出すことになっていてね。現代の兵器を使った戦争ものだよ。そのゲームに我がVRLの開発したCVRS、コンプリート・バーチャル・リアリティー・システムという技術が使われるんだ。いままでのような単に視覚や聴覚のみのVRではなくて、まったく新しい革新的な全感覚のVRなんだよ」

 そこで男は、その反応をさぐるような目を向けた。その表情はやはり晶の気に入らなかったが、話の内容は気に入った。

「全感覚って、フルダイブってことですか。それって技術的には、脳に直接コンタクトするのでしょうか? でもそんなことは技術的にもだけれど、安全面のハードルも相当高くなるから無理でしょうね」

 はっきりと、男の目の色が変わった。これまでその内容に関しては、あえて情報を小出しにしてきた。しかしそれはティザーという意味合いだけではなく、このCVRSと言う技術が脳に直接作用するという機序において、憶測がネガティブな方向へ向かうことを避けるために核心部分を秘匿してきたのだった。もちろんすでに学会でこの研究成果は発表しているし、パテントの申請も済ませてある。しかし商品化においてもっとも重要な安全性の部分で、まだ多少の問題が残っている。まぐれ当たりだとしても、それを端的に言い当てるとはなかなか鋭い。そう思った男は、改めてその生意気な女の子に品定めするような視線を走らせた。

 ショートカットの髪。物事の裏まで見通しそうな、パッチリと見開かれた目。スポーツでもしているのか身体は引き締まっているが、女の子らしい丸みがないわけではない。ウインドブレーカーの下の胸のふくらみは、身体にピッタリのシャツをまとえばそれなりにその存在感を主張するだろう。そして長い足がさらに長く見えるブルージーンズ。意のままのペダル操作ができそうなプーマのドライビング・シューズ。身長は百七十はあるかもしれない。一見、男の子にも見えるが、だとすれば飛び切りの美男子だ。大きな、そして黒目がちなその目をまっすぐに向けてくる。その視線が意志の強さを物語っている。

「どうしてそう思うのかな?」

 男はもう笑っていなかったが、晶にとってはその方が落ち着いて話ができるように思えた。相手のペースではなく、少なくとも対等な位置に落ち着いたのだ。

「全身に対して入力デバイスを用意するより、その方がずっと経済的だし、つまりはその方が現実的ってことでしょ。ただ技術的には、そんなこと不可能だと思いますね」

「その不可能を可能にしたのが、天才科学者、貴島俊洋(きじまとしひろ)なんです」男も晶の目をまっすぐに覗き込んで言った。「この奇跡のテクノロジーに、興味をお持ちではありませんか?」

「もし本当にそれが可能だとすれば」晶の視線は、さらに挑戦的な色を帯びた。「とても興味深いですね」


 場所を変えてその内容の詳しい説明を、晶は高原から受けた。この装置の詳しい原理はまでは説明されなかったが、大雑把にわかったことは、この新しいVRシステムは長年の研究成果であるBCI(ブレインコンピュータインターフェイス)の技術を使用している。それはプレイヤーの脳から出る微弱電流をスキャンし、その信号を直接コンピュータに取り込むこと。そしてコンピュータから出た信号は、最終的には脳神経と完全にシンクロすること。与えられる信号は、この仮想現実の一部であること。そして足りない部分は、プレイヤー自身が創り出していくこと。

 つまりこの仮想の世界に入り込んだプレイヤーは、その世界の部分的な情報を脳に与えられ、細かい部分は自身の記憶や想像により肉付けされる。たとえばプレイヤーが青空の広がる海辺に立つとすれば、装置は海と砂浜とその上に広がる空など基本的な情報を脳に送り込む。それは単に骨格に過ぎない。そこに打ち寄せる波、波音、潮の匂い、足の裏に感じる砂のやわらかさ、空の青さ、そう言った細部は脳の中の記憶によって補われる。その脳内の記憶は、コンピュータの中で数値化され、目の前の景色に描出される。そしてプレイヤーはそれを見る。だからプログラムは極端に簡略化でき、コンピュータのパワーは他の部分に回すことができる。

 余剰な処理能力によってコンピュータは、再びその想像された情報を取り込み、仮想現実の世界として再構築する。そうしてコンピュータと脳はデータのやり取りを繰り返し、その仮想世界を創り上げる。プレイヤーが複数の場合、世界はそのデータの平均的数値として表現される。

 参加人数が多いほど、そのプレイヤー個人の記憶の中の世界との乖離は大きくなるが、しかし問題はない。山の情報を与えられれば、そこに海を想像する者はいない。山としての標高や面積などのアウトラインをインプットされれば、誰の頭の中にも概ね似たような山が連想される。そしてそれを元に創り出される光景は、現実世界と矛盾しない。こうして非常に軽いプログラムにもかかわらず、非常に精細な仮想現実ができあがる。脳内の電気信号をコンピュータに取り込み、また脳内に還元するインターフェイスとそのアルゴリズム。そのすべてが、所長である貴島の研究成果だと説明された。

 その開発スタッフとしてゲームプレイヤーをスカウトしており、晶が目に留まったのだそうだ。採用されれば、そのゲームの開発に携わることもできます。そう高原は言い、さらに続けた。

「ところで、今日は独りで来たの?」

「ええ、わたし友達いないんで」

「ひとりもいないってことはないでしょう」まるでなにかを試すような口調だ。

「ひとりもいません。友達なんて、面倒なだけです」

 普通の女の子なら、友達がたくさんいることが自慢になるところだろうが、晶は逆だった。薄めすぎた水割りをいくら飲んでも、味もわからない酒じゃ酔うこともできない。ベタベタと甘ったるくつるんでいる女の子たちを見るにつけ、晶は自らの孤独を誇りにさえ感じていた。日々の退屈を紛らせるだけの友達なんて、いなくたってなにも困らない。

 そんな晶を見て、高原の顔にどこか満足そうな色が浮かんだ。そこで晶は航佑のことを思い出した。

「そう言えば、オンラインのフレンドならひとりいます」

 もうどうでもいいというように、軽くうなずいた高原は話しを変えた。

「もしこれから時間があるようなら、CVRSの体験版をやってみないかい?」

 これでもう七人目だ。いい加減に決めてもらわないと事が計画通りに運ばないのだが、誰を連れて行っても貴島が首を縦に振らないから話がまったく進まない。でも今回のこの娘は、いいかもしれない。いままで声を掛けた誰ともまったく違う雰囲気を持っている。ハキハキとした受け答えの中にどことなく敵意の棘を含んでいるようにも感じるが、誰にでも愛想を振りまく八方美人よりもずっといい。好き嫌いもはっきりしていそうだから、うまく抱き込むことさえできれば、逆にそれはこちらに一途に傾くことになるだろう。しかも孤独を厭わない変わり者だ。高原はそう考え、誘うようにほほ笑んだ。

 晶にはその笑顔が、まったく気に入らなかった。なにが嫌いと言って、モノを売りつけようとする営業スマイルほど、気に入らないものはなかった。高原はなにかを売りつけようとしているわけではないのだろうが、そこにはどこかそんな臭いがした。その人物の本質を見極めるのではなく、その欲望を探ろうとするかのようなあざとさが、男の目の奥に感じられた。

 しかし体験版という言葉が、心の垣根を低くした。数多(あまた)のゲームの体験版をダウンロードして楽しんできた晶には、それは無料で遊べる手軽な娯楽だった。そしてまったく新しい全感覚のVRという言葉が、低くなった垣根を魔法のように取り払った。ゲーム好きにとって、その開発に関わることができるとしたら、是非にでもやってみたいくらいだった。しかもそれはいままでにない、まったく新しいVRなのだ。

「まあ、少しくらいなら、時間はあります」

 そう答えると、すぐにタクシーに乗せられた。そして研究所に向かう道すがら、晶は高原からその体験版の簡単な説明を受けた。IEのソフト第二弾として準備中のホラーアクションの一部で、謎の洋館でゾンビと戦い、隠し扉を見つけて逃げ出すという、時間にして十分から十五分の内容だそうだ。

 その動きを見せていただき、適性等を判断することになります。そう言われて初めて、それが採用テストでもあることに気づいた晶は、また少し不機嫌な顔に戻った。しかしこうなったら、その新しいソフトで遊びに行くだけだと、気軽に考えることにした。


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